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気まぐれ創作裏話⑩~神勢館の戦い

鬼と天狗の『掃討』の後半のメインである、「神勢館の戦い」(二本松藩ver)。
実は、二本松藩側ではあまり記述がない場面です。なので、この場面については水戸藩側の記述の一つ、『水戸朋党の争い : 諸生党からみた記録(大録義行 筑波書林/1986.12刊行)』などを参考に、水戸+那珂川対岸の那珂市の地図と照らし合わせながら描いています。

基本的に皆「自分の藩」のことしか書かないので、割と戦いの全体像を掴むのが難しいんですよね(´・ω・`)
また、ぼやきまくっていますが(苦笑)、同時並行で助川海防城近くで起こっていた「金沢合戦」(というか、山野辺義芸を追い詰めた助川城攻防戦)の南側攻め手の受け持ちが、二本松藩の御家老(日野源太左衛門様)だったのは、二本松側の記録から漏れています。
ですが、後で鳴海率いる5番隊が石名坂を任されていた意味も、先に御家老が助川海防城の攻防戦のメイン部隊を担当していたとすると、御家老と交代で助川方面戦線を任されていたと考えるのが、自然です。

後で久慈川防衛ラインから5番組が外れているのは、このような事情によるものだったのではないでしょうか。
間違っても、「鳴海がまだ番頭としてキャリアが未熟だったので、心配だった」とかではないと思ふ(^_^;)

また、神勢館の戦いで二本松藩の指揮を取ったのは、恐らく与兵衛様。これも、後で出てくる「太田での宿舎(法然寺)」について、「脇本陣」という記述があったのを見かけたからです。
脇本陣というのは、参勤交代での街道筋では本陣(殿様などが泊まる宿)と同格かそれに次ぐ扱いだったのですが、そもそも街道の制度自体、「戦の陣地」になぞらえたものですから、与兵衛様が副将扱いだったのだと私は捉えています。

***

さて、二本松藩が移動したのはAの神応寺じんのうじに始まり、Bの木倉村→Cの津田村→D市毛村……という感じです。
ちなみにE地点は、幕軍本営があった長福寺。

また、この場面は「西洋兵法」と山鹿流に代表される「伝統兵法」の手法をミックスさせました。
那珂川を挟んで大砲で撃ち合っていたというのは割と確かなようで、(神勢館のある水戸側にいたのが、大発勢)、その対岸である青柳村の長福寺に、諸生党+幕軍の陣が置かれていたのだそう。
多分、この頃使っていた「大砲」は四斤山砲。神勢館の戦いが「平地」であることを考慮すると、そこそこ威力を発揮したことでしょう。
(四斤山砲は、平地戦で威力を発揮します)

そんなわけで、史実では後援部隊に入っていた十右衛門ですが、拙作では最初から「砲術のスペシャリスト」として、弾道学っぽいものに基づいて砲撃戦の指揮を採らせています。
ちなみに、弾道学は1800年前後のフランスのナポレオン遠征をきっかけとして、発達しました。
この弾道学から派生した数学領域が、中学生&高校生にはおなじみの「二次関数」や「微分・積分」です。
これらに通じていると、砲弾の命中率が上がるんですよ。
(理論上では(^_^;))

ランチェスターの第2法則

また鳴海率いる5番組では、経済に強い=算術に優れているということで、大島成渡様に「ランチェスターの第2法則」の解説をさせてみました。

 成渡曰く、たとえば今回のような砲術戦の場合、幕軍の兵数が九に対し、天狗勢の兵数が一〇だったとする。それぞれ狙撃される確率は、幕軍側が十分の九に対して天狗勢は九分の一〇。この比を取ると、八十一対百となる。その比に別途武器性能の比を乗じると、幕軍の勝利となる計算だというのだ。

これは、大雑把に解説するとこんな感じです

【双方の兵力】
幕軍:9、天狗勢(大発勢)10
【狙撃率】
幕軍→一人が狙撃される確率は、天狗勢10人の誰かの弾が当たることになるので、1/10。これが天狗勢9人分なので、✕9で9/10。

天狗勢→一人が狙撃される確率は、幕軍9人の誰かの弾が当たることになるので、1/9。これが幕軍10人分なので、✕10で10/9。
よって双方が狙撃される確率の比を取ると

$$
【幕軍】:【天狗勢】=9/10:10/9\\
=81/90:100/90
$$

この分子の比だけに注目すると、狙撃される確率はそのまま相手方の攻撃力になりますので、それぞれの攻撃力は

【幕軍】:【天狗勢】=100:81

というわけです。

伝統兵法

対して、兵の散開(鋒矢の陣形)は、山鹿流兵法などの伝統兵法を使っています。
一応、想定した「突撃陣形」は、こんな感じでしょうか。
この陣形で上の地図のBからDまで突撃させ、途中、先手・二陣の歩兵を下がらせ頃合いを見て遊勢(騎兵)を突撃させています。

参考画像:https://www.touken-world.jp/tips/18700/
を元に加工

また、右門の「那珂川の魚の動きから、敵兵の気配を察知する」というのも、「自然現象から敵兵の動きを読め」という、山鹿流兵法に出てくる理論を応用したもの。



実際の戦いは、割とあっさり書かれていることが多いですが(苦笑)、160年前は、こんな感じで戦っていたのかもしれませんね。

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