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テラーの輪転機 異世界部族調査員と開花の少女 第3章 1~4

1 テアソエ(追想)

 テラー王国へ入国する前に一度ワクチンを打ちに訪れた施設。
 それはメニアイル・ホールディングスや製薬業のアマテラス製薬と共同で異世界『オ・アエセ』渡航者向けの医療施設を提供している神聖会グループの病院である。

 ツネ――松岡常一はこの施設で検査とワクチン投与を受けている彼の妻を、病室前の座席で待っているところであった。

 病院と研究所が一体となった場所である、とだけツネは聞かされているのであったか。日本や他の先進国でもなかなか見られないほどに巨大で立派な施設である。

 広大な太平洋に浮かぶ島、という物資の調達にも大きなコストが掛かり、なおかつ限られた立地の中、これほどの建築物があるということ自体が、ある種奇跡的ですらある。

 それほど大きな施設であっても、病室前の座席に腰掛けていたのは、彼と藤井さんのふたりだけであった。
 
 不自然なほど人払いがなされている。
 
 本当にここは病院なのであろうか、人体実験の施設なのではないか――
 あの悲惨な戦いを目の当たりにしてしまったあとでは、ツネもさすがにそのような疑念を抱かずにはいられない、といった様子である。


「まさかこんな形で一時帰国することになるとは、思いませんでしたよ」

 このように話すツネの表情からは、明らかな落胆の色が読み取れた。
 
 彼の横に付き添って話を聞いていたのは、最初に異世界へと足を踏み入れた時に途中まで案内してくれた、藤井波瑠(ハル)。
 キャビンアテンダントさながらの、上半身の暑そうな黒い制服姿は相変わらずであった。  

「お話はだいたい小鳥から伺っております。大変なご苦労をなされたようで、お疲れ様でした……」

 心の奥底の叫びたくなるような思いを、誰かに聞いてもらいたい。
 そんな、切羽の詰まった思いからであろうか。
 
 彼はいつもよりも余計に、言ってしまえばメニアイルの部外者である藤井さんにさまざまなものをぶつけるのであった。

 部外者であるとはいえビジネスパートナーでもあり、テラレ王国の事情にもある程度通じている――という近すぎず遠すぎずの距離感が、今の彼にはこれ以上なくありがたいものだったことであろう。

「……勝手ですよね。異世界なんてところに案内されて。小さな女の子を嫁にしろ! なんて言うとと思ったら、今度は急に帰れだなんて」

「……小鳥はあなた、それにソエラちゃんのことを案じているのですよ。あの事件以降、テラレ族の民衆の間では大きな不安が広がっている。今あなた達がいては無用な混乱が起こるかもしれないと。安心してください、ほとぼりが冷めたらきっと――」

「……すみません、今僕すごくイヤなヤツでしたよね。先輩が僕たちのことを思って帰してくれたのに、僕は……」

 藤井波瑠は優しい女性である。
 彼女は、一度たりとも、彼を責めたりしない。
 聞き上手に徹し、そのうえで本当に必要な言葉をすくい上げてくれる。
 
 奥ゆかしい、というのはきっとこういうことなのであろう。

「いいんじゃないでしょうか。あなたにはそう見えるようなことでも、聞いている方はそう感じていなければ。ご自分を責めなくてもいいんですよ」

「……ありがとうございます。そう言ってくださるだけで、だいぶ、楽になります」

「……ふふっ。それにしても。私と最初にお会いした時は、まったく乗り気ではなさそうでしたのに。お変わりになられて」

「そう、でしょうか」

 そういえば、あの時も気づかず藤井さんに愚痴ってしまっていたかもしれない、と思い返してツネは少し気恥ずかしくなる。この人ならば受け止めてくれる、と思わせてくれる物腰のやわらかさが、そうさせるのであろうか。

「ええ。いいことだと、私は思いますよ。大切な人が、できたんですね」

 藤井さんは成り行きでツネに嫁入りした少女・ソエラが通された部屋へと視線を移す。顔をうつむかせるばかりであった彼も、つられて閉ざされた扉の方を見上げる。

「……はい」

「羨ましいですね。そこまで想われる彼女が。私も恋がしたいなあ」

「な、なんかそう言われると急に恥ずかしくなってきたんですけど……藤井さんはあんな小さな子を本気で愛する成人男性なんて、ヒキません?」

「そりゃあー日本でそんな人がいたら事案ですしドン引きしますけど」
「うッ」

「……いいんじゃないですか? 性的なものがなければ、それで。それに、私がどう思ったところで、あの子への想いは変わらないでしょう?」

「なんというか、藤井さんは……大人の女性ですね」
「……それ、口説いてます?」

「えっ!? い、いや違います違います、決してそんなんじゃ……!」

 思わぬ彼女の回答に、ツネの顔が真っ赤に染まる。
 ふと彼の脳裏に以前逢った時にもドギマギさせられるようなやり取りがあったことが思い起こされる。彼女も小鳥や法子、ソエラ同様に、思わせぶりなことを言っては男を手玉に取って困らせてくるようなそんな人であった。

 もちろん、困らせられるんだけれど、彼にとって嫌ではない。このドキドキ感は、不思議と心地いい。


 少し間を置いて、藤井さんはゆっくりと。
 しみじみと懐かしむように、過去の話をはじめるのであった。

「――実は、私にはあの子より少し小さいくらいの、年の離れた妹がいたんですよ」

 それからの藤井さんは、みずからの話に没入していくようであった。

「もっとも妹は、再婚相手の連れ子だった私のことを認めてくれず、家族じゃない、出て行けと、さんざんに嫌われてましたけどね。それでも、かわいいものでしたよ」

 ツネは戸惑いながらも、なるべく聞き役に徹しようとするのであった。彼女が、そうしてくれたように。

「……いえ、どこかにまだいると信じていますけどね。どこかへ旅に行くと言い残して、突如行方不明に、なったんです」

「え……!?」

 ツネは思わず声を漏らした。自分のような経験をした人がこんなにも身近にいたことに、彼は驚きを隠せなかった。 

「通学のために上京していた私だけが不参加だったんです。這ってでもついていくべきでした。妹も含めて家族を全員失い、親戚の藤井家に引き取られて育てられました。大切なものは、本当に、いつ失うかわかりません。いつ今生の別れがきてもいいように日々を後悔のないように、彼女と生きてください」

 彼は、言葉を発することができずにいた。

「……っと。すみません、急にこんな、暗くなる話をしちゃって。でも彼女を見ると、つい妹――詩音(シオン)のことを思い出しちゃって」


 詩音。

 
 その名前に、彼の眉は大きく動いた。
 もしかしたら、という疑問がどうしても頭から離れないのであろう。

 けれどこれ以上は、踏み込んではいけないような気がしたのであろうか。
 なるべくおくびにも出さず、平静に返すように努めているように見受けられた。

「い、いえ……」
「あなたになら、打ち明けられると思ったんです。不思議ですね」

 ツネが彼女に対して思っていたことを、彼女もまた、思っていたようである。
 

 ところで、彼が彼女に言い出せないでいること。
 彼の推測は、実のところ正解である。

 あの日ソエラを襲った『シオン』とは藤井波瑠の妹――藤井詩音にほかならない。問題はなぜ、詩音によるソエラ襲撃の予兆さえ気付くことができなかったか――それについては綿密に調べていかねばなるまい。
 計画に寸分の狂いもあってはならないのであるから――

 
 部屋の扉が開く。
 ソエラがひとり部屋から出てきた。

「……アコエ(行こう)・ソエラ」

 彼女の手をとるツネ。
 彼女を失わないようにしようと、改めて心に誓っているようであった。


2 カサン(疑心)

 ツネ――松岡常一と彼の嫁・ソエラは、日本への迎えにあがってきた旅行会社NTBの藤井波瑠と共に帰りの飛行機に搭乗していた。
 
 ソエラは白い雲の上に青い空があることにとても感動している様子で、窓にへばりつくようにしてずっと見ている。

 左右に3席ずつ座席があるタイプの航空機で、ソエラが窓側、真ん中にツネ、通路側に藤井さんが席について、しばしの長旅をくつろいでいた。

 機内に備え付けられたテレビには、テラー王国首都テラレトエンの様子を映した観光PRが流れていた。それなのに、彼がいた3ヶ月間で日本人のような人達とは遭遇しなかった。いたら間違いなくわかるはずである。
 
 そのことを質問してみると、藤井は以下のように答えた。

「今のところはごくごく限られた抽選でしか受け付けていません。さらに、現地の人に合わせて現地の服などが支給されいわば『同化』しているんです。たぶんあなたもすれ違ってますよ、気付かぬうちにね」

 いくらテラー王国が有効的にメニアイルなどの人間を受け入れているといっても、まったく別世界の人が大挙して押し寄せては混乱もする。
 まあそれもやむを得ない処置なのかもしれない、とツネはその場では納得した。 

 3ヶ月。彼の中では長いようであり、短いようでもあったらしい。
 しみじみと思い返しながら話す。

「……なんだか、こうしているのも久しぶりです。不思議なものです、3ヶ月しかあそこにいなかったのに、飛行機にいる方が異世界に思える」

「ふふっ、あそこにいた人はみなさんそうおっしゃいますよ」

 ツネは深々ともたれる。

「……異世界って、なんなんでしょうね。なんのためにあるのか。なんのためにあそこまでテラレ族を支援するのか。ある意味で、それを見つめ直すいい機会かもしれません。今の僕は、学問的中立性を保てる自信がない」

 そこまで言って、彼はまた気付いた。

「……はっ。すみません、また僕愚痴を――」

 そして以前のように、藤井さんはまったく気に留めない様子で微笑む。

「いいんですよ」

「異世界はなんであるのか。それは、たぶん異世界にしかできないことがあるからなんだと思います」

「――?」

 ツネは要領を得ないという顔をしていた。

「そう。メニアイルは……おそらくは、私達の世界ではできないようなことをしたいがために、この世界のしがらみのないテラー王国を拠点にしたいんだと思います」

「――それは、もしかして、あの子のような存在を――?」


 ツネはすぐに、詩音と名乗る少女とソエラが戦ったあの日のことを脳内でフィードバックする。

 ソエラの耳は先端が尖っている。

 そのことに多少違和感は覚えながらも、あえて追求するようなことはしなかった。たとえ耳の形が少し奇形であったからといって、ヒトの姿に限りなく近い限り、ソエラもまた自分と同じ存在だと思っていたから。

 しかし――あのときのようなことがあっては、彼も気にしないというわけにはいかなかった。
 小鳥も最初は何かと言い繕っていたが、やがて観念して彼に教えてくれた。


 ソエラや、テラー王の片腕であるセマラ――『サロ』の少女は、非人道的な科学研究によって生まれた、いわば実験体なのであると。
 
 驚異的な再生能力や、人並み外れた身体能力、特殊な目を持っていることも。人為的に付与された異能の力なのであると――

 ツネがすべてを語らずとも、藤井さんはそれを正しく汲み、首肯する。

「それもあるでしょう。あ、ご安心ください。ここはもう完全にNTBの領域。流石に飛行機の中にまではメニアイルの目はありませんから」

 彼を安心させるための言葉であろうが、裏を返せば、メニアイルの目があるとできないような話をするということの率直な表明を意味していた。

「……実のところ、私はソエラちゃんのことなんかは、まだ氷山の一角だと思ってるんです。まだまだあそこには、恐ろしい秘密が隠されているのではないかと思っているんです」

 その秘密とは一体――と、ツネはおそるおそる訊く。

「まだ確証が持てないのです。時が来れば、いずれお話しますね」

 肝心の内容ははぐらかした。

 ――ただ、ツネが漫然と抱いた、テラー王国に対する違和感。
 それは決して彼の感受性がおかしかったのではなく、ここにもう一人疑問を感じている人もいるということが、彼にとっては光明であったことは想像に難くない。

 彼が抱いた違和感。
 それはソエラという少女の身体的特徴だけではない。
 違和感の大元にあるのは、やはりテラレ族の婚姻と出産のことであろう。


 我が国ではとかく性に関するタブーが厳しい。
 現在の王の下では、夫婦間でこどもを作ること自体が禁止されている。
 ならばどうやって子孫を増やしていこうというのかといえば、1ヶ月に一度行われる、「精(サア)」と「卵(ロン)」の採取である。

 テラー王国はエオ族の放蕩がテラレの倫理を大きく乱したとして、純粋無垢な愛を説くとともに、ことさらに性的な行為と自然の妊娠を排除。
 現代的な設備でもって、生殖に絡むことをすべて神祇(しんぎ)官の管理下に置いているのである。

 みだらなことを邪悪と封じ込めた中世キリスト教的価値観が完全には成し得なかったことを、現代の設備で国家的に一元化してやろうと。
 つまりはそういうことである。


 彼は別に性的欲求の強い方の人間ではなく、むしろ据え膳が来ても箸すら持つのをためらうくらいの草食ぶりである。
 
 夫婦になったといっても、彼女が幼すぎるということもあり、かれら自身はプラトニックにやっているわけだけれども――
 全員が全員そういうわけにもいかないし、また自分たちもいずれ避けられない問題なのではないか、というのは彼も感じているのかもしれない。
 
 迷いながらも、彼は藤井さんに切り出した。

「藤井さんは……こどもが欲しいと思ったことはありますか?」

「へ!? な、なんですかいきなり!?」 

「愛する人と結ばれて、その人のこどもを持ちたい……それは自然な感情だと思うんです。それは……いけないことなんでしょうか」

「そ、そんな、幼いこどもの前でそんな! そ、そんな堂々と浮気宣言なんて、い、いくらなんでもそ、それは、だ、ダメですよう」

「――あ。す、すみません。そ、そういう意味ではなくてですね」

 ツネも藤井さんも慌てて取り繕う。

「なんというか、その……テラレ族の制度ですと親がこどもを決められないわけじゃないですか。もちろん自分の子じゃないと愛せないというのではないですけれど……子は共有財産といっても、宗教的権威でもってすべての家庭に強要するのは、違うんじゃないかな、って――……」

「な、なんだそういうことでしたか……」

 藤井さんはほっと胸を撫で下ろした。

「そうかもしれません。ですが、50年続いていたという支配が3年前に突如として崩れたように、絶対はありません。いずれ変わりますよ。それよりも、まずはやはり彼女にとっての居場所になってあげる。焦らずにいけばよいのではないでしょうか」


「……居場所、ですか……」 


 彼は幼い嫁の顔をじっと眺める。それに気付いて少女は笑顔を向ける。
 この子にとっての幸せな場所。それを作ってあげなければなと思うツネであった。

3 サコエ(思考)

 ツネ――松岡常一は人生ではじめて有給休暇なるものを取得した。

 といっても彼みずから申請に行ったわけではない。
 彼の友人である乙訓(おとくに)法子(ほうこ)が話を通してくれたのだという。
 
 この機会に、彼は異世界で得たかわいい嫁のソエラの名前の元となった花を見に行きたいと、法子を誘った。
 
 いったんは難色を示した法子であったが、ツネと久しぶりに過ごしたいという思いが勝った結果了承したのであった。 


 彼女・ソエラの名前の由来となったその花はごく一部にしか自生しないとても珍しい花なのだそう。

 ソエラという名前は、日本語に直すと『小百合(さゆり)』であり、彼女を指す花は姫小百合というもの。ツネの直属の上司である西風舘(ならいだて)小鳥がこっそり教えたようである。

 なおもう一人の『サロ』の少女・セマラは日本語に直すと『菫(すみれ)』である。


 以下はテラー王国を立つ前の、小鳥とツネのやり取りである。

「ちなみに実を言うとテラレじゅうがパンジーで覆われているのかという答えも彼女の名前に秘められているわ。パンジーはスミレ種の中でも園芸用などでかなり広く栽培されているからね。さまざまな色に富み、花としても丈夫であるかららしいわ」
 
 現在パンジーと言われているものは、19世紀のヨーロッパで交配されてできた、ごくごく最近の種である。
 つまりはテラー王国の地でもともと見られたものではなく、人為的、かつかなり大掛かりに埋められたものである。

 なお現在パンジーと呼ばれる前は三色すみれなどがそう呼ばれていたのであるが、花が前に傾く様子がまるで物思いにふけるように見えることから、古くから考える事の象徴とされてきた。
 このことから、テラー王国は思考、考えるということの重要性をスミレという種の花に仮託しているということがわかる。

 研究者であるツネにとっては、文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースの代表作であるパンセ・ソバージュ――邦訳では『野生の思考』として知られている著作の表紙に三色すみれが描かれていたことが思い起こされることであろう。
 

「神の力によって婚姻や出産、それにまつわる『自然』的欲求を超克する。そのためにあまねく王国を理性――『思考』の花で埋め尽くす。三度目の転生王の意図は、そんなところかしらね」

 それに比して、ユリという花は「ソロモンの栄華もユリには及ばない」といわれるように、神の被造物としての『自然』の象徴でもある。

 人の生み出したものよりも神の生み出したものの方が優れている、という寓意なのであるが――ツネは、このふたつの花に託された意味の違いに、彼は遠からず気付くのかもしれない。

 むろん、それ以上にユリという花は『純潔』の象徴であるけれども。

 テラー王国、そして『サロ』の少女に秘められた名前の秘密。
 彼女たち『サロ』に花の名前が与えられていることそのものにも、実は大きな意味が隠されている。

「花はテラレ語でホノ。これ、ある日本語に似ていると思わない――?」

「……炎?」

「そう。『サロ』の少女たちは繊細な花の象徴であると同時に、燃え上がらせる火にも掛けられている。彼女たちが五行説的に『火』とされたのも故あってのものかもね。そして『火』はテラレ語でハ──『葉』でもある。彼女たちは火の象徴であると同時に葉や花、植物の象徴でもあるのよ」

「なるほど……でも、言葉遊びの類のものだ」

「確かに。そうでしょうね。でもその言葉遊びから名付けられ、意味付けされているのが彼女たちだからね。意味されるものとしての彼女たちに、意味は先行する」

「意味されるものと意味するもの――ですか」

「ええ。意味されるものから意味をずらす。このことは、意味されるものはその意味を変え、まったく別のものになることができる――ということを表しているのよ」

 ここからが重要なのだけれど――と前置きして小鳥はさらに続ける。

「彼女たちは花を見て取り込むことによってさらなる力を開花させることができるのよ。ある意味、日本の一部地域にしか自生しない姫小百合がその鍵である彼女は、まだまだ本来の彼女自身ではない」

「……新たな力、ですか。WEB小説みたいだ。そのことに、意味はあるんですか? 新たな力とやらをソエラに与えて、また彼女を戦わせるんですか?」

「そう睨まないでよ。そうじゃないわ。力なんてのはおまけみたいなもの。本当のあの子を、あの子自身に知ってほしいと……そう思わない?」

「――本当の……ソエラ……」

「キミは彼女にとって不幸を表すものでしかなかった『サロ』を肯定した。人々にとって厄災の象徴であった彼女を、草木と花――美しいものへと変えたのよ。それは、とてもロマンチックだし、キミの成し得た最大の功績だと、あたしは思う」

「う、な、なんかそんなに持ち上げられると気持ち悪いんですけど。な、何もおごりませんよ?」
「……バカ。せっかく褒めてやってるのに」

 小鳥はぷくりと頬をふくらませたあと、キリッとした顔に切り替え、拳を前に突き出す。突然どうしたのだろう、とツネは戸惑う。彼女はこう続けた。

「男たるもの、女を新しい色に染めちゃいなさいな。愛する人に染められる喜びを、あの子に味わわせてやりなさい」

 ほら、キミも拳を前に出しなさい、とクイッと顎を動かしてアピールしてくる。

「な、なんかその言葉、微妙にエロくないです……?」

「そうかしら? まだ咲くことの知らない蕾だって、心のなかには変わりたいと求める情熱の炎を宿してるもの。彼女を『開花』させてあげられるのは、キミだけなのよ。ん、ほら、いいから拳を、前に出しなさい」

「……もう。先輩にはかないませんね。わかりましたよ。それが、彼女のためなら」

 ツネもまた腕を前に突き出し、小鳥と拳をコツンと合わせる。

「……頼んだわよ、男の子」

4 ホアロア(蓬莱)

 ツネ――松岡常一と『サロ』の少女・ソエラ。
 そしてツネの知り合いである乙訓法子。
 この3人で、少女の名前の由来となった姫小百合――別名オトメユリの名勝地を目指し東北地方を車で移動していた。

 ツネと法子にとって東北は、かの民俗学創始者・柳田(やなぎた)國男(くにお)の有名すぎる仕事である『遠野物語』にまつわる博物館などをめぐって以来だったので、久しぶりの道のりであった。

 もっとも、方向としてはまったく違う上、今回は屹立する山々に囲まれた、山岳地帯ほぼど真ん中。
 
 なんだかんだで開かれている遠野市の中心部で軽く観光するというのとは、腰の据え方が何倍も違ってくる。
 山を切り拓いて作られたような人気の限られた車道をひたすら蛇行する道中となるため、これまで旅してきた場所の中でも今回は特にガッツリとした旅行といった感が強い。

 そんな人里離れた山の中で奥ゆかしく咲いている花。
 
 まさに、限られた意中の人にしかその心を開かない貞淑な乙女に秘められた『心の姿』を表しているのかもしれない。

 彼は助手席でくだんの『遠野物語』でも読もうと思ったが、乗り物酔いしていしまう性質であると自分でもわかっていた。

 少しだけパラパラして、やっぱりやめたとばかりにすぐにしまおうとしたところ、ふと、普段は別段意識することもない文庫版の後ろの方のページに目が留まった。
 そこには二重線の枠で囲まれた「○○文庫発刊に際して」と題された創業者の言葉が寄せられていた。それになんとなく目を通す。

 ツネや法子が所属するメニアイル・ホールディングスは出版部門である『蓬莱之実業社』を擁し、独自のブランド『蓬莱社文庫』、ラノベレーベル『蓬莱MI文庫』などで読書通にはつとに有名である。

 それらにもそのような発刊に寄せた言葉が載っているのであろうか――と、少し気になってしまった。彼は探究心旺盛というか、一度気になったものに関しては確かめないと気が済まない。
 車の奥にある大きなリュックとは別に、車中でかかえている小さなバッグをまさぐる。

「どうしたの? ツネちゃん」

 ツネのかたわらでハンドルを握りしめている女性・乙訓法子も彼のそんな所作を音と気配で察知したようで、あくまで視線は道に集中したままで彼に尋ねる。

「ああごめん、気が散っちゃった?」
「ううん、いいよ。それよりどうしたの? 急にゴソゴソして」
「いや、ちょっと気になったことがあって。そういえばメニアイル創業者の名前って、知らなかったなあって……これだ。蓬莱社文庫」

「あー……そうねぇ。なんか私達が入る数年前に、新天地の開発を援助するぞ、って突如息巻いて引退したとか聞いたけど。引退後フィランソロピーというか、慈善事業したがるみたいなアレなのかな?」

 法子はなんの気もなしに言っていたが、彼はその言葉に少し引っかかったようで。

「もしかしたら、その時創業者である元社長はあの異世界の投資をひそかに考えていた? だとしたら、それを見据えての引退だったのでしょうか?」

 着実に真相に迫っていく。
 やはり松岡常一、この男はできる。
 ――どうかその能力を、計画のジャマをすることには使わないでいただきたいものである。

 彼は手に取った本を後ろからペラッとめくる。
 そこにも、先程パラ見した文庫本にもあったような、黒枠で囲まれた発刊によせた一文があった。
 
 蓬莱という名前はかつて中国で東のはるか遠くにある理想の国とされた蓬莱伝説から取られており、一時は日本を指していたこともあったこと。
 日本という国家を理想たらんとするため書にできる貢献はなにかを真摯に問いかけ、そのためにあまねく知識を庶民の手にわたることを企業の理念とすること――などの所信が簡潔に述べられている。

 題字の下に記されている名は、『成田太郎』――

「蓬莱、か……」

と、彼は小さくつぶやいた。

「ひょっとしたら、文庫の発刊によせてという内容でこの創業者さんが語っている蓬莱って、あの異世界のことなのかな、って」

「私は異世界を実際に見てきたわけじゃないからなんともいえないところもあるけど、もしかしたらそうなのかもね。その元社長さんは蓬莱の在り処を南洋に求めて、そのさらに進んだところに見出した異世界に、本物の理想郷を作ろうとしたのかも」

 なんとなしにその場で思いついたような法子の言葉は、またしてもツネに深く考え込ませるものとなった。
 手を顎の下に添えて、うんうんと唸る。
 

「――!? まさか――」
「どうしたの? 何かひらめいた?」
「いや、まさか……荒唐無稽すぎる……なんでもない。なんでもないよ」

「そう? ――あ、やっと目的地に近づいてきたよ。今回はちょっと長かったね~」
「はは、そうだね。ごめんね無理を言って」
「いいよ。私もだいぶ無理をツネちゃんに通してきちゃったからね。たまにはこういうのもアリだよ」
「とりあえず、今日は温泉で一泊だね! 久しぶりにだら~んとしたいわぁ~」


 目的地の山へ行くまでに温泉がある。
 目的地から少し離れてはいるけれど、今日はそこでいったん宿泊するプランになっている。
 
 ブラック企業――いや最近の言い方だと労規非遵守企業――そこから略称を当て字して『牢卑(ろうひ)』というらしい――であるところのメニアイルから、なんの風の吹き回しか、有給がかなりまとまって取れたので焦ることはない。
 時間に余裕が取れているということは、ふたりにとって大きな安心感であった。

 そこから少し移動すると、温泉施設が顔をのぞかせた。
 このような温泉地を楽しむのも、旅の醍醐味のひとつである。
 
 それにしてもこのツネと法子、そういった温泉地にも何度か足を運び、時には悪ノリで一緒に混浴風呂に浸かったことすらあるほど互いに心を許している。
 にもかかわらず恋愛関係でもなかったというから、「不器用か!」と野暮ったいツッコミを入れたくもなってくるとしても、その気持ちおわかりいただけるだろうと確信するところである。

「ほら、ソエラちゃん? も起きて。とりあえずお風呂よ、お風呂」
「……んんぅ」

 ソエラはまだ寝ぼけているのか、気の抜けたような返事であった。だがその後に彼女から発せられた言葉は、およそ1名に大きな波紋を巻き起こした。

「お風呂? また一緒にはいる?」

 首をギギギとこちらへ向けた法子の顔は、笑顔ながら静かな怒りに満ちていた。

「……また???? ……ツネちゃん?」
「で、でもあれは誤解で。ほ、ほらちゃんと前を見て前」
「でももデーモンもなぁーいっ! ツネちゃんは一人で入りなさい! 私とソエラちゃんで入るから! わかった!?」
「あっ、は、はい……」

 ものすごい剣幕に、ツネはナメクジのように小さくなるほかなかった。


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