#346 未来、か〜
こんにちは、鏑木澪です。
少し前にサブスクで観られるようになっていたので、『アリスとテレスのまぼろし工場』を観ました。
以前、別の映画作品を劇場に観に行った時に、ちょうど予告が流れていまして、「うわぁ、観て〜!ッ」と思っていました。
というのも、岡田麿里さんが書く脚本……好きなものが多かったので!
(個人的に「この作品良かったな」とクレジットを見た時に記憶に残っていた脚本家さんですが、詳しくはないです。悪しからず)
声優の上田麗奈さんも好きだし、中島みゆきさん主題歌だし、制作MAPPAだし、観るっきゃない。
ところで、予告を見た段階では、主題歌の『心音』を誰が歌っているのか、私はわからなくて、「70年代からの大御所が作った曲を歌の上手い新人が歌ったのかな、誰や……?(曲調は聴いたことある、知ってるはずだけど、声がわからん)」などと思っておりました。
クレジットを見て、心の中で「へ?」と間抜けな声を出しましたよ。笑
落ち着いて聴いたら、「どうしてわからなかった……?」という感じで、母にも「いや、聴いた瞬間にわかったよ(中島みゆきだって)」と言われる始末でした。
ファンの方々に袋叩きにされて然るべきだと思いますが……すごく、声が若く聞こえたので、すぐに結びつかなかったんです。。。
(だってもう、70歳を超えてらっしゃるんだよ……?)
予告にも使われている大サビの
♪ながら〜
のところなんて、自己紹介をされているような、まさに中島みゆきの音(私が勝手に思っているだけです)だったのになァ。
岡田監督が中島みゆきさんのファンだったから、ダメ元で、当たって砕けたいとオファーして、叶ってしまって、できた曲だそうです。
そう、「中島みゆきがアニメの主題歌を歌うわけがない(それも先端アニメだで)」と心のどこかで思っていたから、わからなかったんだろうな、私。
そんな主題歌で連呼されている「未来へ」という言葉の意味が、映画を観るとよくわかります。
いつものように、あらすじも書かずに好き放題書く感想文の始まりです。
(※ネタバレを含みます。未視聴の方は、先に作品を観ることをおすすめします)
舞台は、変化を禁じられた町。
私は、正直、「変わり続けなければならない」「変わってはならない」の2択だったら、自分の置かれている状況が”そこそこ幸せ”だと感じている場合、変わらないほうが嬉しいです。
明日、もっと幸せになる可能性と不幸になる可能性を天秤にかけたら、不幸に傾く、物事が良くない方向に行く可能性が高いから、変わらないほうがいいと思ってしまいます。
ですから、あまり「未来へ 未来へ 未来へ」と謳われたくないというのが、正直なところですね。。。
私がどう思っていようが、”変わってしまう”のが現実です。
ないものねだりだ。
岡田麿里脚本作品のどんなところが私は好きなのかと申しますと、ひとことで言えば、「気持ち悪い」ところです。
感情描写が、最高に気持ち悪い。
(褒め言葉なんです、信じて)
脚本だけでも生々しさが、隠しきれない脚本家の”臭い”が滲み出ていたのに、監督なんかさせたら濃厚すぎて……やりやがった、って感じです。
あえてこのような書き方をしますが、設定がガバガバなのに、人の心の動きに説得力があり過ぎるから、「そうだったのかもしれない」と信じてしまいます。
不自然なはずなのに、「これが人間だよな」と思う汚いシーンがくどいほど積み重ねられていくところから、目が離せない。
……なんなんだこれは。
目に見えるグロさやエロさよりも、ちょっと待てよと、登場人物のしてきたことの矛盾を突いた時に感じる気持ち悪さが、最高に心地よいです。
岡田麿里さんは、青春に恨みでもあるんだろうか。。。
私は、因果応報や勧善懲悪のような「悪いことをした奴は絶対に幸せになれない(例え、改心したとしても)」状態が、物語のルールとしてわりと好きです。
この作品で、私が思う1番碌でもない人間は、睦実なわけですが、
ヒロイン(勝ち組)は最後まで、何があっても肯定されています。
あまつさえ、その状況を見て「ハッピーエンドでよかった」と思いそうになる……いえ、思ってしまっています、私。
あんなことをしておいて、赦されるのか。
現実を見ましょう。
学生時代のいじめっ子、人が嫌がるようなことを率先してしていた人たち、勉強もせずに親の金で遊びまくっていた人たち、その後どうなりました?
同世代の私に見える範囲にいた人たちに限った話だけれど、今も昔も、ずっと、そのまま好き勝手していて、楽しそうです。
バチを当てる神様なんて存在しない。
悪い事をしたからって咎められることはない。
それが真実なんじゃないかと思うと、睦実を応援してしまう心と「なんでこんなやつが」と詰る心が同時にある自分が気持ち悪くて……気持ち良くて、
グチャグチャになります。
胸ぐらを鷲掴みにされて、首が飛んでいきそうなくらい引きずり回された気分です。
『さよならの朝に約束の花をかざろう』の時にも書かれていた、母と娘の業。
私はまだ、娘としての視点しか持たないから、「母親にはこうであってほしい(自分が母親になることがあれば、このような存在でありたい)」と思う像、幻想を抱いています。
しかし、「こんな恐ろしいもの、知りたくない」と子供を怖がる気持ちのほうが大きいから……まぁ、まず相手がいませんし、欲しがるようなものでもないと思っているのだけど、子供を産む、親になるなんてことは考えたくないです。
私、そんなことができる立派な人間じゃないもの。
タイトルの”アリスとテレス”は、本来どの意味なのかわかりませんが(劇中にそんな名前の人物や象徴するセリフはなかったと思う)、”アリストテレス”と聞こえた言葉の塊で考えれば、
これにかけて、知らなければよかったかもしれないことを知ってしまったこと、つらい思い出かもしれないけれど、それすらも愛おしいと思う。
そういうお話だったのかな、と私は勝手に想像しています。
知らないものに対する憧れとも言えるのだけど、知ったところで、根本的なことはきっと変わらない……って話でもあるのかな。
んー、変化ってなんなんだろう。
冒頭の「アニメの主題歌を中島みゆきが歌うわけない」と、私が決めつけてしまっていたから気づけなかったように、”決めつけ”によって選択肢が減ってしまう、可能性を潰してしまうのは悲しいことだと思うから、
ゆったり構えていきたいです!
……物語を書く時に、整合性がなくてもいいんだな。
(自分が小説を書いていて、途中で書けなくなる理由に「整合性がない」が多い)
矛盾を愛そう。
皮肉が美味しいんだ、きっと。
ではでは〜
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