#200 む、ムリすぎる〜

 こんにちは、鏑木澪です。

 記事を書くのは、ものすごく久しぶりですね。
(もっぱら、つぶやきばかりしておりました)

 noteで記事を書かなくなると、Twitterに長文を投稿してしまって、「こりゃ良くない流れだ(Twitterは簡潔に、わかりやすいことを短く書くべきだと思ってる。そういう使い方をしたいと思ってるけど、書き始めると長くなるから良くない)」ってなことで、記事を書きます。


 そう、200回なんだ!

 この記事、ブログもどきを書き始めて200本目なんだよ!ッ


 せっかくだから、新曲もできてるし、その発表に使おうかなと思っていたのだけど、急に臆病になちゃって、ちょっと見送ることにしました。
(つまり、今月も新曲は出せない。申し訳ない)


 まぁ、その言い訳というのか、最近考えていることを書いてみるぜ!


 以前も記事に書いた気がするけれど、私はノンフィクションが好きじゃなくて、ドキュメンタリーも積極的には観ません。

 フィクションが好きなの。
 美しい嘘が好きなのね、たぶん。

 それなのに、このところドキュメンタリーをいくつか観て、それで思ったことをちらほらツイートしてしまって、”後悔”について長々語っていたわけです。

 以前、ツイキャスかな? でデビュー時期が近いPさんとお話ししていた時に、「僕は反省はするけど、後悔はしたことがない」という話を聞いて、そんな人もいるんだなと驚いたこともありました。

 現時点で、私の人生、後悔まみれです。

「あれをやっておけばよかった」でなく、
「あれをやらなければよかった」の後悔。

 やって後悔していることは、大体、他人が絡んでいて、私が一方的にそう思っていただけだけど、私がこれをすることによってきっと相手は喜んでくれるとか、相手が大変そうな状況にいるから少しは手助けになるだろうとか、

「自分は相手の役に立てるんじゃないか?」

 そう期待して、本当に勝手に期待してやって、それを無下にされて勝手に落ち込んで、今でもそれを引きずっているってだけの話。

 余計なお世話でね、本当にやらなくてもいいことを私がやって、「なんで褒めてくれないの?」といってるなら、ただの迷惑なやつなのだけど、相手は私がしたことを利用しているわけだから、それはおそらく必要なことだったはずなのに、”私が関わった事実”はいらないみたいな。

 窮地で味方を肉壁にして生き残ることになんの罪悪感もない人を仲間だと思っていた私が間違っていたのだろうけどね。

 いや、そんな人たちだって知ってたら仲間だと思わないよ?

 なんだか話が逸れたけれど、少なくとも私がそう信じて「これは誰かのためになるかもしれない」と思ってやったことは、後悔していることが多いと気が付きました。

 そして、「やったことを後悔していない」と話す人の多くが指す”やった”は、「自分から他人へ」ではなく、「自分が自分のために」なのだなと感じて、その視点で自分の行動を振り返ってみると、

 あら不思議

 後悔してるしてない以前に、要するに「やりたいようにやった」ことだから、結果も含めて満足しているので、わざわざ「後悔してない」と主張する必要すらないから、その土俵に乗っかってこないのよ、その経験は。

 お昼にペペロンチーノを食べると決めて、そうしたのなら、その後、ニンニク臭がしていようと、胸焼けがしようと、「食べたかったから食べた」ことを悔いたりしないでしょう。
(私はしないぞ←話の規模が急に小さくなったな)

 私の独断と偏見で話を進めているから、「いやいや、そういう意味じゃないよ」といわれても仕方がないのだけど、今日の私はこれで納得しました。

 私の場合、”他人のため”といいながら、「”他人のため”に頑張った私を認めてほしい」と結局は自分のためにやっていることなのだろうけど、評価を他者に任せているから、結果に満足がいかなくて、引きずっているのだと思います。

 良くないね。


 これまた、別の話だけれど、「どうして私は、音楽を続けられているのだろう」と考えました。

 結論からいうと、「私は音楽を全然知らないから」だと思います。

 聴く耳が育っていないから、自分の曲を聴いた時に幻滅しなくて済む。

 プロが作っているものと自分が作っているものが違うことくらいはわかるけれど、具体的にどこがどう違うかわからないし、どれくらい差があるのかも明確にはわからないから、「できたところ」だけ見て喜んでいられます。

 受け取る力(評価する力)と外に出す力(表現する力)にあまり差がないから、「楽しい」と思えるところが残っているのです。

 私は、ずっと小説を書きたいといっているけれど、アウトプットとインプットのバランスが悪すぎて、自分の作るものがひどく残念に見えるから、とても耐えられません。

 一度開いてしまった差を埋めるのは、大変です。

 その点、音楽は興味を持って聴き始めた時期と、自分が作り始めた時期にあまり差がないから、良かったのかなと思います。
(もっと早く始められていたらと思うことはあるけど、今やってるからいいの)

 諦めないけどな!

 他者からの評価は気になるし、必要なものではあるけれど、1番最初に作品と対峙するのは自分自身だから、せめて自分が好きになれるものを大事に作っていきたいと思います。


 へたっぴなりにやりたいことがあるから、できるまでやってみる!


 そういえば、私は「恋愛の曲を書いてる」って意識はなくて、「書きたくても書けないんだが?」と思っています。

 愛だとか、恋人との別れだとかを印象的に歌っている比較的歳の近いアーティストが、インタビューで、

「恋愛は、人並みにしています。別に、”恋多き”とかではないですね」

 と回答していたのだけど、「”人並み”の恋愛とは?(私、恋したことないんだけど←)」ってな感じで困惑しました。

 あ、私の初恋は幼稚園って話がね、あるのだけど、当時も時間が経ってからも大人たちに「幻覚だろ?」的なことをいわれて、今ではもう、よくわからないけど、少なくともその後、あんな気持ちになったことが一度もない。(笑←)

 私は、”人並み”の恋、してないよね?←(知らんがな)

 歌が必ずしも恋愛の話じゃないといけないってことはないけど、やっぱり、そういう歌って魅力的だし、歌だからいえるとか、気持ちが昂ると歌ちゃうというのか、そういうのに憧れる。

 つまりね、もっと歌詞に意味を持たせたいって話でございます。

 自然言語で歌詞を書く以上は、歌詞が聞き取れるように歌わせたいし、聞き取れた話に意味があるようにしたいんだ。

 難しいんだぁ。。。

 詞先の曲に挑戦してみたい。

 また、ワンループでトラックを作って歌を乗っけていくみたいな曲の作り方に戻って、歌詞を見直そうと思っています。

 いやぁ、他にもやりたいことがいろいろあって、全部正反対みたいな感じで、アプローチが全然違うから、混乱してるの。

 とりあえず、どれにするか決めてやんないとね!

 ではでは〜


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