答えは実にシンプル

昨日私の古い教え子が久々に訪ねてきました。ミレニアムで入学し、その時彼はまだガラスの歳、それからもう18年。彼の人生にて、音楽への気持ちと思いが紆余曲折を繰り返しながら、浮かんでは消え、忘れては沸き起こり、憎んでは報われ、報われては裏切られ。。。それは葛藤とぬか喜びと絶望との交錯した関係だったと思います。

そして、私と音楽との関係にも全く同じになぞられます。音楽家への思いが募れど、結果が出ず、自分より実力の下の人間を探し、売れている音楽家の自分より劣っていると思われる材料を探し、あきらかな実力不足を何処かで自覚しながらも他の材料で埋め合わせが出来ると逃げ惑い、しっかりと「現実を直視」することをけっしてしようとしなかった過去と、それは全く同じに見えていました。

音楽に救いのための同情はありえませんが、理不尽な気持ちへの理解は絶対に必要です。音楽は「やったぶんだけ必ず報われる」「やらない部分は必ずほころびてその罰が来る」という「等価交換」しかありません。

やらなければいい曲が書けない。

この当たり前の因果応報に気づくことが音楽ではなぜかとても難しいのです。

わたしも、この単純なことに心底気づくまでにおよそ15年かかりました。そして、全ての見栄と心の虚飾といらないプライドを捨てて、師匠の門戸を叩き、1年で音楽家の道を歩み始めることとなりました。

音楽家への道が開かれるための条件は、たった一つだけなのだと思います。


「音楽に向かっている自分の心にも嘘をつかない」


これだけでした。

彼にも、きっとこれから道が開かれていくことでしょう。









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