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【短編小説】悲しさの余情

 今の土地で働きだして、もう3年が経とうとしている。
私は忙しくも充実している日々を送っていた。

 仕事が終わり、私は駅のホームにいる。
スマホを観ると、留守電のメッセージが1件入っていた。
母からだった。

 私はメッセージの内容を聞き、すぐに母に連絡をした。
午後6時、帰宅ラッシュの時間だ。
ホームの雑踏で、母の話を聞き取れるだろうかなんて
考えることが出来なかった。

 父が亡くなった。
営業先に向かう途中、交通事故にあったのだという。

 急いで自宅に帰り、簡単に荷物をまとめる。
そして最終近くの新幹線に乗り、父が搬送された病院へ向かう。
新幹線の中では職場にメールをし、休みの申請をした。
整理がついていない、心がざわざわする。

 病院で、父は既に霊安室に移されていた。
母の他に実家の近くに住む、父の兄夫婦と従兄も来ていた。

 それからは、お通夜に葬儀、火葬まで、あわただしく過ぎていった。
あわせて交通事故死ということで、請求関係の問題も生じた。
私には兄弟がいないが、父の兄夫婦と従兄が取り仕切ってくれたおかげで、
滞りなく、済ませることが出来た。

 その後、母のことも心配だったので、
私は職場に、少し長めの休暇届けを追加で申請した。

 実家には正月以来の帰省だった。
あれからわずか2か月ほどしか経っていない。
何が起こるか、本当にわからないものだ。
母には、なるべく普段通りに接することにした。

 母と一緒にスーパーに行くと、春野菜がもう並んでいた。
エンドウ豆があったので、今晩は豆ごはんにしよう、ということになった。

 夕方、母と一緒に縁側で、エンドウ豆を房から取り出す。
「今日は豆ごはんと、厚揚げがあるからそれを炊こうかしら。」
「いいねー。」
そんな会話をしながら、ボウルには房から取り出された
エンドウ豆が重なっていく。

 ピーンポーン、と玄関の呼び鈴が鳴る。
母が玄関へ向かい、ビニール袋を片手に縁側に戻ってきた。
「これ、隣の奥さんが持ってきてくれたの。」
ビニール袋の中には保存容器が入っていた。
容器のふたを開けてみると、
中には炊きあがったばかりのちりめん山椒があった。
「わーいい香り!」
思わず大きな声で言ってしまう。
「あの人、上手に作るのよー!本当に美味しいの!」
母も嬉しそうだ。
「おかずが一品増えたね。」
と言いながらふたりで笑った。

 私と母は、美味しい夕食を堪能し、風呂も済ませテレビを観ていた。
「ここにはいつまで居れるの?仕事、大丈夫なの?」
母が心配そうに聞いてくる。
「うん。仕事用のPCも持ってきてるし、だいじょーぶ!」
そういってこたつに潜り込む。
「寝るなら布団にいきなさいよ。」
「わかってるよー。」
 
 私は母が布団に入った後、泣いているのを知っている。
父とは突然の別れだったし無理もない。
いつになったら母が大丈夫になるかなんてわからないが、
もう少しここに居ようと思う。

 「今日はちょっと出かけてくるわ。」
朝食を食べているときに母が言った。
ちりめん山椒をくれた、お隣のおばさんに
「ランチに行こう」と誘われたらしい。
「いいねー、行っといでよ。」
お隣のおばさんも、母を気がかりにしてくれているのであろう。

 朝食後、私は母に「家事は私に任せて」と言い、
母に出かける準備の時間を作ることにした。
「今日のランチはどこに行くの?」
「お寿司!」
「お寿司?もしかして、あそこの?」
「そうそう!!」
母の言っている寿司屋は、ショッピングモールの中にある
ちょっと高級な回転寿司屋のことだ。
「お寿司を食べて、映画を観るかショッピングするか、迷ってるのよね。」
母の嬉しそうな言葉に、デートかよ、と思い少し笑ってしまった。

 洗濯をしている最中にスマホにメールが入った。
「この前頼んでおいた資料を、クライアント先に送付してほしい、今日中に。」
という内容だった。
そうだ。すっかり忘れていた。
なぜこの時代に、うちの会社はデータでやりとりしないのかと
不満はあるが仕方がない。
急いで仕事用のPCを立ち上げ、フォルダ内に収めていた資料を
自宅のプリンターで印刷をする。
あと切手は郵便局で買うとして…。
この家には封筒ってあるのかな。

「お母さん、A4サイズの封筒ってある?」
家を出ようと、玄関で靴を履いている母に尋ねる。
「お父さんの机の引き出しにあるはずよ。」
 営業職だった父は、家でも仕事をすることが多く、
そういった備品はストックしてあった。
「そっか、ありがとう。気を付けていってらっしゃい。」
「はあい。行ってくるねー。」
母を送り出し、私は父の仕事部屋へ向かった。

 家の奥にある父の仕事部屋。
父は我が家に唯一ある洋室を、自分の仕事部屋にしていた。
扉を開く。
出窓からは日が差し込み、父の机を照らしていた。
私は机の前にしゃがみ込み、一番下の引き出しを開ける。
その時。
ふわっと父のにおいがした。
布製でできた椅子からだろうか、父のにおいがするのである。

 私の心の中で突然何かが溢れてきた。
父が亡くなり、悲しくなかったわけではない。
葬式でも、火葬場でも涙は流れた。
だが、今のこの感情とは違う。
一気に何かが溢れかえり、私は子供のようにぼろぼろと涙を流した。
 思い出すのは、
わからない算数を教えてもらったこと。
夜中に腹痛を起こした私の背中をなでてくれたこと。
作った卵焼きが焦げたのに食べてくれたこと。
父との他愛もない日常ばかりが頭を駆け巡る。
「お父さん。さびしいよ。」
A4サイズの封筒を見ながら、私はしばらく動けなかった。

 悲しみというのは、人によって受け入れ方は違うのだ。
悲しい時に泣けないのは、悲しくないわけではない。
そして涙というものは、感情を受け入れるときにも
流れるものなのだと思った。

 封筒を出しに郵便局へ向かった。
帰り道、商店街にある和菓子屋で団子を買った。
家に戻り、父の机に団子とお茶を用意した。
私は父のにおいがする回転椅子に座り、団子をほおばる。
「やっぱ、ここのは美味しいね。」
父の回転椅子でゆらゆらしながら、出窓から入る西日を見る。

 今晩は、母と父の話をいっぱいしよう。
話してもよかったのに、話そうとしなかった。
「ねえ、お父さん、何から話したらいいかな。」












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