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旅行先でかばんをなくすと面倒という話

うまくやり過ごせば10連休になる休みが終わって早3週間になろうとしている。次の祝日は7月まで無い、という絶望の淵にいながらも、日々の業務をこなす今日このごろ。そして、いい加減傷が癒えてきたので、表題の件についてちょっと記録を書き留めておきたいと思う。

言でまとめると:繁華街での多量飲酒には気をつけよう
二言いうなら:免許証は無くして変に見つかると面倒

事件発生までのサクッと東京探訪記

今年の10連休のうち、4日間は東京に滞在した。
もともとは『連休中の東海道昼特急号に乗るとどれくらい遅れるのか』という単純な興味があり、なんの予定も持たずに偶然空席のあった昼特急号に大阪駅から乗車、結果2時間遅れで東京駅日本橋口へと降ろされる結果となった。本来はその件についてもnoteかYoutube動画を残したかったのが、後述の理由より今のところ断念している。(メモはあるので、機会があれば整理するかもしれない)

ざっくり事件発生までの私の東京滞在記を整理すると、1泊目と2泊目は新宿区某所に宿を取っていた。
東京についた日は開放された地点ですでに18時を回っていたので、中央線快速で新宿へ向かい、宿で荷物をおいた後、新宿の思い出横丁で食事をした後にゴールデン街で酒を飲み、宿へと戻った。
2日目は『そういえば明治神宮へ行ったこと無いな』と新宿の宿から最近流行りの電動キックボードを駆使し明治神宮を参拝、帰りしなに道に迷い青山霊園の真ん中を走る羽目になるなどのトラブルに見舞われたが、無事にキックボードの返却場所にしていた乃木坂へ戻ることができた。その後は錦糸町のサウナにざぶんと入った後、上野の立ち飲みでで酒を飲んだり、銀座のコリドーで酒を飲んだりして宿へと戻った。

明治神宮

3日目は平日だったので、宿をチェックアウトした後に、平日のみ公開されている武蔵野のNTT技術史料館へと向かった。個人的に電気通信史には交通史と等しいくらいの関心があったので、大変学びのある来訪で、ついつい長居をしてしまった。

国内初の携帯電話とも言われる大阪万博で発表されたワイヤレステレホン
(NTT技術史料館展示物)

そして、その後都内に戻った後に、事件の夜を迎えるのである。


都内酒場放浪記、或いは深酒のプレリュード

まず、ここまでの記述で「こいつ毎晩酒を飲んでいるな」と思われた方も少なくないだろう。あまり言ってこなかったのだが、このえ氏の趣味の一つには『立ち飲み』『ハシゴ酒』というものがあり、昨今は感染リスクに十分配慮した上で時折行っている。要するに酒が好きなのだ

武蔵野から戻った私は、当日の新幹線に乗って大阪へ帰ろうか、それともどこかに泊まって翌日のスカイマークに乗り大阪へ帰ろうか考えあぐねていた。ただ、翌日の夜には京都市内で用事があるから、あまり遅くなるのも困る。例えば再び昼特急に乗ったり、普通列車で東海道横断、などはちょっと時間的にしんどい。費用的にはカプセルホテルに泊まればどちらも差がないし、一度は羽田から飛行機に乗りたいなあなどとうだうだ思案しながら西武新宿線に乗っていた。東伏見から乗った電車は上石神井で急行に連絡、ちょうど夕ラッシュにはまだ早いくらいの時間帯だった。

そのうちに乗っていた急行電車が高田馬場の手前をトロトロと走行し始めた。遅いな、平日の日中ダイヤでこれは詰まり過ぎではと思いながら車窓を眺めていると、そうだ、と思い出すことがあった。
一度北千住に行ってみたいとある立ち飲みがあったのだ。
そこは日祝休業であって、混むことでも有名だから、なるべく平日に行っておきたい。それなら今日はちょうど渡りに船、ということで山手線経由で北千住へと向かうことにした

そこからその日の私のはしご酒は始まった。

北千住には16時ごろに着いた。1時間弱ほど店頭で並んだ後、そのお店で喫食、店を辞したのは多分18時過ぎではないだろうか。店のクオリティはそこそこ高く、甘めのハイボールなどがあったのが印象的であった。

その時はまだ新幹線には乗るつもりがあったので、新幹線に乗る前に一軒だけ行こうと日比谷線で茅場町へ行った。なぜそんなところへ、というのも前行った店に行こうとしたのだ。しかし、連休中のため休業だった。

仕方なく都バスで東京駅まで移動し、有楽町近辺で高架下のお店に入った。なんでも戦後間もない頃からやっている店のようで、雰囲気ある店だ。関西ではガード下の飲み屋というのが元町高架下か梅田の新食堂街くらいのものなので、ちょっと新鮮な感覚がある。そうこう飲んでいるうちに時間は21時を経過、急いでも東海道新幹線に間に合うような時間ではなくなってしまった

ホッピー飲めば自ずと帝都の風が吹く

流石に時節柄ネカフェは衛生面が心配だ。しかし幸いなことに学生時代サークル仲間で定宿にしていた安宿がこれまた新宿にあるので、中央線の快速電車に乗って新宿へ移動した。ちょうどそれくらいのタイミングでスカイマークの羽田→神戸便の予約を取り、無事に帰りの手段を確保することができた。

正直、普段の私からするとここまでで『泥酔』というほどは飲んでいない。四時間ほどの時間でホッピーセット一杯、ハイボール三杯、ビール二杯程度であるから「まだなんとかなるな」といううぬぼれが事態を招くのであった。

かばんを無くして大阪へ帰る方法(このえ氏編)

ゴールデン街について

さて、新宿にはゴールデン街という街がある。新宿区歌舞伎町一丁目、ちょうど丸ノ内線の新宿と新宿三丁目の間の、どちらかというと新宿三丁目寄りにある区域で、木造の長屋づくりのような建物が立ち並んでいる飲み屋街だ。多くの店はスナックといえばいいのだろうか、バーといえばいいのだろうか、店員さんが一人いて、その人がお酒を出したり、来た客と会話をしたりしている風景がよく見られる。私は大学生の時分に用事で上京して立ち寄って以来、私が東京に行けばほぼほぼ立ち寄る地であって、ここに行くためだけに新宿に宿を取るくらい、この地は好きだ。

一応、札幌以外の五大都市では飲み歩いた経験があるが、『ゴールデン街』たる雰囲気はあの新宿区歌舞伎町一丁目の一角でしか出せないものだ。大抵の店が八人も入ればいっぱいになるような広さなので、店の『グループ感』のようなものが強く、よそ者がフラット行ってもそのグループ感に包み込んでくれるような店が多いのだ。小さな『会館』『ビル』レベルでは似たようなところが各地に散見されるが、あの百を超えそうなくらいの店の数がありながらも、怪しさがありつつも大人の欲望を不思議と感じさせない佇まいは独特といっていいだろう。ただ、ゴールデン街を一歩出れば『歌舞伎町』、区役所の眼の前とは思えないような、あらゆる情報の光が波のように押し寄せてくる街が待ち構えている。この立地もなんだかゴールデン街の特殊性をより押し出しているようで、好きだ。

こういうところでなんとなく隣になった人と話したり、お店の人の話を聞いたりするのは、どことなく『ハレ』の非日常感があって、東京に来たな、と楽しく過ごすことが出来るのだ。

もちろん、楽しいことに対してのお釣りは払わないといけないのだけど。

新宿はゴールデン、そして酩酊へ

私は中央線快速に乗って新宿にたどり着くと、ひとまずゴールデン街へ行った。というのも昔行った店が初日に来た時は祝日休業で、平日の今日ならやっているのではと思ったからだ。

結果として店はやっていた。店員さんは都合があって変わっていたが、色々と話したり、お酒を楽しんだりしていい気分になっていた。

酔っ払いというものは自身を酔っ払いとして認めないものである。恐らくこの地点で判断力は十二分に欠如しつつあったのだが、「まあいけるやろ」ということで宿も決めずに、数杯飲んだところでお店を辞した。

この辺から記憶が曖昧で、とりあえず他の店に行った。店で何を話したのかは覚えていない。その後もう一度他の店に行こうとして、戸をくぐると、なんと元の店に戻っていた。航空機の操縦時にトラブルが発生した際、自分が向かっている方向がよくわからなくなる『空間識失調』というものがあるらしいが、まさにそれに出くわしたような感覚だった。この辺でもうよしておけばよかったのだろうが、またこの店で一杯飲んでしまい、店を辞した。恐らく午前2時は回っていたと思う。

店を出てから、近くにある花園神社に行こうとしたことだけは覚えている。
次にどこかに入ったのかもしれないが、どこかで何かを食べたり飲んだりした記憶はない。

私にある次の記憶は午前5時過ぎ、やっと明るくなってきた明治通り沿いの道端に座り込んでいる寝ている姿だった。カバンはすでになかった。

かばんがない

私は酔っていようが酔っていなかろうが、なくし物の達人だ。財布、携帯、鍵といった身につけるものはたいてい紛失した経験がある。極めつけは大学の卒業式帰りにもらった学位記を置き忘れたことすらある。NORI_LOGで取り上げた旅行の中でも、日南線にタブレットを置き忘れ一騒ぎしたこともあるくらいだ。
まずこういう時は落ち着いて持ち物の確認をすべきだ。
カバンは先述の通りすでに無い。
その時着ていた上着には定期入れ、スマートフォン、なぜかモバイルバッテリーが入っていた。他の持ち物は全部カバンの中だったようだ。財布すら手元にないので、現金が手元にないのは困った。

私はこの瞬間、カバンは盗難にあったと悟った。
というのも、携行していたのは旅行に唯一持っていっているカバンで、カバンの中はノートパソコン、カメラと価値のありそうなものの見本展示場状態だったのだ。これでは財布の中にあるカード類も危ういと思い、その場でスマートフォンで銀行やカード会社などの紛失受付に連絡した。銀行によってはアプリで受付もあり、時代の進歩を感じる一面もあった。

次に届けを出すべく、その足で交番を探した。幸いに交番は近くにあり、そこで遺失届を出した。
「盗難にあったと思っているなら盗難届では?」と思う向きの方もいるかもしれないが、盗難届というのは確実に盗難に遭ったと主張できる状態なければ出せないものだ。この状態では「どこかの店に置き忘れている」という可能性も十分あるし、だいいち捜査してもらうにせよ、本人の記憶が上記のとおりでは調べようもない。無理を通せば盗難届にしてもらえたのかもしれないが、ひとまず自分の記憶に頼りげがないというあまりにも悲しすぎる事実がある以上、紛失届を出すことにした。

大阪府警ではあまりみないような、愛想のいい若い警察官の方に言われるように、二日酔いというよりかはまだ酔ったままの頭で何が入っているか思い出しながら、遺失届を提出した。正直ロクに寝ている状態でもないので、フラフラの字を書いた記憶がある。ここは新宿ではなく四谷の警察署の管内になるそうで、「東京は一つの区に複数警察があるのか」と少し感心しながら、「現在都内でそのような拾得物はない」と温かい声ながらも無情な回答を得て交番を辞することになった。

次にすっかり明るくなった新宿の街を歩きながら、どうやって帰るかを思案した。幸いにもスマートフォンが無事だったので、羽田にさえ行けば予約メールに書かれた番号から航空券を引き換え、神戸空港まで飛ぶことができる。しかしながら、羽田まで行く手段、そして神戸空港から家まで帰る手段を考えると、困る。残された定期入れにクレジットカードとPiTaPaはあったので、関西であれば何も気にせずに公共交通機関を利用できる(注1)が、PiTaPaにチャージ残高はほとんどない。
羽田までタクシーか、と半ばあきらめていたところ、スマホのアプリにモバイルSuica、厳密に言えば楽天PayのSuicaを入れていたことを思い出した。これならカードからチャージができるし、JRにもモノレールにも京急にでもなんでも乗れる。これは渡りに船と早速チャージし、事なきを経た。

その後私は朝もやのたちめく新宿駅を跡にして、山手線に乗って品川を目指した。京浜急行に乗ってひとまず羽田に向かおうとしたのだ。羽田に行けばベンチもたくさんあるだろうし、土産物なんかの買い物もできるだろう。そこで休息を取った後、予約を取っていた昼過ぎの飛行機に乗ってやろうという魂胆だ。
しかし寝不足が祟っていたのか京浜急行に乗った後に爆睡、羽田で気づかぬ間に折り返していたようで、起きたら京成高砂にいるという大惨事を繰り広げてしまった。いわゆる4直(注2)というのは恐ろしいものだ。自分に鉄道趣味があるから『京成高砂』なる地がどこだか分かってなんとかできたようなもので、危うくパニックになりかねないところだった。時間には全くの余裕があったのが何よりだ。
眠いまぶたをこすって一旦出場した後乗り直そうとすると、自分の身なりを見て、一つ気になることがあった。

「そういえば自分、カバンも持たずに飛行機に乗るのか……?」

都営線方面へ向かう電車の中で、そういえば今は無印良品週間をやっているから、1割引でカバンが手に入ることを思い出した。意外と都内には無印良品がどこにでもあるわけではないようで、どうもこのあたりだと銀座にあるらしい。私はそこに行くことにした。

着の身着のままの二日酔い男、銀座で買い物をする

若干薄汚れているような上着を羽織り、私は歌舞伎座の眼の前の出口から地下鉄を出た。「これが歌舞伎座か」とほうと思ったものだ。今日も何らかのお芝居があるらしく、品の良さそうな御婦人が周りに何人かいらしたのを記憶している。
銀座の無印良品は11時からと遅めのスタートらしい。私は10時30分くらいにたどり着いてしまったので、その辺をブラブラしていた。銀座と言ってもすべてがすべてハイブランドで埋め尽くされているわけでもなく、無印良品のある一角はダイソーであるとかユニクロであるとか、私が普段使うようなおなじみのブランドの看板を掲げるビルもあった。このあたりは銀座でも比較的庶民的なエリアなのだろう。よくテレビで見る目抜き通りであれば、あまりの場違い感にたじろいていたかもしれない。
私は一階の無印表品がやっているパン屋の香りに鼻孔をくすぐられながらも、二日酔いでとてもじゃないけどパンなんて食べられないなあと思っていたら11時になって、無印良品銀座店が無事開店した。早速私はカバン売り場に参じ、ひとまずカバンが戻ってきても普段の買い物にも使えそうなリュックサックを見繕って購入した。今思えばいまひとつペナペナ感が否めないのだが、値段を考えると妥当だろう。

その後に早速買ったカバンを装備して大通りに出たものものの、山手線の駅まで歩くのが億劫になってしまった。浜松町からモノレールに乗ればいいや、2駅ならすぐだろうと思っていたから、そのへんでタクシーを捕まえて、浜松町まで行ってしまうことにした。料金は1000円くらいだったから、思ったより贅沢の部類になってしまった。
そこからはモノレールに乗り、窓に向かって設置されているロングシートという珍しい作りの座席に腰掛けながら、臨港エリアの景色を眺めながらうつらうつらしていると、列車は空港第一ターミナルに到着していた。

専用車での帰還

ここまでくればこちらのものである。早速スカイマークの自動チェックイン機で航空券を入手し、やることもないので粛々と保安検査場を通過した。着替えも土産もなにも入っていないカバンをよく通してくれたものだ。その後は保安エリアの土産物屋で土産を買い、乗り場前にあった割高な立ち食いそば屋で「なんとかざるそばなら食べられるか?」と朝兼昼食を食べていると、大学時代の後輩、やまだくん(仮名)からLINEがきた。前に弊YoutubeチャンネルであるNORI_LOGで一緒に九州旅行をした、あの後輩だ。

「今日クルマで神戸に行くので、空港までお迎えに上がりますよ」

と、いうのもここまでの顛末はごく親しい身内向けのSNSに書いていた。なのでやまだくん(仮名)はこの愚かな先輩の哀れな窮状を知っていたのだ。私は申し訳ないと思いつつも、疲れもありそれなら、と乗る便の到着時間を伝え、迎えに来てくれることになった。持つべきものは優しい後輩だ。

その後に私はスカイマーク機上の人となった。その日は尾張平野がよく見えて、知多半島も地図で見るように認めることができた。一方で二日酔いの身に飛行機のなんともいえないふわふわとした揺れはしんどく、終始気分は悪かった。こういう時は寝るのが一番、と目をつぶってしばらく寝ていると、ドシンといった衝撃がして目が覚めた。窓の外を見るともうすでに神戸空港だった。着陸時の案内なども気づかずに寝ていたのははじめてかもしれない。

神戸空港に到着

神戸空港の手荷物引き渡し所をうろうろとしていると、ちょうどやまだくん(仮名)と落ち合うことができた。早速彼の自動車に乗り、近くのイオンモールで彼が済ませたかった用事に同行した後、家へ送ってもらった。先述したとおり、私はその後に夜京都市内へ出かけないといけなかったので、車中寝ることができたのは非常に助かった。家に帰るとひとまずの現金などを持ち出し、シャワーを浴びて汗ばんだ体を清め、仮眠をした後に次の用事へ無事出かけることができた。

ひとまず、カメラとノートパソコンという一財産を失ったわけだが、私は無事大阪に帰ってくることができたのだ。

サイフがみつかる

帰ってきて、ふと気がかりなことがあった。
というのもサイフには運転免許証が入っており、それがないと運転ができないのだ。実家を離れた最近ではクルマに乗ることはほとんどないのだが、弱ったことに翌週レンタカーを借りて友人と出かけることになっていた。しかも大人だけであれば電車移動に変更することもできたのだが、友人が小さいお子さんを連れてくるので、極力クルマにするのが望ましい状態だったのだ。自家用車なら最悪免許不携帯で乗るという術もないことはないが、レンタカーの場合、そもそも免許がないと貸してすらもらえない。おまけに同行するメンツの中でもクルマをまともに運転できるのは私だけなので、なかなかに詰んでいる。

ひとまず、その週のどこかで有給を取り、門真(注3)で再発行してもらうか、と思いながらも、万一見つかっていた場合めんどくさいことになるよなと思った私はダメ元で週の中頃に四谷警察署に電話をかけたところ、会計課の若い女性の職員さんから驚きの回答をもらった。

「あ、その免許証、見つかっていますよ」

最初はカバン一式が見つかったのか! と小躍りをしたが、よくよく話を聞いてみるとそういう話ではないようで、サイフだけ見つかったようだ。なぜすぐに連絡が来なかったのか、というとお恥ずかしい話で私が酔いも冷めぬ頭で書いた遺失届の字が汚すぎて、電話番号が間違って登録されていたらしい。
肝心のサイフは路上に落ちていたらしく、親切な区役所の職員さんが拾ってくださったらしい。お名前等は明かしてもらえなかったので、この場を借りてお礼申し上げたい。

しかし、これはややこしい話になった。
というのも、送ってもらった場合は手続きの関係で週末に間に合いそうにないらしく、かと言って四谷警察署にモノがある以上、門真で再発行もできない。どうも私は免許証一枚のために上京する必要があるらしく、それも平日日中の業務時間に伺わないといけないらしい。幸いにも友人との旅行先が名古屋だったので、週末に有給を取り、東京に行った帰りのの足で名古屋へ向かえば、ある程度旅費の節約にはなりそうだ。

私はすぐに上司に連絡し、週末に『手続きが必要なので』と有給を取る旨申請した。幸い仕事が閑散期で助かった。

いま、ふたたびの上京

私は夕刻の新大阪駅に立っていた。時間の都合上、行きは新幹線になった。どうせ行くなら、立ち寄った店も確認しておこうと思ったのだ。久しぶりに東海道を通しで乗る新幹線は恐ろしく速く、車販さんからなにか買おうかとウジウジしていると新幹線のとなりにはすでに山手線が走っていた。

私は今度こそカバンを紛失することないよう、例の新宿の安宿に荷物一式を置いた上で最初にカバンをなくした店を覗いてみることにした。やはり「ない」ということで、哀れに思った常連さんが酒を一杯おごってくださった。その日は当然酒もそこそこに、宿へと落ち着いた。

翌日は朝散歩がてら近くを見たが、当然1週間近く経っているのだから見つかるはずもない。新宿から四谷の警察署まで歩いて行って、サイフは無事に引き渡してもらえた。サイフといっても現金は飲みに使い果たした後で殆ど入っていなかったし、中にある重要なカードはすでに再発行手続きをしてしまっているので、まさに免許証一枚だけのために上京したような格好だ。四谷の警察署は建て替えたばかりのようで、警察署にありがちな閉塞感がなく、病院のような明るいつくりになっていた。

キレイな四谷警察署

その後は都内で買い替えるカメラの候補などをぶらりと見ながら、昼過ぎには名古屋方面へと向かった。新宿から「ふじさん」に乗り御殿場線経由で沼津、そこから「ホームライナー浜松」を利用し新幹線を使わないながらも快適な移動だったのだが、その点を説明する記事ではないので、ここでは割愛しておこう。

こうして、私は無事にサイフは取り戻すことができ、次の日は無事友人とドライブに向かうことができたのであった。

被害の整理と反省

結局、カメラ(2台)とノートPCは今のところ帰ってきていない。他にも着替えの洋服、土産物、KDDIビル内郵便局の風景印入はがきなどもあるが、前者に比べると比較的「かわいい」ものである。

これがシラフで起こしているならどことない腹立たしさを感じるのだろうが、泥酔して起こしている以上何も言えない。酒を飲む時は貴重品を携行しない、いや、そもそもそこまで飲むなよという話だ。自分もそろそろ30代が見えてきているので、いい加減、こういうバカみたいな飲み方は慎みたいものである。
特に日付を越えたあたりのお酒というのは途方もなく楽しいものだが、たいていその後によいオチが待っていることというのは稀なので、終電以降飲みというのはたとえ宿があっても注意すべきだな、という所感だ。

そして何より困っているのが、これでYoutubeに上げる動画を取る機材が全滅してしまった。編集は家のデスクトップパソコンを使っているので問題がないのだが、カメラを二台とも紛失したため新規に動画を撮ることができなくなってしまった。スマートフォンがないこともないのだが、機能的に満足しかねるところがあるし、何より前からレンズの調子が悪い。
この点に関しては正直カメラの買い替えを以前から検討していたので、どこかのタイミングでお金が用意されたところで買いたいところである。
また、そもそも自分のライフプラン(?)の中でYoutubeの動画作成をする、ということに対してどの程度リソースを割くのかも再検討するときなのかな、とも思っている。趣味の小説の方も書きたいものがいくつかあるので、その辺とのバランスを見直してもいいでは、といったところだ。
(ちなみにここ最近一切動画を上げていないのは、資格取得関連で多忙だったのと、小説の方も一つ挑戦したい公募があり、そこに向けた原稿作成に追われていたから、というものある)

思いの外長くなった本稿だが、このどうしようもない酒呑みのバカみたいな顛末を、一笑に付していただければ、なくなったカメラとノートパソコンの供養になるというものである。

以上

(注1): PiTaPaをご存知ない方のために書いておくが、PiTaPaは関西の私鉄・バス・JR西日本の近畿エリアの利用であれば、「ポストペイ」と呼ばれるクレジットカードを使った後払いサービスが提供されている(逆に「チャージ」から支払うことは一切できない)ので、当座のチャージが0円でも近畿圏では電車に乗ることができる
(注2):京浜急行・都営地下鉄浅草線・京成・北総の4社の路線同士での相互乗り入れのことを鉄道趣味の世界では「4直」ということが多い。
(注3):大阪府の免許試験場は門真と光明池にあるのだが、即日再発行はなぜか門真でしか受け付けてくれない

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