プロパガンダの手法
私がnoteを始めた当初からお付き合いさせていただいている、菊地さんの記事より。
安倍元首相が銃弾に斃れたのは記憶に新しいところですが、その後の「国葬」を巡っては、色々と意見があるようです。
白虎隊が武士道の宣材として使われた証拠
私自身が「戊辰戦争」「西南戦争」と向き合っている最中に、安倍元首相の事件が起こって、改めて「事件をプロパガンダの一手法として利用」することの危うさを、菊地さんの記事から感じた次第です。
実は、このような手法は今に始まったことではありません。戦時中、白虎隊や二本松少年隊が「国難に殉じた若者」の宣伝材料として使われたというのは、ご子孫の方からも伺っていました。
その様子が、水野好之氏(戊辰戦争当時の名前は進)「二本松戊辰少年隊記」の緒言からも、伺えます。
二本松少年隊の存在は、この水野氏が公にするまでほぼ歴史の闇の中に埋もれていたと言っても、過言ではありません。
(地元の人は、知っていたでしょうが)
彼が公にした心境は、今となっては推測に過ぎないのですけれど、やはり当時の「プロパガンダ的な手法」に、異議を唱えたかった思いもあるのだろうと、私は考えています。
葉隠が評価されるようになった時期
また、「武士道」の在り方としてしばしば引用される「葉隠」についても、注意が必要です。
葉隠が書かれたのは、1716年頃と言われています。ですが、評価されるようになったのは、1906年(明治39年)以降と、比較的近代の話なのです。
評価されるようになった時代のバックボーンとしては、日露戦争(1904-1905)の直後であり、やはり政治的意図も絡んでいたと考えざるを得ません。
もちろん、この頃は薩長の派閥が幅を利かせていた頃でした。
逆説的に考えれば、「人の死を美化する」手法というのは、明治以降に生まれた考え方とも言えます。
人の死をプロパガンダに利用しないでほしい
戊辰戦争や西南戦争を扱うにあたって、私が一番注意しているのが、この点です。人の死を悼む思いはあれど、政治的に利用されてはたまったものではありません。
そのような行為自体が、故人や遺族に対しても失礼ではないでしょうか。
明治時代ではないのですから、いい加減、そのような手法から脱却して頂きたいものです。
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