同窓会@ひろしまへ行こう【0日目】

★本記事は、2022年9月下旬に旅した旅行記の下書きを、2023年3月に発見し、掲載するものです。よって、投稿日と旅行時期に大きな乖離があることをご承知おきください。

金曜日の夕方。前日飲みすぎて二日酔い気味の私は新大阪駅にほうほうの体でたどり着き、なんとか予定していた「さくら」に乗ることが出来た。

山陽新幹線のイメージ

最近おなじみになってきた『いい日旅立ち』のチャイムと、旅の雰囲気を醸し出す車内放送に耳を傾ける。
私は流れる武庫平野の景色を眺めながら、『なぜ旅行の前日に飲みすぎたんだ』と後悔しながら、ちびりちびりと水を飲んでいた。午前中は会議ができるくらい体調が良かったのだが。

山陽新幹線で岡山なんて言うのはすぐである。
山陽道で岡山へ行くことを考えるとなんてありがたい乗り物なんだと思っていると、今回は姫路城を見るのも忘れるくらいの勢いで岡山駅へついた。

今回の旅行の目的の一つに、8000系電車に乗るということが挙げられる。
もっとも前述の通り当初は松山なんて行く予定はなかったのだが、こうなればついでに乗っておきたいとなったのだ。
私はJR四国の特急型にはほとんど乗り尽くしている。しかし、唯一「しおかぜ」に用いられる8000系電車にだけは乗ったことがない。予讃線を行き来するときは金の都合で普通列車に揺られていることが多かったのだ。故に8000系電車に追い越された経験はいくつかあれども、乗った経験はない。

8000系電車(松山駅で撮影)

思えば不思議な形をしている特急形である。
「ありそうでない」といえばいいのだろうか。

前面展望に力を入れているわけでもないのに、大きなパノラミックウィンドウが目立つ。JR九州であればもう少しゴテゴテに21世紀を意識したようなアヴァンギャルドな見た目になっていたであろうが、そのような厳つさや、メカニックな意匠というものもみられない。
実はよく見ると特徴的なフェイスである2000系気動車の非貫通フェイスと比べると凡庸さは否めない。かといって不格好というわけでもない。変わった特急形だ。

私は引き続き二日酔いの残り香があったので、夕飯時でありながら駅弁は諦めることにした。
予讃線特急というのは意外と時間がかかるもので、岡山から松山まで実に3時間半以上の時間をかけて走る。岡山駅を出るのが18時前でも、松山に着く頃には21時になるが、まあ着いてから食事のことは考えるとしよう。


8000系電車の指定席の様子

8000系の指定席はよく出来ていて、指定席が更新車、自由席が未更新車という割り振りになっている。
四国特急は伝統的に自由席の利用率が高く指定席の利用率が振るわないといわれているが、こうも見せつけられると「指定席にしようかな」という気分になるものである。

2000系気動車にも言えることなのだが、あの「昔のJR四国の特急型普通車」の背もたれにはどうも頼りさなさがあるのだ。間接照明の具合も申し分なかった。

列車はそこそこの乗車率で岡山を出発、自由席号車はデッキで立つ人もいるくらいだった。胃の疲れがきていた私は茶屋町辺りから爆睡、起きるとすでに瀬戸大橋の上の人だった。瀬戸大橋に入るときの、響くような轟音に気づかなかったのだ。

私は寝ぼけ眼で夜が下りてきた瀬戸内の島々を認めるとまた就寝、結局伊予西条あたりまで起きたり寝たりを繰り返すような形になってしまった。
都市部ならいざしらず、地方を走る列車の夜の車窓というものはノイズの中から遠い国のラジオを聞くに等しいようなものだから、まあよかろう。

そこからは目を覚まして、スマホをいじったり持ってきた本を読みながら、今治へと列車が入っていくのを眺める。

予讃線はこの今治に寄るために四国の縁をなぞるように大きくカーブしていて、一方松山自動車道は伊予西条から一直線に桜三里を超えて松山へと向かっている。ここが予讃線の悲しき宿命で、自動車をかっ飛ばせば2時間はかからない高松・松山間も予讃線で回ると2時間半を要してしまう。
実際「しおかぜ」もここまで来るとガラガラだ。逆に言うと「しおかぜ」の東予の各都市の需要の高さが伺えるともいえよう。

今治を出てしばらく行き、四国ではおなじみの太陽石油のそれは立派な製油所をながめたりしていると、程なくして伊予北条、そして松山と着く。松山駅の手前では高架化の工事をしていて、そうか、と高架化事業のことを思い出した。車中の睡眠で胃の調子は持ち直したが、今度は腹が減った。松山には交換待ちの関係で少し遅れて着いた。


縦列で乗り換えができる松山駅

松山駅では縦列駐車の要領で「宇和海」と「しおかぜ」が同じホームに停車し、旅客はホームを前後に移動するだけで乗り換えができる寸法となっている。これは乗り換えに不案内な、地方から出てきた人には非常に安心できるしくみであろう。私はこれが高架化で見られなくなるのかなと思いながら、その様子を収めて駅を出た。

ホテルは駅からほど近くであった。
なんでも先着順ながら無料でカレーを食わせてくれるとあるので、まあ腹の虫納めに、と頂くことにする。幸いにもご飯は残っており、横で湯煎されていたレトルトカレーをかけて部屋に上がる。福神漬けなども備えられているのはレベルが高い。

ただ、どうも間違えて喫煙室を取ってしまったようで、少々たばこ臭い部屋ではあったがよく見ずに予約した私のせいであるから仕方がない。
設備は全般的に古びていて、同軸ケーブルのインターネット接続口があったのには驚愕した。教科書か教授の昔話でしかそのようなものは見聞きしたことがなく、実物を見たのははじめてだった。
設備が古い分、カレーのサービスなどで補填してくれているのかもしれない。上には漫画コーナーなどもあるらしい。


見知らぬ「インターネット端子」

カレーを食べた後、スマホで調べてみるとまだ道後行の電車が出ているらしい。なら行ってみるか、と駅まで歩いて、路面電車に乗って道後温泉へ行く。
道後へ行くのは5回目くらいで、本館に3回、出来たばかりの飛鳥乃湯に1回で、椿の湯にはまだ行ったことがない。本館の下等のお湯はまだ工事中であったから、せっかくなら椿の湯へ行くことにした。

乗った電車は折り返しが道後温泉発の最終らしい。
当然風呂に入れば最終など間に合わない。調べてみると歩いて30分~40分くらいで松山駅へは戻れるそうだから、タクシーが捕まればそれで、捕まらずとも歩けばいいやくらいに思っていた。


椿の湯

椿の湯は地元の方向けに建てられた施設で、本館に見られるような装飾的なものは見られず、ただただ広い風呂が真ん中にある、かなり広い銭湯という印象の施設だ。
しかし湯は道後の熱くしっかりとしたもので、少し気温の下がってきた頃合いにはちょうどいい湯であった。

帰りはカレーでは食べたりない感じもしつつも、22時を超えた今から鯛めしやらラーメンやらフルサイズの食事をするのはなあ、と思って温泉街をふらついていた。
道後に来ていつもびっくりするのがいわゆるピンク街、ここまで有名な温泉地でありながら、あからさまな「無料案内所」があるのは道後くらいではないだろうか。古くは温泉地といえば『オトナな施設』がつきものだったそうだが、平成生まれの私に取っては逆に新鮮に映るものである。私はそんなところに用はないので、そのまま温泉街を抜けてはてどうやって帰ろうかとGoogle Mapで調べた。

すると、なんと今から上一万で急いで向かえば松山城の北側を通る電車に乗って古町まで帰れるらしい。
古町は松山駅の2つ手前の電停だから、そこまで帰れれば万々歳である。早速急いで上一万へ向うと、交差点にはすでに電車がやってきていた。
信号を渡ると間に合わなさそうなので、そのまま次の平和通一丁目へダッシュ、電停はどこだろうと探してみると、ちょうど併用軌道が専用軌道に入るところの路地みたいなところに駅名標を見つけ、なんとか間に合った。

平和通一丁目電停

私はそのままほとんど交換待ちをしない路面電車に乗って古町へ到着、そこからホテルまで歩いて戻り、就寝の途へついた。



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