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カスハラの温床とその連鎖

JALのカスハラ対策というニュースを見た。
自分も、ミレニアム水商売時代にカスハラ、要はモンスタークレーマーの経験は十分に積んでいる。
もう四半世紀前なので、当時はそんな言葉はなかったが。

JALの対応方針をみて思うことがあった。

最近、頻繁に海外に行くようになり、CP優先のLCCを利用している。
以前はFSC(フルサービスキャリア)の利用が多かったが、こうしてLCCを利用する回数が増えると色々と気づく。

単にLCCを全推薦するわけではないが、CP以上の潜在価値があると最近感じているのだ。

実はFSCよりLCCが快適

何よりも、一番楽なのは利用者の「民度」
これが意外にFSCエコノミー/ビジネスよりも良い。
LCCはある程度の旅慣れた客や若者が多い。
そして、機内サービスは有料なので、余計なサービストラブルもない。
(全LCCとは言えないと思うが、少なくとも経験したLCC/AirAsia・Tiger・Scootでは間違いなくいえる)
いわゆるカスハラの現場を見ることがない。
それっぽい風景もない。そういうこと行いそうな客もいない。
当然、税関でのトラブル起こす客もいない。
要は、機上までの工程が本当にスムーズで楽なのだ。

概ね、LCCの機内はとても静かで客のほとんどは時間の過ごし方がとてもうまい。

対してJAL/ANAとその系列フラッグでは、結構な頻度で迷惑な客を見かける。この辺は実はカラクリというか、確固たる理由がありそうだ。

実はカスハラを育てている

水商売もそうなのだが、付加サービス系でトラブルを起こす客筋というのは大体大枠で囲えてしまう風体がある。

全共通なのが
・場に慣れていない
・日常よりもランクを上げてサービスを受けている

要は、普段そういうサービスを受け慣れていない客筋がトラブルを起こしているのだ。
非日常感で気持ちが大きくなっていることに加え、日本独特の「お客様は神様」精神に則った過剰サービスの総体がカスハラを発生させやすい土壌をも生み出しているのが見えてきた。

普段は気にしていないことだが、海外旅行から戻って日本でのFCサービスを受けるととても気持ち悪い気分となるのだ。
マニュアルで決められた対応、笑顔で作られたおもてなしは既におもてなしではない。

海外の素体での対応に慣れてくると、必要以上の作り笑いや、わざとギヤを上げた声での接客が疲れるのだ。
「なぜそこまで媚び諂うのか?」と逆に、サービス業を離れたその接客者の日常のストレス顔が浮かんできてしまう。
そう客に連想させてしまうことは、最もやってはいけないことなのではないだろうか。

実は、その見えざる構造が客を「神様」へと勘違いさせ、非日常のテンションも相まって、普段抑圧されているストレスのガス抜きにカスハラへと突き進ませているように思えて仕方がない。

初めのうちは、海外のぶっきらぼうかつ塩対応にびっくりもするし、気分を害することもあったが、そもそもそれが普通で成り立っている社会だと飲み込めてしまえば決してストレスにはならない。
単に「そういうものなのだ」と案外受け入れができるものだ。

逆に、マニュアル対応でもフルサービスが標準で成り立ってしまうと「サービスを受けて当然」の風潮が蔓延し、さらにそこから勘違いの拡大解釈をする浅はかな客筋が出来上がるのも当然と言えるだろう。

JAL/ANAのFSC対応は、今までの客筋には相応の効果があっただろうが、今後のZ/α世代以降の新価値観組に対しては完全にレガシーサービスになってしまうだろう。

厳しく訓練され、咄嗟の臨機応変な対応ができる(要は自分で考えて適時適切な行動を間違いなく取れる)トップスタッフで満たされたごく一流のサービスはごく超一流のトップセレブだけのもので良い。
そうでなければ、必要なだけのサービスをそれ相応のスタッフを自ら選定して必要なだけの料金を支払う仕組みのところで良いのだ。

超一流セレブでもなく、必要十分サービスを自分で考えられない可哀想なミドルアッパーは、適当なマニュアルコンテンツサービスにて搾取され続けなければならない。
正直、今の日本でのキャッシュフロー成分はこの対ミドルアッパーへの詐欺まがいなコンテンツサービスで成り立っている。
このことに関してはもうこの国は終わっていると感じざるを得ない。

今までは、客が何も考えず「サービスありき」で振る舞えたわけだが、今後は客自身が自分に相応で必要なサービスを「自分で考えて選ぶ」ステージに入ってくるのだなと思った。
それができない客筋は今まで以上に実体がほぼないコンテンツサービスに搾取され続けられるか、それができなくなれば破滅の道を辿らざるを得ないだろう。
実際、IT系成り上がり社長のよくある末路になっている。

必要なことは

そういう価値観をも世代間では既に分断されている。
そこに気づけるかどうかと同時に、今必須となる要素をも透けてきた。

「自分で考えて自分で決める」

自分のライフステージに、自分が十分に満足のできる適切なサービスを正しく取捨選択すれば良いだけのこと。
今、最も欠けているのがこれだ。
当たり前のことを言っているようだが、実はこの当たり前が当たり前でなくなっている現実があまりにも多い。
この最もな例は「保険」だ。

これから、こういったハラスメントパレード/カスハラ問題などから始まり、さまざまな不必要サービスへの問題提起が起こるだろう。
そしてその淘汰が始まり、その選別ができない人間は不条理に不利益を被り、適切に選別できる人間のみが十分なサービスを受けられる社会に突き進む。

自分で考えなくて自分で決められない人間社会は必要としない

社会問題の連鎖の原因とその帰結は見えてきている。

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