#70 歌い継がれる曲
こんにちは、鏑木澪です。
私は2年ほど前、急に
「やっぱり、音楽をやろう」と思い立ち、ボカロPの活動を始めました。
それまで、なんの音楽経験もなかったので、今でも楽器は弾けませんし、楽譜も読めません。
それでも、作詞・作曲・編曲、全てをどうにかひとりでこなして、曲を作っています。
作った曲を世の中にばら撒いている身としては、やはり
「多くの人に聞いてほしい」と思っています。
「大ヒットなんて狙っていない」といっても、
「作りたい」がゴールなら外に出す必要はないわけです。
多くの人が触れることのできる場所に出すのは、
「聞いてほしい」気持ちがあるからというのは、どうしたって否定できません。
近年も、「ヒット曲」と呼ばれる曲は、いくつも存在します。
しかし、「誰もが知っている曲」というのは、私のような人間が作った曲を配信できるところからみても、母数が多すぎて減ってきているように感じます。
「誰もが知っている曲」とは、どんな曲かと考えた時、
・童謡
・唱歌
・合唱曲
こういったものが思い浮かびました。
そのなかでも、私が特に好きな曲を選んだプレイリストを作ってみました。
私が幼かった頃の「うたのおねえさん」は、はいだしょうこさんだったので、しょうこおねえさんの出しているアルバムから積極的に選んでみました。
少し話が逸れますが、私は高校生の頃、宝塚歌劇団にはまりました。
そこで、千琴ひめかさんのエトワールを聴いて
「んんん?(この人、知ってる……?)」と思ったのですが、なんと、
千琴ひめか=はいだしょうこ
だったのです。
驚きました。
宝塚のエトワールというと、かなり実力のある人が務めるものです。
当時は、なにも知りませんでしたが、幼い頃から素晴らしい歌声を聞いて育ててなんだか嬉しいです。
話を戻します。
プレイリストの中には、厳密には「合唱曲」や「唱歌」として作られた曲ではないものも含まれていますが、「童謡」を中心に基本的に”子供向け”といわれるような曲がたくさん入っています。
学校で習った曲もたくさんあるので、
みなさんもご存知の曲が多いのではないでしょうか。
個人的にこのプレイリストを作っていて一番驚いたのは、曲尺です。
以前、私はこのような記事を書きました。
最近、イントロや間奏が省かれ、曲尺が短くなり、「サビだけあれば良い」ような構成になっていることに馴染めない自分がいるが、どれくらいの尺が聴きやすいのだろうか、といった内容です。
しかし、今回、プレイリストに入れた曲を見ると
「2分すら切ってるじゃねぇいかぁああああ!ッ」
思わず、ひとり、心の中で絶叫しました。
以前、私は「歌詞を聞くために曲を聴いているわけではない」などといった後にも、「昭和歌謡は、むしろ歌詞と歌声を聴いているのでは」と思い、自分の考えがわからなくなったこともあるのですが、
もっと、広い視野を持たなければ。。。
改めて、そう思いました。
全体的に、「こうである」というつもりはなくて、
「今の私が目を向けているところからは、こんな感じです」
そんな気持ちで文章を書いているつもりですが、それでも偏りが大きいというのか、同時に異なった考え方が渦巻いていて、自分でも混乱しています。
記事を書くことで自分なりに整理されている部分もありますので、お付き合いください。
たくさんの曲が溢れかえって、”消費されている”現代では、
そもそも「知られていない曲」だけでなく、
「忘れられていく曲」も多いのではないでしょうか。
昔は熱心に聴いていたのに、気がついたら全く聞かなくなり、忘れてしまった
そんな曲が、私の中にもあります。
その点、「童謡」「唱歌」「合唱曲」というのは、それに関係する思い出と共に記憶に残っているものが比較的多いのではないかと、個人的に思います。
「歌い継がれていく曲」というのは、まさにこれなのではないか、と。
以前よりは、私も音楽的な知識が増えてきたので、それに基づいて分析していくと、「理論的によくできた曲」であることも、少しだけ理解できます。
やはり、長い間「歌い継がれてきた曲」は、”それなり”です。
まさに、教科書。
大変勉強になります。
私の中では、
あの曲(J-Pop、アニソンなど)に使われていたのは
これ(”歌い継がれてきた曲”)か
このように理解していく場合が多いですが、もとになっているものを自分なりに分析して、私も直接そこから理解できるようになりたいです。
私は自分の曲を
「消費してほしい」
「使い捨てでいい」
そんな気持ちがどこかにあるまま作っていました。
「長く親しんでほしい」
これは、あまり考えたことがなかったです。
これからは、そういったことを意識した曲も作ってみたいです。
「スナック菓子のような楽曲」(容易に聞き捨てられる明快な曲)にも、
「高級料理のような楽曲」(難解で長く親しまれる高尚な曲)にも、
それぞれ違った良さがあると、私は思います。
私のような人間は、毎日”高級料理”を食べられたとしても、料理だけでなくマナーなどでも胃もたれしてしまって、ありがたみを感じないと思うので、”スナック菓子”を食べながら家族と映画でも観たほうが楽しめます。
でも、たまに”高級料理”を食べるのは、良い経験になりますし、普段得られない幸福感のようなものも得られるかもしれません。
どちらも、私には「あったら嬉しいもの」です。
自分の口に合うものは、意外と簡単には見つかりません。
みんなが、美味しいといっていても、自分はそう感じられない場合もあります。
ですから、私はなるべくレパートリーを増やして、できるだけたくさんの人に楽しんでもらえるものを作りたいです。
まずは、自分がより多くの料理(楽曲)を知らないと味がわかりません。
私は、評論家になりたいわけではないので、分析ばかりしていないで、しっかりアウトプットするのを大切にしていきます。
ではでは〜
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