#274 ボカロに歌ってもらう意味

 こんにちは、鏑木澪です。

 勇気を振り絞って、ワンコーラスの歌ってみた(?)をInstagramに投稿してみました。

 ……うぅぅ。
(投稿してから2日経つけど、まだ恥ずかしさが←)

 はっきり言って、私は歌が特別上手い人間ではないと思います。
(救いようがないほど下手でもないとは思いたいが←)

 ”歌が上手い”の定義は難しいので、一旦そこは無視することにしましょう。笑

 ここ数ヶ月で、いろいろな人に教えていただいたり、自分で調べたりで、だんだんと”マイクを買って自分で歌う”ことが、私の中で現実味を帯びてきました。

 そもそも環境がないから私が自分で歌うことはないわ、と思いながら生きていたのに、なんだか、歌えそうな感じになってきてしまった……

 そうなってくると、急に怖くなってきたのが、

「え、この人こんな声だったんだ……(無理)」

 そんな具合に、”生理的に受け付けない”と思われたら、悲しいな、どうしようということです。

 こればっかりは好みなのでね、

 私自身、好きな声質とそうでない声質はありまして、苦手な声質の人が歌っているものはあまり聴かないから、私の声質を嫌だなと思う人にはとことん嫌ってもらって、聞いてもらわなくて全然構わないのだけど、

 これまで、私のボカロ曲を聴いてくださっていた人たちに

「こんな声だったのか……(これは、自分で歌わないほうがいいわ)」

 と、がっかりされる……がっかりさせてしまうのは、避けたいなと思って尻込みしたり、一方で、以前から私の歌声を聞いてみたいと言ってくださっている方々もいらしたから、自分なりに応えていきたいなと思っていたり、、、

 結局、まだ準備ができていないから、今すぐには活動できないのだけど、”自分の声も使えるようにしていきたい”と思って、調整しているところです。


 私の音楽活動が、”ボカロP”からスタートしたからこその
 ちょっと不思議な悩みかもしれませんね。


 実力・実績がないことを除いても、自分が「ボカロPである」と名乗ることに抵抗がある理由は、いくつかあるのだけど、そのひとつが、

 私には、そこまで強い”ボカロ愛”がないことです。

 ボカロのための曲を作っているわけではなくて、自分が作った曲をボカロに歌ってもらっている感覚のほうが強いですし、日常的にマイナーなボカロ曲までしっかり聴き漁ったり、ボカロのライブイベントに参加したりした経験もありません。

 そのくせ、記事を書く時には「ボカロに人格がある体で話すの好きなので、お付き合いください」なんて書くこともあるから、自分でもよくわからないのだけど、”共同制作者”的な意味で、私は我が家のボカロちゃんたちを大切だとは思っています。

 もっと愛情深い人たちを知っているから、私はそれには及ばないな、と。

 極端な例でいうと、「ボカロのための曲だから、人間に歌われるのは嫌だ」と考えているPさんもいらっしゃると思うのですが、私にそれはありません。

 ただ、曲を作る段階で「この曲に合う声は誰かな」「この声で歌ってもらうなら、どんな曲がいいかな」と考えてはいるから、後にセルフカバーや他のボカロに歌ってもらったバージョンを作ったとしても、自分のなかの”正解の声”は、”最初に歌ってもらった声”である場合が多いと思います。

 誰かが、私の曲を好きになって歌ってくれることがあったら、それはもちろん嬉しいし、もしかしたら「この曲の正解って、この声だったのか!」なんて感じることも、あるのかもしれない……のかしら。
(”歌ってみた”をしてもらった経験がないからわからない←)


 ボカロリスナーの視点から、私のような行動を見ると「ボカロを使い捨てた」と感じる人もいると思います。

 安心してください!ッ

 私は、自分で歌うようになっても、
 ボカロに歌ってもらう曲も作り続けるつもりなので!ッ

(謎の宣言←)

 話が前後しますが、私は大学生の時、宇多田ヒカルさんをきっかけに「自分で曲を作れるようになりたい」と音楽活動を始めた人間ですから、目標のひとつは、自分で曲を作って歌えるシンガーソングライターです。

 歌えるかどうかはともかく、歌いたいと思っています。

 最初は、曲を作ったら自分で歌う予定でした。

 ……ボカロは高いし。。。

 しかし、自分の声をちゃんと録って使える状態にするのにかかる費用や技術を考えると「ボカロに歌ってもらったほうが曲を仕上げられる可能性が高い」という結論に至り、ボカロちゃんたちに歌ってもらってきました。

 実をいうと、小中学生の頃、「ボカロ曲を作って、小説を書きたい!(私もひとりメディアミックスできる人間になりたい)」と思っていたのに、諦めた過去があります。
(だから、自分で歌う以外の選択肢がボカロだった)


 もう、よくわからない人間でしょう?笑


 大人になって、創作できる環境を自分で作れるようになったから、諦めずに、やりたかったことには、これから時間がかかっても挑戦していきます。

 んー、うまく伝わらないかもしれないけれど、ボカロに歌ってもらうのと自分で歌うのは、今の私にとって、別々の目標があってやることだから、結果的に両者が結びつくことはあるかもしれないけど、どちらかの活動が、もう片方に塗りつぶされる(変化してなくなる)ことはないと思います。


 それぞれ、良いところがあると思うから、どちらもやりたいです。

 ボカロと一緒に歌うとかも、いいかもな……!
(今のままだと、私が歌下手すぎて足引っ張るわ←)


 そう、面白かったのが、ピッチ補正(やり方がよくわからないから気持ちばかり)をする前の私の音痴な歌声を聞いていたら、使い始めたばかりで不慣れな調声をしていた頃のボカロちゃんたちの歌い方とそっくりで……

 やっぱり、私の耳と音のとり方がどうかしてるんだわ、と。←

 自分でも思っていたのだけど、母(自称一般人代表)にも、同じことを言われて、笑うしかなかったです。笑

 今でも、思ったところに音を落とせないことはあるのだけど、ボカロちゃんたちは、だいぶ歌が上手くなってきたと、私は思っているから、同じように、私も成長していかねばと思っています。

 頑張るぞー!


 ところで、ボカロのライブ(『マジカルミライ』など)に行ったことはないのだけど、映像を観たことはあります。

 なぜか、毎回、号泣してしまうんですよね……
(原因不明の病です←)

 ボカロが歌って踊っている姿を見ていると、ものすごく泣けてきます。

 人間のアーティストのライブ映像を観ていて、何度観てもこのような状態になった経験は、今のところありません。

 現時点の想像ですが、「もう曲を作った人(Pさん)はこの世にいないのに、それを知らずに、もしくは知っていても変わらず歌い続けている or 歌い続けていくボカロの気持ち」みたいなものを、私は勝手に思い浮かべて泣いているんじゃないでしょうか。。。

 ずっと疑問に思っているので、人に話してみたら「あんた、ボカロの生まれ変わりなんじゃない?」と返されたのが、これまでで1番面白かったです。笑
(なんやねん、ボカロの生まれ変わりって←)

 どうなのでしょう。
(生まれ変わりでないのは確か←)

 自分で歌えるようになったら、また新しい表現ができるようになると思うので、ひとまず、身体づくりと機材の使い方をしっかり学んでいきます。

 ではでは〜


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