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テラーの輪転機 異世界部族調査員と開花の少女 第3章 5~6
5 コトモ(子供)
有給を使ってある山をめざして旅行する途上。温泉宿泊施設に到着。
そこでまずツネ――松岡常一が仰天することがあった。
「そちらのお子さんはお客様ご夫妻と比べまして大きいですけれど、親戚のお子様でしょうか?」
その女性がツネたちを見て何気なく問いかける。
「えっ!? ふっ……ち、違っ――」
「ふふっ、そうです。新婚なんですよ」
「!? ちょっと、ほーちゃん!?」
法子がそのまま勘違いにノッてくるとは思わなくて、ツネは余計にしどろもどろになってしまった。どうやらツネと法子のこどもがソエラ――にしては互いに若すぎると思われたのであろう。ツネはなんだか恥ずかしくてたまらない、という調子であった。
「ふふ。仲がよろしいのですね」
そう言って部屋まで通してくれた女性の耳が隠れるほど伸びた髪がひらりと舞い、控えめで可愛らしい耳が覗いた時のことである。
彼は見逃さなかった――耳の先端が、尖っていたことを。
その時予約を入れていた部屋にいるのはツネただ独りであった。
彼の幼妻・ソエラと彼の友人・乙訓法子が先に温泉に入っているあいだ暇であった彼は、フィルムメディアを使ってインターネットのニュースを見ていた。
そのときの見出しは幾度となく目にしているような警告的コラムとともに大小さまざまな事件を伝えていた。
今の10代以下のこどもたちは生きる希望を見出すことができない、というもはや紋切り型のコラム。
いわく、生産年齢人口の減少に歯止めがかからない。
現在の老人世代の数に較べて支える人が極端に少ない超少子化時代において、以前のような使い捨てはできない。
貴重な若い力をこれ以上無為に失うわけにはいかないし、社会に出る前のこども達に絶望的な社会を見せてはいけない。どんなに困難な状況でも、希望を語るのが大人の務めなのだ――と勇ましく締められていた。
その下には、労基非遵守企業『牢卑(ろうひ)』を許してはいけないという風潮が、ある企業のSNSの書き込みをきっかけに広がりはじめ、各企業はようやく対策に重い腰をあげはじめた――という概要で、いくつか具体的な取り組みにも触れられていた。
さらにその下には、シニア世代を中心にして現在行方不明となっている人があとを絶たず、まるで現代の「神隠し」のようだ――とセンセーショナルに書きたてる地方の記事もあった。
一見するとまったく別の内容を記事にしているようにも見えるが、彼にはすべてはつながっているように思えてならなかったようである。
特にいちばん下の「行方不明」という言葉を目で追っては胸のあたりで手をギュッとさせていた。
「……ふたりとも、早く帰ってこないかな」
独りごちて、フィルムメディアを手から離す。持ってきた蓬莱文庫でも読んで時間を潰すことにするのであった。
その頃、温泉に浸かっていたのは女性陣ふたり。ソエラはバスタオルを巻くことをちゃんと欠かしてはいなかった。
法子は『サロ』の少女の肌の白さに溜め息を付いた。
「……羨ましいぞ、その油も寄せ付けないようなつるつる乳白色」
一緒に車中にいたというだけで、しかもその大部分少女は眠っていたのだから、まだそれほど親しいともいえない間柄であるふたり。
ソエラはどう答えていいかわからず困惑していた。
最近すっかり小鳥やツネに懐いていたから忘れそうになっていたけれど、本来彼女は引っ込み思案で社交的な方ではない。ちょうどいい距離感を測りかねているという印象であった。
「ツネちゃんはロリコンになっちゃったのかな、って思ってたけど。これは確かに惹かれるものがあるわ。何このうなじ。何このふともも。天然記念物級の綺麗さ。ニッポニア・ニッポンも秋田美人もリニアで逃げ出すわ。二次元から出てきたんじゃない!? ぐぬぬぬ……嫉妬する気にもなれないわぁ!」
今のソエラはだいぶ日本語がわかるようになっているが、時々錯乱気味になる法子の言動をどう自分の中で訳したらいいのか、わかりかねていた。
「これは酒ね! あとでニブチンのあいつに酒を付き合ってもらわなきゃやってられるかってんの!」
実際には鈍いというわけではなく、あえて深い関係になるのを避けていたのであるから余計にタチが悪いのではあるが……法子は知らないほうがよいのかもしれない。
「……わかってる。あなたはなんも悪くない……」
そこでブリキのネジが切れたように、法子はちゃぷっと深く身を沈める。
「でもさ……ううん。こどもね、私……。ソエラちゃん、だっけ。あなたのほうがよっぽど大人だよ。私は惨めだ……ごめんなさい」
「……ほーこさん……ほーこさんは、もしかして、ツネのこと」
「君のような勘のいい女の子は……」
嫌いだよ――と言いかけたところで、「ううん。やめとこ」と、水の滴り落ちる音よりも小さくつぶやいて、思いとどまる法子。代わりに、思い切りおどけてみせる。
「こうじゃ! うりうり、おっきくな~れの魔法~~~~!」
「ほ、ほーこさん!? あ、ちょっとくすぐった……ぁぅんっ」
「ムムッ! これは女の私の手にもすっぽり収まるジャストサイズのいちご大福! おいしそうな感触じゃないかあああもにもにもにもに」
――何言ってんだコイツ。と久しぶりに真顔になってしまいそうな、おバカなセリフ。西風舘(ならいだて)小鳥と似たようなノリがあるとは思ってはいたが。
なんだかんだでお嬢様時代のいい子ぶりが抜けない彼女よりも、数個は余計にネジが吹っ飛んでいる。
……カラ元気なのが明らかなだけに、痛々しさが数倍増しである。
「だ、だめ……ぁぁんん」
「ああんじゃあないんだよ、いちご大福なら、あんこを出すんだよ」
もう法子が何を言っているのか、さっぱりわからない。白の少女・ソエラを包んでいたバスタオルがこぼれ落ち、ちゃぷんと湯船に浮かび上がるのであった。
その日の夜。三人は川の字に布団を敷いて寝る。
ツネが扉側、ソエラが真ん中で法子が窓側であった。
夜な夜なフィルムメディアでネットを覗く。
「……視力が悪化してもその時はその時、我が社ご自慢のコンタクトレンズのお世話になってしまえばいいしね」
などと目に不健康極まりないことをつぶやいた、その時であった。
フィルムメディアの光が、そおっと少女の布団をまたいで近づいてくる人の影を形作り、彼の視界を覆うのであった。
「!? ……ほ、ほーちゃん……!?」
彼の寝ている布団の近くまで、四つん這いで迫る女性。
雰囲気が、明らかにいつものノリと異なっていた。
彼女は彼に肉薄、吐息混じりにたった2つの単語を耳打ちする。
彼の鼓動が加速度的に早まるのが見て取れるようだ。
「な、何言って……」
「あの子がツネちゃんの奥さんなら、それでも……だけど私も証がほしい」
旅館にしつらえてあった浴衣を羽織っている法子。その浴衣をのぞけば何もまとうものはない。窓からの薄明かりでわずかにうかがえる法子の素肌。
ソエラの、おしろいをまぶしたような極端な白さではない、いたって健康的な肌白さ。女性らしいふくらみを帯びた身体のラインは、普段意識するまいと彼がひた隠しにしていたものを呼び覚ます。
「……お願い。あなたのこどもが、欲しいの」
夜這い。しかも女性から。長年付かず離れずの関係性を維持していたツネからすれば、これほど艶やかな彼女を見るのは、これが初めてであった。
「ど、どうしたんだよ!? こんなの……今日は変だよ!? 酔ってるんじゃ」「らしくない? 私が、あなたを性的に見ていたら、ダメ? 女が男性に強く惹かれちゃ、ダメなの?」
ひ弱な体つきからはやや意外なほどに長い彼の人差し指を、指でなぞる。
このままではどうにかなってしまいそうであった彼は、ものすごい勢いで彼女から顔を逸らす。暗闇でよく見えないけれど、今の彼は耳まで真っ赤にしているであろうことが手に取るようにわかる。
「……こ、こどもが起きちゃうだろう!?」
「そんな都合のいいときだけ彼女をこども扱いする。私はあの子をこども扱いしてないよ。私は、あなたに大人に扱われたい。あの子を、出し抜きたい」
触れた指を器用に絡ませる彼女。
「いいじゃない。結婚しても彼女と関係をもつことはテラーのしきたりで禁じられているんでしょう?」
「そ、それは……ッ……!」
テラレの婚姻制度。彼がもっとも違和感を感じ悩んでいたところを正確に突かれた、というところであろうか――
「そのままじゃツネちゃんは自分のこどもを残せない。私に……それを残させてよ」
一方の彼女からすれば、こんな形でなんて、重い女だと思われることはわかっていた。それだけに、これまでここまで大胆に迫ってみせたこともなかった。
泊まりの部屋で隣に寝たり、一緒に混浴に入ったりしたことはあっても、なんとなくそれ以上踏み込むことができなかった。
それでもいいと、あのぬるま湯のような関係がずっと続くものだと思っていたのである。
彼女をここまで突き動かすもの。それは焦りにほかならない。
自分とも一回りほど違う見た目の少女がライバルであるならば、差をつけるにはこれしかない――そのような思いが去来してのことなのであろう。
「そんなこと……できな――」
そこまで出かかった彼の口を手のひらで押さえたあと、彼女は両手で彼の頬の形を確かめるように撫で、みずからの口を押し付けてふさぐのであった。
――どれほどの時間が流れたであろうか。
ふたりにとって、この短いはずの時間が何倍も引き伸ばされているようにも感じられた。長い口づけが終わり、トロンとした目で見つめるふたり。
彼女の唇には、ほのかにビールの苦味が残っていた。
「……ほ、ほーちゃん……」
「ファーストキス……なんだからね。この歳で」
彼は湧き上がる劣情に押され陥落しそうになっていた。吐息がかかるほど接近していた彼女の肩をつかむ。ピクンと彼女の全身が震える。
けれど彼は――最後のブレーキでなんとか踏みとどまる。
彼は自分の体から、彼女を遠ざける。
「……そう、か。そう……だよね」
法子は寂しそうに、はだけていた浴衣を直した。
「ごめん」と気まずく謝る彼。
「ううん。私こそ、変なこと、しちゃったね。ごめん……ごめん……」
彼女にもわかったのである。彼の中には、自分より、あの白い肌の少女の方が強く存在しているのだということが。
乙訓法子、失恋の瞬間であった。
涙が頬を伝う。
暗くて彼にはよく見えないであろうということが、彼女にとって何よりありがたかった。
「一時の情事なんかに流されることのない強い心。少し、誇らしいな」
「そ、そんなんじゃ……」
彼と結ばれることを望みながらも、それと同時に、彼がそれを受け入れてしまった時、軽蔑してしまいそうであったから。そうならなかったことが彼女にとっての、なによりの救いであったのだろう。
「……今夜のことは、お互い忘れようね。明日からは、これまでのように、仲のいい友達。そう、歴史好き同士の旅友達……じゃあ、おやすみなさい」
それだけ淡々と彼に伝えたあと、法子は彼に背を向け、奥に敷いてあった自分の布団へ戻っていった。
「……寝られるわけ、ないじゃないか」
それからの彼は、悶々としてしまって、寝付くことができなかった。
そしてそれは、実はただならぬふたりの雰囲気に途中で気付いて起きてしまい、ひそかにふたりのやり取りを見ていた少女も同様なのであった。
6 ソエラ
次の日の朝、三人共どこかよそよそしい雰囲気となっていた。
「お、おはよう、ほーちゃん」
「あっ……お、おはよ……」
おはようの言葉すらどこかたどたどしい。
帰りまでこんな雰囲気なのかと考えると、ツネ――松岡常一は先が思いやられると正直気がふさいだ。なんだか花を見に行くという雰囲気でもなくなっていた。
これだから愛だとか恋だとか、ややこしい。
勉強に逃避していたほうがよほど精神的に楽である。
だけど。
そんな面倒くささを乗り越えた先には、脳を、心を、全身を――毛細管現象のようにじわりと染み込み満たしてくれるような。お互いの心が溶け合って混じり合っているような。そんな、穏やかな幸福感が待っている――ということを、ツネは知っていた。
――いっぱいお世話になったのに、ごめんなさい。
でもそんな同情心で彼女を選ぶのは、彼女に失礼だと思ったから。
どうか、ほーちゃんもいつかそんな恋をしてほしい。
ツネは声に出さず、法子にエールを贈るのであった。
天気は晴れ。
『サロ』の少女・ソエラにとっては、キツすぎる太陽の光は毒にもなりえてしまう。その白い肌も魅力的ではあるけれど、やはりどこか儚げというか、すぐに消えてなくなってしまいそうなせつなさを彼は感じてしまう。やはり小さな女の子らしく、健康的であってほしい――とひそかに願っていたようである。
しばらく車で向かって、姫小百合(ひめさゆり)鑑賞スポット近くの山あいにある宿泊施設にたどり着く。チェックインを済ませてわずかに休憩を取ったあと、大きな荷物は置いて、すぐさま目的の花が咲いている目的地へと出発する。
山の中と言っても、道なき道を草木をかき分けていくようなワイルドなイメージでは、決してない。
徹頭徹尾、外部からの接触に弱い姫小百合に配慮された、非常に人の手が入って観光地化された野原である。
目的地まではやや狭い道のりではあるが車で山を登ることができる。群生地前の駐車スペースに車を停める。
まず入場に際して靴の消毒をしなければならない。それに加えて――
「おっとと……」
「気をつけてよ、ツネちゃん。この、数人も通れないような、木でできた道以外通れないんだからさ。転んで花に傷をつけちゃダメなんでしょ?」
「わ、わかってるよ……」
「ソエラちゃんもだいじょうぶ?」
「は、はい」
法子は世話焼きの一面もある。ここまでの道中ではツネよりもずっと仕切っている。そうして自然の風景に触れていくうちに、徐々に彼とのことも吹っ切れていったようである。
通路として整備された木でできた道以外を通ることはできず、直接山の土と草を踏み歩くことは厳禁となっている。
もちろん、花そのものに触ることもできない。
その他、いくつかのルールの下、種の保存が図られている。
何かを守るということは、並大抵の努力ではできないということを表しているようなありようにも彼には感じられた。
姫小百合という花を守るためには、そこまで徹底的に保護してあげなければならない。ある意味で奥ゆかしい『純潔』の花にふさわしい姿であるともいえる。
そこには緑草に囲まれながら小さくも凛々しく咲く、ピンクの花々があった。総数10万本も咲いているらしい。
「きれい……」
白の少女・ソエラは、しばらくそれ以上の言葉を失ってしまうほど、その緑とピンクの混じり合う華美な景色に見入っていた。彼女の頬には、大筋の涙が流れる。
「ツネ。あなたは、こんなにも――わたしに、彩りを教えてくれた。オラコトエ(ありがとう)」
彼女が彼に感謝の言葉を伝える。その瞬間。彼女は鮮やかなピンクの光に包まれた。
「!? な、なに!?」
ツネと法子は反射的に顔を手で覆い、瞳を閉じる。
光が過ぎ去り、ふたりが目を開けたら、そこにはそれまでとは違った姿に変わっていたソエラの姿があった。
髪が、ウィッグよりも自然に色づいたピンクに染まっており、肌の血色もうんとよくなった。『白』と呼ばれた少女は、今この時をもって桃色の髪をなびかせる少女となったのである。
これが、小鳥の言っていた『開花(コアコ)』――
これが、本当の彼女の姿。
「……どういうことなの。信じられない……」
彼女の急激な変化に、法子も目を見開いていた。
法子はツネたちと違って、異世界を実地で見てきたわけではない。異世界でさまざまな驚きと新発見に触れてきたツネでさえも二の句が告げなかったほどなのだから、当然の反応というべきかもしれない。
『サロ』であった彼女もまた美しくはあったけれど、彼はどちらの少女にもまた、それぞれ違った魅力を感じたのであった。
ソエラ自身が変化をいちばんよくわかってなかったので、法子は持っていた手鏡を渡す。ソエラは自分の額に手を当てたり髪に触れたりして、変化を確かめていた。そのしぐさには思わず花に吸い寄せられる虫のごとく、ツネは釘付けにさせられたのであった。
こうして、『サロ』の少女が秘められた蕾を開花させ、より魅力的になった旅の日程は、そのまま一泊して帰宅するのみとなった。
その日の夜。前夜と同じく三人で川の字に布団を敷いて眠りの準備に入った。ツネの元へと布団をもぐらせて身を寄せてきたのは、ピンク髪となった少女・ソエラであった。
「……今日は、もっと近くにいたい」
少女は上目遣いで、無防備に甘えてくる。
ひとたび触れてしまえば枯れてしまいそうな純潔の百合。
まさか今度は彼女がくると思っていなかっただけに、ツネの心は揺り動かされるばかりであった。
これは添い寝、こどもと添い寝するだけだから……と念仏のようにひたすら無言で唱えながら、よこしまな思いを振り切ろうとするツネ。
「……昨日ね。わたし、気付いてた」
「え!? ナ、ナンノコトカナー……?」
思わず上ずった声を出すツネ。暗くて視認することはできないが、彼の顔面はわかりやすく青ざめているであろうことは容易に想像できる。
「やっぱり……大人のひとのほうが、いい?」
彼女は、さらに身を寄せてくる。
彼を抱きまくらかなんかにするつもりなのか。
肌の色が血色良くなったからなのだろうか、薄明かりに照らされた彼女の顔はほのかに上気していたように映った。
――そうだ、これは以前、小鳥先輩の時にもあった、と彼は気付いた。
これは、幼いこどもなりの、嫉妬だ。そして、不安な気持ちのあらわれでもある。
「わたしは、変わっちゃった。今のわたしも……受け入れてくれる……?」
否応なしに変わってしまったソエラは、自分の変化を愛する人に肯定してもらえるかどうか、不安だったのである。
そんなこと気にしなくても――と、彼はたまらなく愛おしくなって、布団の中で抱きしめた。
「あったかい……」
「出逢ったときの白かったソエラ。それに、変わったソエラ。どちらもキミだし、どちらも、僕の心をつかんで離さない」
「……それって、変わってないってことなんじゃない?」
少女は少し不満そうである。
変わったあとの姿のほうをこそ褒めてもらいたいのが透けて見える。
ツネはといえば困ったという反応であった。
どちらも選べないというのが正直な気持ちである。でも、あえて今の彼女の方を褒めるとすれば、やはり――
「……生きている、って感じがより強いのは、今かな。血が通ってるというか、なんていうんだろうな。うまくたとえられなくてごめん」
「……ううん。だいじょうぶ。それだけで、よくわかったよ」
「生きている」という単語で彼女の尖った耳がピクリと動く。彼女は満足げであった。より身体を密着させてくる。
「……ツネ。セカタセ……」
そのまま、彼女はすうすうと寝息を立て夢の中へと入っていった。
東京へと帰る道。ふたたび車を走らせる法子。法子にとっては失恋の旅ではあったが、運転する彼女の目にはもう迷いなど映ってはいないように見えた。
「いやあまさかあんなものが見られるなんて。得難い経験だったよ。オラコトエ、だっけ? ありがとう」
「……いや、こっちこそ。無理を言ってごめん。ほーちゃんが一緒に来てくれなかったら、こういう旅もできなかったからね。ありがとう」
「あ、ありがとうございます……!」
ツネの言葉にソエラも続いた。
「……どういたしまして」
「有給代わりに申請してくれたのはほーちゃんだからね。そういう意味でも感謝しないと」
「ふふん、もっと感謝するがよいぞ……よいぞ……!」
ツネと法子はお互いに、いつもの軽いやり取りがだんだん意識せずできるようになってきたようにうかがえる。
あのような形で振ってしまったとはいえ、大学生活の大部分を共に過ごした大切な友人であった。
この関係が壊れてほしくない。
それが、彼の本心であろう。
むろんそれが彼にとってひどく都合のいい話であることも、同時に理解してのことであろうが。
「ソエラちゃん、帰りにいちご大福買ってあげるよ」
「――!! いや、それは――!」
「ははっ、ういやつよのう。遠慮しなくていいのに。ねぇ? ツネちゃん」
「……喋り方がおっさんくさくない? それになんでいちご大福」
「だって、おいしいし?」
「まあ僕も好きだし、いちご大福。それは否定しないけど……」
「ツネも、好きなの……?」
なぜかいちごさながらに顔を赤くして縮こまる少女。あ、これひょっとして下ネタだったのか……? と気付いても時すでに遅し。話題を変える。
「そういえばさ、よくこれだけの休暇が取れたよね。多々良部長は絶対に許してくれないと思ったのに」
「あ、あー……9ちゃん部長ね。あの人なら――」
お互いにようやく元の関係のような他愛ない話で笑い合えるようになったところで、次の瞬間、衝撃の事実がサラリと告げられたのである。
「辞めさせたよ。私が」
テラーの輪転機は、もう動き出していた。
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