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8/18 木曜日

一人で家にこもることは何よりも気楽だけれど何よりも精神に来る。
喉が渇いたので冷蔵庫を開け、酒以外何もないことに気付き今日もまた酒を飲んだ。
お酒がおいしいのなんて一瞬だ。それをとうに学んでおきながら今日もこうして酒を飲む。
ほら、おいしい。
いつか誰かが「余ったから持って帰って」と、朝ホテルの冷蔵庫から取り出した缶チューハイ。
家に帰ると結露で鞄の中身がべちゃべちゃに濡れていた。
あのあと濡れた財布も本も、どうしたんだったかなぁ。そのままにしたのかな。

お酒を飲んで記憶を飛ばすなんてしょっちゅうだけど、お酒の銘柄をみたら「あのときこれ飲んだなぁ」って思い出す。
おいしかったお酒の銘柄より、おいしくなかったお酒の銘柄はしっかり覚えている。
記憶力に関して言うと、酔っ払いは3秒前に自分が話したことを忘れてしまうけれど、そういえばわたしは素面でも3秒前に話していたことを忘れる。
自分で話し始めておきながら「なんの話でこの話をしたんだっけ?」といってよく相手を困惑させる。
芸能人の名前も、買い物した内容も店もブランド名も今日何をしていたかも何も覚えていられなくて、困った相手が「自分もよく忘れるよ」とフォローしてくれて話が終わる。
たぶん嘘だろ。私は本当だけれど。
今だって何を話したくてこの話をしたのか覚えていないんだから。

希死念慮というのはずっと消えなくて、人生がある限りずっとつきまとうものだ。
でも、こんな風に言うとまるで希死念慮を消したいみたいだけれど、違う。
なくなったらなくなったで寂しいよ私は。
だって私は26年、希死念慮が消えない自分とずっと一緒にいたんだ。今更消えるなんて、自分の半身がいなくなるみたいだ。
私は死にたい自分と一緒に死ななきゃ。そうじゃないなら私は私じゃなくたっていいんじゃないのか。

自分は「大器晩成型だ」といわれたことがある。
若い内は酷く達観していて理解されなかったことが、この年になってやっと「あなたの言っている意味が分かった」と褒められる。
そんなことが何度かあって、それを聞いたときに、大人の私は若い頃の苦しかった自分にやっと花を手向けることができたと思った。
まだ、花を手向けるだけじゃ足りない。もっと抱きしめてあげたいしあなたを探してくれる人はここにいる、大丈夫だと伝えたい。
けどやっと花を手向けることができた。わたしは、まず、それだけで救われる。少し。
あなたを救いたいと思っているわたしが今ここにいる。
わたしはきっと希死念慮に、いや、希死念慮をみつめながら、幼い頃の私にみつめられている。

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