【掌編小説】 温かな拾い物

 そろそろ終わりかなと思った。

 彼女が僕に興味を示さなくなったのは、最近のことではなかったし、以前ほど一緒にいることもなくなっていたから、そのうち置いていかれるだろうと思っていた。

 こうして電車に揺られていると、どこにでも行けそうな気持ちにはなる。

 だが、実際は行くところもなければ、帰るところもない。

 向かいの席に座っている女の子は、何か悲しいことがあったのか、欲しいものでも買ってもらえなかったのか、大粒の涙をその目に溜めているが、大声で泣き出したりはしない。

 泣いたところで、もうそれが手に入らないとわかっているからだろう。

 母親がなだめるように飴を渡そうとしたが、女の子は断った。

 子供の小さな抵抗というのは、可愛らしい。

 母親が包みを開いて飴玉を女の子の口元に持っていくと、素直に頬張っていた。

 左右のほっぺたを交互に膨らませているうちに、その頬を濡らそうとしていたものは、すっかり引いてしまったようだ。

 僕を置いて行った彼女も、昔はこんなふうに素直で、僕といるだけで楽しいと言って、何時間でも一緒にいられた。

 いつだって僕を抱きしめて、名前を呼んで、大切にしてくれた。

 僕の言葉がどれほど彼女に届いていたのかはわからないけれど、僕なりに彼女の瞳をしっかりと見つめて気持ちを伝えていたつもりだ。

 それでも、時間が経つと人は飽きてしまう。

 僕の思いは変わっていないのだけれど、今となってはそれを伝える術もないので、このまま電車に揺られるしかない。

 終点についたら、降ろされるのだろうか。

 そうしたら、しばらく駅で過ごすことになるのだろうか。

 少しの間なら、駅にいることも許してもらえるかもしれないが、やがてこの場所にいるのもふさわしくないと追い出されることになるだろう。

 人は、自分の居場所は自分で作るものだというが、僕にはできそうにない。

 すでに乗客の大半は目的の場所で降りたようで、窓の外の景色がよく見える。

 まだ雪の降る季節には早いと思うが、雨に混ざって少しだけ雪が降っているようだ。

 雪は遠くから見ているぶんには綺麗だが、身体について溶けると案外と汚れるし、重くなる。

 雨のほうは言うまでもない。

 寒さは気になるが、選べるなら雪のほうがいいだろう。
 埋まってしまえば、意外と温かいかもしれない。

 今晩、どれほどの雪が降る予定になっているのか、はたまた降らないのか、僕は知らないけれど。

 アナウンスが入り、最後の駅に着いた電車から乗客が次々と姿を消していくのを僕は見守っていた。

 女の子は電車の揺れが心地よかったのか、ぐっすりと眠ってしまっていたようだ。

「お客さん、終点です」

 駅員に肩を揺られて、女の子は目を開いた。

「お嬢ちゃん、ひとりで来たの?」

 まだぼんやりとしていた目を瞬いて、女の子は身体ごと周囲を見回したが母親の姿はない。

「はぐれちゃったのかな?」

 服の袖をぎゅっと握り締めながら、女の子は首を横に振った。

「ひとりで帰れる? お家の人に連絡しようか?」

 これに対しても、首を大きく左右に振って応えた。

「わたし、いらない子なの」
「……え」

「おいおい、また忘れ物かよ」

 その頃、僕の前に現れた別の駅員が、乱暴に僕の頭を掴もうとしていた。

「それ、わたしの!」
「まさか、……君! ちょっと待ちなさい!」

 女の子はそういうや否や、僕を抱きしめてあっという間に駅を飛び出して行った。

「あなたも置いていかれたんでしょ、くまさん」

 そうだな、置いていかれてしまったんだ。
 たぶん、彼女は僕を忘れて行ったことにも気づいていない。

「これからは、わたしと暮らそう! きっと良いことあるよ。おばあちゃんがそういってた! 残りものには福があるって」

 そうだといいな。

 雨よりは雪が降ったらいいなと思っていたけれど、僕と違ってこの子はどちらにしろ凍えてしまうから、せめて曇りにしてくださいと僕は神様に祈った。

 できれば、月の光で温まれるくらい綺麗な空にしてください。

「くまさんは、あったかいね」

 女の子のほっぺたが僕のほっぺたにあたって、静かに濡れた。

 やっぱり、僕の願いを聞いてくれる神様はいないみたいだ。
 そんなものがいたらきっと、僕はこの子と出会っていない。

 ふわふわの毛が生えた手を力の限り彼女に向かって伸ばしたつもりだけれど、少しも動きはしなかった。

 どこにも届きはしなかった。

 だって僕は、ただのぬいぐるみだから。




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