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九州との縁

昨日、気分転換にアップした「直違の紋に誓って」のスピンオフ。コメントでも書かせていただきましたが、本編であまりにも戦闘シーンが続くもので、気分転換に書いてみた作品です。現在は徐々に「戊辰の怨み」から反戦の空気に向いつつあるところですが、そのためのエピソードがなかなかうまく書けない。
戊辰戦争以前から存在していた、薩摩藩の身分意識。そして、奥羽出身者から見た場合、「戊辰の怨み」から「西南の役」を国難として捉えるに至るまでの心境の変化が、史料から読み取りにくいんですよね。
プラス、戦闘シーンを書く際に地名を追おうにも、今はない地名も多いので、それも厄介。

ちなみに、主人公の武谷剛介様が参加したであろう戦いを書き出してみたところ、こんなにありました。

<西南戦争>

  • 田原坂の戦い

  • 木留~萩迫の戦い(これは、面倒になってカット)

  • 城東会戦(御船の戦い)

  • 中尾山の戦い(←元白虎隊士、窪田重太が戦死)

  • 肥薩国境の戦い

などなど。戊辰戦争のときよりも、こちらの方が資料が少ないので、なかなか苦労させられております。特に、熊本城連絡(入城)以降が^^;
ご子孫の方には、「田原坂まで行った」としか伝えられていないそうですが、無事に生き残って戻られているので、実際には肥薩国境辺りまで従軍されていたのだろうな~というのが、私の推測です。

それにしても、ちょっとした奇遇が続いておりまして。
上に出てきた御船町は、私のフォロワー様のお一人がお勤めされている大学(平成音楽大学)のある場所ですし、今日の甲子園の聖光学院の対戦相手は、九州学院(熊本代表)。
こうなったら、やはり西南戦争のところもきっちり書くしかないよなあ……。

画像出典:田原坂西南戦争資料館刊行/年刊田原坂vol5.表紙

きっと、剛介様もこの表紙の人物のように(モデルは、元白虎隊士の窪田重太)、西南戦争でもキリリと戦ったのだろうなあなんて、想像(妄想とも言いますが)しているのです。



#エッセイ
#西南戦争
#日本史がすき


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