#324 感想文、書けないな…

 こんにちは、鏑木澪です。

 みなさんは、読書感想文だとか、映画の感想だとか、作品に対して感想を述べるのは、得意ですか?

 私は……とても苦手です。

 私が思うところの”良い感想文”の定義は、「読んだ後、自分もその作品を観たいと思えるか(興味を持てるか)」です。

 綺麗な言葉で書かれている必要もなければ、あらすじの説明が適切である必要もないし、なんなら好評価である必要もありません。


 子供の頃、読書感想文を書くのに「つまらなかった」ではダメだと言われて、書けなくなってしまう子の話はよく聞きましたし、私の周りにもそういう子はいました。

 私は本を読むこと自体が好きな子供であったし、そうして物語を読むことを楽しんでいたから、「感想を書くのは簡単だろう」といわれることが多かったのですが、本当に苦手でした。

 今も、苦手です。

 ……感想といわれても、「特に(言いたいこととかない)」としか。。。

「1+1=2です。これに対する感想は?」といわれても、「2になりましたね」としか思わない人間なもんで、そこに何か感情を抱けといわれても、どうしたらいいのかわからない、そんな状態です。

 本にしろ、映画にしろ、完成された世界(物語)に私の感情が入り込む隙間なんてないから、外から「へぇー」と眺めるしかないじゃないか、と。

 大人になってからは、余計な知識がついたもので、「ここの描写が」「物語の構成が」と、型に当てはめて優劣をつけることはできなくはないですが、それは感想ではなく、評価と呼ぶのが適切な気がします。


 ……いやぁ、本当に、わからないんだよな、感想って。


 ここ数日で気になった声優さんがいて、その人の過去のブログを読みました。

 年末に、その年に観た映画の感想を綴ってらしたのだけど、せいぜい数作だろうなと思って読み始めたら、まず作品数が多い。
(ざっと数えたら70近かった)

 1年間で観た映画が70本だとしたら、私の基準で話すと決して多くはないのだけど(調子が良い時の私なら1ヶ月に観る量なので……一般的に見て、年間70本は多いほうだと思います!)、

 はたして、私はその全てにこんなに感想を書けるだろうか、と。
(書けないね←)

 殆どが、私も観たことのある作品だったので、「そっか、そんなふうに感じたんだ(わかるわかる)」と思いながら読みました。

 うわぁ、ちゃんと言語化できてて素晴らしいな。。。

 誰かが言葉にしてくれると「私もそう思う」「いや、私はこう思った」と、なにかしら感想らしきものが浮かんでくることはあるような気もするのだけど、自分ひとりでそれを綴れといわれても、何も出てくる気がしません。

 というか、出てこないから書けないんでしょうね。笑

 いやぁ、すごいなと感心しました。
(私の立場で、こんなことを言って良いのだろうか←ぺーぺーが偉そうにすみません)

 役者さんだと、「あの人の演技が」「この台詞が」といった感想が多くなっている人もいて、それだと分析では? なんて、私は思ってしまうのだけど、この声優さんは物語に対して、自分が感じたことを中心にまとめていました。

 映像が、音楽が、演技が、台詞が、etc……

 そういう視点で書くのが悪いことだとは思わないし、どの視点で語っても構わないのだけど、本質的なところを突いて、「どう感じたか」を言葉で表せる、魅力的に伝えられるってのは、私にとって理想的な状態なもんで、

 良いものを読んだなぁ〜

 そんな気持ちになっております。
(まずね、短く簡潔に書かれているってのが、とても尊敬しているポイントなんだわ)

 私はね、何かと長く書いてしまうからね。
 そのくせ、何が言いたいのかよくわからないという。


 ……そもそも、自分が何を言いたいのか、よくわからないんだよね。←

 

 noteでも、感想文はよく見かけます。

 宿題でもないし、誰かに書くことを強要されることもないのに、”ついつい書いてしまう人たち”の感想文は、なかなか、読んでいて楽しいものが多いです。

 最初に書いた私の”良い感想文”の定義からは外れているものでも、楽しく読める文章ってあるんですよね。

 実直とでも言えばいいのかしら。

 そういうのって、やっぱり伝わるんだろうな。

 私は、なんといいますか、中学の時、部活の副顧問に「人の気持ちがわからない子」と言われただけあって、情報として処理して「こういう状態の人には、こう接したい」ってなことは考えて生活しているのだけど、

 どうして、そうするの?

 なんて訊かれても、知らないし、判からないし、「ただ、そうありたかった」としか、返せなかったりして、感情がどう動いたかなんて、説明できないのです。

 嫌だな〜

 こう、変な言い回しになってしまって、気持ち悪いかもしれないけれど、私が誰かの気持ちを解らないのと同じくらい、私も誰かに自分の気持ちをわかってもらえないなと思いながら暮らしています。

 そのほうが普通だから、たまに誰かと近い気持ちになれたんじゃないかと思った時は嬉しいし、私のことをわかってくれているような気がすると安心したり、有難く思ったりするんだろうな、とか。

 どうなんだろうな〜

 わからん。
(結局それかーい←)

 自分の内側にあるものを表出するにも、手段はいろいろあります。
 出てきて初めて、「私ってこんなこと考えてたんだ」と知ることもあるし。

 とにかく、いろいろ試すしかないと思うんだわさ。

 やってくぜー!

 相変わらず、何を書いているのかよくわからない文章ですが、このあたりで失礼します。

 ではでは〜


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?