#189 めりーくりすます、と時間
こんにちは、鏑木澪です。
世間では、クリスマスなのでしょうが、我が家では朝からうさぎさんにイチゴをあげて、「1才の誕生日おめでとう!」と祝った日でした。
ねぇ、人間からすると1年なんて、それほど長い時間ではないような気もするのだけど、彼の寿命から考えると人間に置き換えたら10年くらい経ったわけで。
あっという間です。
そう考えると、「もう1年も生きたんだな」と、それだけの時間を生きられたのって素晴らしいことだなみたいな気持ちが湧き上がってきて、なんとも不思議な気分です。
I wish you a Merry Christmas!!
慣れない横文字も使ったところで、クリスマスと関係のない話で恐縮ですが、”horology"という単語をご存知ですか?
今朝方、とある方の脚本を読んでいたら”horologist”の文字を目にしまして、大変懐かしく思いました。
horologyは、「時計学」「測時学」などと訳されるものと私は認識しています。
単純に「時計を設計して作る技術」を指すのかもしれませんが、個人的には「時間の計りを考える学問」といった印象があり、時の刻み方を理解しようとするなんとも儚いものだと思っています。
科学的な話ではなく、完全に空想の方向ですね。
幼い頃、時間について考えるきっかけになったのは、『竹取物語』だったか、『モモ』だったか、もはや忘れてしまったもっと別の物語だったか。
思い出せないけれど、個人的には宇宙の研究を進めるよりも、時間の研究を進めてほしいなんて思うくらい、物語においても”時間”がキーワードになっている作品が好きで、時間の新しい解釈を教えてくれる作品との出会いに期待しています。
時間と記憶を扱った作品は昔からありますが、近年はそれが増えてきたような気がします。
いまだ人間が思い通りに操れないものですから、物語の題材としてはうってつけなのかもしれません。
未開拓という意味では、他にもたくさんの領域があるのでしょうが、このところ宇宙開発に着手する企業や個人の声がよく耳に入ります。
そのような話を聞くたびに、「宇宙に飛び立った人類が幸せになった物語なんて殆どないのに、どうして宇宙に行きたがるのだろう? それより時間の研究をしてくれたらいいのに」と手前勝手なことを思っていましたが、考えてみれば、時間のほうも「操れるようになったからといって幸せにはならなかった物語」が少なくありません。
私がhorologyという言葉を持ち出して小説を書こうとしていたのは、中学生から高校生にかけてのことでした。
もうかれこれ昔のことなので、当時の自分が本当は何を考えていたのかわかりませんが、書き始めた当初は「時間=寿命」の考えから、それを伸ばすことの意味について書こうとしていたのが、途中から「時間=反復」と捉え、”これが伸びることは苦痛である”と結論づけたために、悲劇しかないこの物語をどう終わらせるかと考えていたら、怖くなって書くのをやめてしまいました。
私は、他人の物語にはオチがないと文句をいう人間ですが、自分が物語を書くとなると終わりを見たくない、ただの臆病者です。
ハッピーエンドのお話を書けば解決するはずですが、どうにも、そんな未来が想像できないといいますか、空想の中ですらそこに手を差し伸べてくれる人がいると思えなくて、報われる物語の書き方がわかりません。
この人は、幸せだったのではないでしょうか。
そう、問いかけるのが精一杯かな。
しかし、ハッピーエンドというなら私は、「この人は幸せでした」といい切れる条件を揃えてあげたいわけです。
そんなもの、どこにあるんだ? って話で。
悲劇は書きたくないのに、幸せにできないから、私はずっと迷子です。
なんの話をしていたのだったかしら。。。
誰かとの時間を取り戻したいという思いから、不自然な時を作り出そうとする話はたくさんあるけれど、それが成功しても失敗しても、どうにも心に引っ掛かりが残るから、「取り戻したい」などと思わないように、鈍感に生きることが救いなのかもしれない。
けれども、やはり時空を超えて惹かれ合う人たちって美しい。
その刹那を手に入れるために、永遠を求める物語って矛盾していて好き。
なんだかいろいろな物語の感想がごちゃ混ぜになっていて、意味不明だと思うけれど、昔はよく考えていたのに、最近はすっかり忘れてしまっていたことを思い出せたようで、本当に懐かしい気持ちになりました。
人の熱意が伝わると、自分のなかで燻っていたものがゆらいで、また燃え始める時があります。
今日は、そんな日だったかも。
また炎が消えてしまわないうちに、私もなにか作らなければ!
ではでは〜
16,4
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