テラーの輪転機 異世界部族調査員と開花の少女 第2章 12
12 シオン
「……松岡くん!? しっかりして!」
ツネは意識があるのかないのか、まったく判別できないような状態で、案山子のように佇んでいた。
彼にとって馴染みのある女性の声。
その声の主に激しく揺さぶられて、ようやく彼は言葉を返す。
「……あれ? 小鳥先輩じゃないですか。どうしたんですか? まだ待ち合わせの時間じゃないと思いますけど」
「……そんなこと――……っ! あたしも安心しきってたわ。ごめんなさい。このような事態が起こることは事前に予測できていたはずなのに……ごめんなさい本当に」
「……なんのことですか? それよりもなんか疲れてるんですよね。足が棒になってるというか。帰りましょうよ、ソエラといっしょに」
「……松岡くん」
「あ、先輩またからかうんでしょ? もっとイチャつかんかーい! って。僕は急がなくてもいいと思ってるんです、もっと時間をかけたいというか」
「……松岡くん!」
「……聞いてくださいよ。僕、あの子に嫌われたんですかね? 歩いてたら急にいなくなっちゃって。そしたら、ふて寝ですかね? 動かなくなっちゃったんですよ。まったく、わけがわからないですよ、理由を訊いても答えてくれないし」
「……もういい。もういいのよ!」
「だってさ、いたんですよ? さっきまで、何事もなく。普通に、歩いてただけなんですよ? わけが、わけがわからないじゃないですか……」
力なく小鳥にすがりつき、そのまま泣き崩れる。
小鳥は何も言わず、そんな彼を抱きとめるのであった。
そんなふたりの前に現れたのは、もうひとりの『サロ』であるセマラ。
「……見回りに来てて正解でした。でも、まさかエオ族の残党が、こんなに目立つところ――しかも夜更け前に堂々と犯行に及ぶなんて……」
小鳥は彼女にひとつずつ、ゆっくりと呑み込むように、確認していく。
「……セマラさん。本当に……エオ族の残党が、生きていたの?」
「信じられませんが、そう考えるほかないでしょう」
「捕まえられる?」
「……あなたたちがくれたコンタクトレンズ。これは我々『サロ』にとってある種のリミッターとなってくれています。裏を返せばこれを外せば、小さな血痕でさえ色彩を認識できるということ。落ちている血痕をたどれば……おそらく」
「……セマラさんも、ソエラも。勝てる?」
「――この地に立てられた大碑文の名にかけて、私は、負けるわけには参りません。この命は王のため、常にシャエラ(勝利)で彩り続けなければならないのです」
「……そうね、そうだったわね。ごめんなさい」
「いえ……では、松岡さんをお願いしますね」
「ええ。万が一にも、死なないで」
テラレの戦士・セマラは力強く笑顔で頷き、ソエラと同じように、目にも留まらぬ速さでふたりの視界から消えていった。
「あ……! ソエラ……! 待ってよ、置いて行かないでよ――!」
「きゃっ!? ま、松岡くん!?」
小鳥は乱暴に振り払われて、倒れ込んでしまう。
非力だと思っていたけれど、育ちのよい温室育ちのお嬢様とは、さすがに力比べでは分があったようである。
もちろん、単にそれだけではないであろう。
とうに彼は正気ではない。
彼を突き動かしているのは、突然みずからの元から飛び立った蝶を追いかけたいという意志――ただそれだけであった。
同じ『サロ』の少女・セマラを彼の愛する人と誤認し、彼女の行った方角へと駆けていった。
「松岡くん! 待ちなさい! 行っちゃダメ、ダメなのよ……!」
――異世界『オ・アエセ』東部・テラー王国。
三年前、半世紀にわたり侵略者であるエオ族に雌伏してきたテラー族は、新たに転生した神のもとで反旗を翻し再興を果たした。
王権を簒奪しおよそ考えうる限りの悪逆を尽くしてきたエオ族は、完全に一掃された。
少なくとも今日までは、そうであったと考えられていた。
祭りが行われていた地区からは少し離れた、ひなびた地域の海岸。
祭りの喧騒なんてどこ吹く風とばかりに寝そべっていた少女がいた。
そんな彼女の元へ、ザッ、ザッ……と、近づく音がする。
しばらくして、その音がぴたりと止まる。
リラックスしていた彼女を影で覆うようにして立ちふさがったのは。
ひとりの、紅く染まった少女。
手には、自らの血に染まった凶器を握りしめていた。
それを見て少女は、面倒くさそうに身体を起こす。
「……オンナ(鬼)ってのは、とんでもない執念を持っているね。どんな小さい血痕でもはっきり見えるというのは、本当らしい」
少女は、目の前に立つ少女へ、はっきりとした侮蔑を吐き捨てる。
「詩音(しおん)。エオではセアン。そちらだとサオンってなるかな。一応名乗っておくよ」
少女の名前などお構いなしといった具合で、紅い少女は冷淡に尋ねる。
「……あなたは、人間?」
詩音と名乗る、同じ年齢ほどに見える少女に、まるでそうでないものがいるかのように問いかける。
「そうだよ、お前らがエオ族と勝手に名付けた、まごうことなき人間さ」
「……そう。よかった。なら、あなたを……殺せる」
「おお、こわ。こっちこそ、確実に殺したと思ったのに。『サロ』ってのは、ゴキブリ並みの生命力だよ、ほんと」
「……」
「その、あちこちにある傷……虐待でできた傷? 笑わせる。本当は、こうやってさ、できた傷なんだろ? 私たちとの戦争で、できた傷なんだろ!?」
「……」
ソエラは答えない。
もっとも、このエオ族とみずから認めた少女・詩音にしてみれば、ハナから答えのわかりきった返事など求めていない。
一方的なやり取り。詩音と名乗った少女は言葉を繰り出し続ける。
「テラー族。お前らは、嘘つき集団だ」
「……」
「この世界は嘘だらけだ! 嘘! 嘘! 嘘! み~~~~~~んな嘘!!! 『サロ』なんて死んじゃえばいいんだ! お前ら『サロ』が! 私の家族を! みんな! 殺したんだ!!!」
詩音はありったけの恨みつらみを紅い少女・ソエラにぶつける。
ソエラは、なおも無言。
「……あれで殺せないならそれはそれでいいさ。お前が死ぬまで、何度だって、殺してやるよ」
詩音は鞘に収めていたナイフを両手に握りしめた。紅い少女はそれを見てぼそぼそとつぶやく。
「……別に。わたしが死ぬ分には構わないんです」
ゆらり、ゆらりとしながらも、口調は、だんだんと強く。
「でも、わたしが死んで悲しむ人がいて。そして、わたしがいることでその人の命が危険にさらされることがあるのなら」
最後には、これ以上なく、強い思いがこもっていた。
「わたしは、その人を護らなきゃいけない」
「意見の一致をみたね。要はどっちかが死ぬまで戦うってことだ!」
刹那、詩音が間合いを目と鼻の先まで詰める。
左からの突きを、ソエラは同じようにナイフで応じる。
金属が激しく擦れる音が、遮るもののない海岸に響き渡る。
今度は右。呼吸を整える暇もない迅速さ。
詩音と名乗った少女の動きは、常人ならざるものであった。
だが、人ならざる動きは、ソエラも同様であった。
すんでのところで上体をひねらせたが、完全にはかわしきれず、彫刻のような美しい顔に薄い切り口が生じる。
彼女はみずからの頬からぽたりと落ちる鮮血を、きれい、とこぼした。
「……あなた、それをどこで?」
「ふん、どこだっていいだろ? 私は! この日を! どれだけ待ち侘びたか!」
左、左、右、左――と自動小銃のように繰り出される連撃。
先程まで致命傷を受けて倒れていたはずの身体とは思えぬ足さばきでいなしていたソエラだが、ここは足場の悪い海岸。いくらかしのいでいたところで足を取られ体勢を崩してしまう。
そのスキを、見た目に反して場馴れした少女・詩音は、見逃すはずもなかった。
「独ッ擅場ッッッッ! これで! 二度目ッ!」
倒れ込んだ目標に、ためらいなく一撃。
突き立て、瞬間引き抜く。ソエラの太腿から、間欠泉のように紅い血が噴出する。たまらず首を幾度となく横に振り悶絶する。
「……! あぁ……ぅっ……!」
「足をやった! これで武器の素早さも発揮できないね!」
「……くっ! んッ!」
もう一度凶器を――今度は確実に心臓を刺しにきたので、ソエラはもう片側の足で詩音を蹴り飛ばす。
瞬間身体を丸め、受け身を取った詩音ではあったが、さすがに『サロ』の生命力にうすら寒さを覚えたらしく、額《ひたい》には冷や汗がうかがえる。
「……いくら再生能力が高いと言っても、体の水分が失われていく中で、そこまでの力が出せるなんてね……でも!」
とはいえ、ソエラ側の形勢が不利であることは、一目瞭然であった。
ソエラは傷を受けていない片側の足だけで、なんとか上体を起こす。
足元はおぼつかず、いつふたたび倒れてもおかしくはなかった。詩音はもうすでに勝利を確信し、余裕の笑顔すら垣間見せる。
「その傷を受けた身体で、あとどれくらいかわせるかな? 回復が追いつかないくらい、突き刺してやる!」
左、右、右――と、自在に攻撃パターンを変えつつ、鋭利な攻撃はより研ぎ澄まされていく。
ソエラはそのすべてを、損傷した脚をかばいながら避けていくが――
「――くっ!」
無理な動きで脚は赤黒く化膿し、ステップを踏むたびに血がプクッとこぼれる。ソエラはガクリと崩れそうになったのをなんとか持ち直したが、わずかに脚を気にした間隙に詩音が振りかぶる。
右が来る! と先読みして身体をくねらせようとしたが――
「――!? っは……ッ!」
詩音の蹴りがソエラの腹部を捉える。
おなかの肉がひしゃげるほどに重みを載せた教科書通りの脚技。
ソエラはかなりの距離まで吹き飛ばされ、ふたたび強く海岸の砂を嘗めさせられてしまう。彼女の手からナイフが離れ、ポトリと落ちた。
「ナイフに気を取られすぎ。リーチの長い方を利用しないバカはいないよ」
「げほっ……ごほごほッ……」
腹部を押さえ起き上がろうとするが、顔を歪ませ、むせ返るソエラ。
もしかしたらあばら骨も何本か持って行かれているのかもしれない。
圧倒的な力を持つとされる『サロ』をすら凌駕するこの少女は、いったい何者であろうか――!?
「……『サロ』は尋常じゃない生命力を持っている。だけど、それだけだ」
「まだ、まだ……ま、負けるわけには……!」
「実力差はハッキリしたでしょう? まだ立ち向かう気? ……あの時横にいた男……あの男のため? 護りたい人のためだとでもいうの?」
「……」
「はッ。つくづく甘ちゃんだ。こちとら護りたかったものは、すべてお前らに奪い尽くされているんだ。覚悟の度合いが違うんだよ。人から幸せを奪っておいて、自分だけ護りたいだなんて、身勝手な言い分だと思わないか?」
何かを言いたげなソエラであるが、しゃべることもままならない。
詩音は勝ち誇ったような目で見下したあと、突然別のほうを向く。
「――なぁ? あんたもそう思うだろ?」
「――!? ノ(な)……ノンタ(なんで)……!? ……げほごほッ」
詩音の向いている先には、こちらへ向かってくるツネ――松岡常一の姿があった。
「ソエラ! ソエラぁぁぁーーーーーッ!!」
『サロ』の少女・ソエラはまさかこんなところまで追いかけるなんてバカなマネはしないとばかり思っていただろう。それだけに、その目に映るものが事実なのかどうかわからず、うろたえる。
だが同時に彼女は思い出したのである、自分もまたそのバカな選択をかつてしたのだと――
詩音はナイフをスッと構える。
「おい、『サロ』。私は、手段を選ばないよ。それがたとえ、罪もない、同じ人間を手にかけることになってもね!」
大気を劈くように。
むくんでパンパンの脚、腹部の鈍い痛み、貧血で朦朧とした意識――それらの感覚が迫り来るのすら追い越して。
彼をかばい、投擲されたナイフを受けきったのであった。
ナイフが無慈悲にも彼女の左手のひらに突き刺さる。
まだどれほど身体から出るのかというほどに、澄みきった血が滝のように落ちていく。苦悶に身体を烈しく震わせる。
「ぅあぁああああぁッ!」
「ソエラ……っ!?」
「そいつを護りたいという意志は本物のようね! 褒めてあげる! ――でも!」
即座に間合いを詰める詩音。
彼女の残ったもう一本の凶刃が定めるは、松岡常一!
「ツネ! コマン(ごめん)っ!」
ソエラは詩音に悟られぬほどの小さな動作で、ツネの足を払う。
非力な彼はなすがままに体勢を崩す。
詩音の視界からは突然標的の男が消えたように映ったことであろう。
「――なっ!? き、消え――」
と同時にソエラは片足を軸にして跳び――詩音の死角から、脳天に思い切り回し蹴りを決めた。
ソエラよりも小柄な身体は、高く宙を舞い、大きく吹き飛ぶ。
ソエラも受け身を取れず、慣性に従うがまま地面に叩きつけられる。
傷ついた太腿からは、決壊したダムのように血があふれ落ちた。
いったいこの戦いでどれほど血を流しているだろうか。致死量の数倍ではきかないかもしれない。
「ソエラっ! ……ソエラぁぁ……」
ツネはこの攻防を目で追うことすらできず、かける言葉すらも見つけられずに、ただひたすらに彼女の名前を嗚咽混じりに呼び続けることしかできなかった。
まあ、命のやり取りなどとは無縁の人生を送ってきた青年である。彼が特別情けないというわけではないとは思われる。
泣き崩れしわくちゃの彼を見て、幼き新妻のソエラは仰向けのまま嬉しそうに微笑む。
「……追いかけて……くれたんですね。バカな人です……ごふっ!」
「……あああ……ソエラぁぁぁ……」
「だいじょうぶ……少し経てば、身体は再生します。だから、どうか……泣かないで」
「……でも、でも……! ごめん……ごめんよぉ……!」
「ふふ、なんで謝るんですか……あなたを危険な目に遭わせた、わたしの方が……げほっ、ごほっ……!」
「……僕は、君に、護られてばかりで……!」
「何を言ってるんですか。わたしに力を与えてくれたのは、あなたなんですよ……でも、さすがに、疲れました。……少し、眠らせてください――」
みずからの血でまみれた全身をぬぐうことのないまま、白の少女は、ゆっくりと双眸を閉じ、小さな寝息を立て眠りについた。
とりあえず死は免れることができたらしい。
ツネはほっと胸を撫でおろす。
けれど、戦いはまだ終わっていたわけではなかった。
「恨めしいなぁ……。お前だけ、幸せそうに! 私は、わたしは……ッッ! そんな、そんな幸せさえッッッ!」
軽い脳震盪を起こしているのであろうか、それでもおぼつかない足下で、詩音がふたりに近づいてくる。
手には凶器が握られたまま。
ソエラがここまで血を流した相手に運動神経皆無のツネがかなうはずもないことは、彼にもわかっていた。観念して、彼女の上半身を抱えたまま目を閉じる。
「あっ……」
次の瞬間、詩音は後ろから刃を突き立てられた。
体術などでは圧倒していた詩音ではあったが、『サロ』のような常軌を逸した生命力はない。即死であった。
美しい青と白のコントラストを描いていた海岸は、ふたたび紅々とした死期彩で染められる。
その剣を持っていたのは、もうひとりの『サロ』の少女――
セマラであった。
「この世界は王の作り上げた芸術そのもの。お前のような異物が生きてていいところではない――エオ族のヒトよ、死して身の程を知るんだな」
ツネは茫然自失としていた。
異世界オ・アエセ――楽園であると思われていたその地も、依然として血生臭さを拭えない世界であったことにショックを隠せないでいた。
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