コットンの花

人と接するの苦手なんです

1、幸せに生きていきたい

前々回、等価交換のことを書きましたが、今回は「接する」について。

自分勝手で、結構一人で過ごすことが好きな松村ですが、
「幸せに生きていきたい」
と強く思っています。

そのためには、肉体的にも、精神的にも、そして社会的にも、すべてが満たされた状態でありたいと思います。
*これは世界保健機関(WHO)憲章前文にある「健康」の定義です
 WHOでは 健康=幸せ なんでしょうね。

ここで思い出されるのは、
先日NHKで放送されたドラマ「孤独の傷を癒すということ
精神科医の安克昌さんがモデルなんですが、その中で
「心のケアとは、誰もずーっと一人にさせないこと」
というようなコメントがありました。
強く共感します

2、「社会的に満たされている状態」とは

社会的な関わり(人との関わり)ができている状態だと解釈しています。
でも、人と接するのって、面倒だったり、いやな思いをしたり、通じなかったり、怒らせたりすることがあるじゃないですか。
松村は苦手だったりします。

でも、お互い気持ちよい関り方ができることもあり、そういう機会や人が増えていくと、共生社会・チームワークあふれる社会に近づいて行くのかな。

そのためには、皆が気持ちよく人と接することができるスキルや能力を持てると良いのですが、
強いストレス下にあったり、社会の構造上、差別の対象になってたり、気持ちよく接するのが難しい人が多くいます。
別に障がい者だから、生活困窮者だから、とかじゃなく、誰でもそういう状況になりえます。
自分も、接する多くの人も幸せになる「人との関わり方」は、まだわかってませんが、「寄り添う」って言葉にヒントがありそうだと思ってます。

3、人と関わるとは

福祉現場では、「寄り添う」という言葉がよく聞かれます。
現場経験がない松村からすると、何か魔法の言葉のように「寄り添う」ことが「理想の人との関わり方」で、すべてが解決されるのでは、と思っちゃったりしたのですが。

ホームレス支援で有名なNPO抱樸の奥田代表が書かれたnoteを読んで、
甘い!浅い!と自省しちゃいました。

・正直「出会い」は危険を伴う。
・裏切られること、ウソをつかれることもある。こちらが逃げ出すことも。
・直接出会うと「かわいそうな当事者と善意の第三者」という「美しい構図」は崩壊する。
など

でも
・誰かが自分のために傷ついてくれる時、自分は生きていて良いのだと知る。同様に、自分が傷つくことによって誰かがいやされるなら、自分が生きた意味を見いだせる。

「傷つく」という言葉がネガティブですが、
感情を揺さぶられながら自己肯定感も生まれるのが、人と関わることの大事なことかもしれません
これは、双方が得られることだと思います。
福祉現場に限らず、社会に広く、自己肯定感を与え与えられる、健全な人との関わり方が広まってほしい!

4、チームワークのすすめ

福祉業界の特徴といえば、社会的弱者といわれている人たちにとって、
・貴重な社会的な関わる機会であるということ(最後の砦)
・上記の通り支援される人達の多くは関わり方が難しいと思われること

社会の幸福感は福祉業界がどれだけ豊かな関わり方ができるかどうか、かもしれません(ちなみに日本の幸福度ランキングは58位)

また奥田代表のnoteの最後の方に
・困窮者支援は、実のところ「一人じゃ、つぶれる」ことを知っている弱い人たちが、それでも「何かやってみよう」と集まり、チームをつくることで成り立っている。いわば「人が健全に傷つくための仕組み」なのだ。
とありました。
やっぱりチームワークあふれる社会が必要なんだ
共生社会・チームワークあふれる社会を目指してよかった。

最後に、福祉業界の現場の人へ
「最後の砦」と書きましたが、自分では無理だと思ったら逃げてください。その代わりチームで支援するようにしてはいかがでしょう。

余談ですが、奥田代表のnoteを読んで、
自己責任というのは人を孤立させる言葉だと、つくづく感じました。

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