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テラーの輪転機 異世界部族調査員と開花の少女 第3章 7~12

7 コマ(神)

 話はツネ――松岡常一(つねいち)が異世界へ旅立った時にさかのぼる。

「うぅー……頭痛いぃ……」

 乙訓(おとくに)法子(ほうこ)はその日調子を崩していた。

 大学時代の多くを側で過ごし、就職先も同じ。
 そんな意中の男性としばらくの間離れ離れになってしまうからであった。

 せっかく熾烈な就職競争を勝ち抜いて同じ会社に入ったばかりだというのにこの仕打ち。一途な新社会人は飲まずにいられなかったのである。

「……うう、自業自得かもしれないけどさ……しんどいわ……」

 乙訓法子が彼と同じ会社で割り振られた仕事は、日本で最も利用者の多いSNS『GLOS(グロス)』での広報であった。

 SNSというのは、あまたいるサービス利用者全体の中から、自分の興味あるユーザーを選び、そのユーザーの発信している言葉を得るためにつながっていくもの。

 多くの企業が公式の情報を告知するために『GLOS』を利用しており、日本を代表するコンタクトメーカーにして多くのグループ企業を抱えるメニアイルHDもその例外ではなかった。とはいえなんでもかんでも言葉にして伝えられるわけではない。
 法子は、上司である男性から数枚に綴じられた文書を手渡された。

「乙訓。これが今日の内容だ。来月の新刊告知を設定するのも忘れるなよ」
「はい……」

 文書に目を通した法子は上司が部屋から出たのを確認しポツリとこぼす。

「……なにがキランッ☆よ。アホくさ」

 どんなにくだけた調子の文体であっても、すべてはこの9ちゃん部長――多々良(たたら)久也(きゅうや)の決済した内容通り。一言一句変更は利かないのである。

 どんなにバカらしくても、上司に逆らうことは許されない。
 法子はそんな息苦しい環境下で、アニメ美少女風にデザインされた企業公式キャラクター『アイルちゃん』として明朗快活に情報発信しなくてはいけない。

 彼女と同期で入ってきた女性社員の北山は言う。

「誤字脱字を指摘しようものならあいつ狂ったように怒鳴りだしてさ。同期で入ってきたもうひとりの子。泣き出しちゃって仕事来なくなっちゃった」

 そして当然のように課される長時間労働。支給されることのない残業代。
 就活生人気で常に上位のメニアイルも内部はこのように風通しの悪いありさま。
 日本型のブラック企業――『牢卑(ろうひ)』の典型なのであった。

 想い人が出張に行く羽目になったのもこの多々良久也の指示。
 法子が強い不満を募らせているのは傍目からでもありありとわかった。

 そのような思いが先行しすぎてしまったのであろう。彼女はこの日仕事上でとんでもないミスを犯すことになるのである。


 わずかばかりの休憩からあがったすぐあとのこと。
 出来心から会社の機器でこっそり個人的な『GLOS』をやっていたのが悪かった。

「『牢卑』企業なんてブッ潰れてしまえ。社会全体がそういう空気にならなきゃダメなんだっつうの」

 なんのことはない、ただの独り言。
 誰からの返事も求めていないのだけれど、どうしても言わなきゃ気が晴れないこともある。これはそういうたぐいの、SNSを利用するにあたっては割とありふれた形の愚痴であった。

 しかし、自分の暴言を企業の公式アカウントの発言として、全『GLOS』ユーザーにアクセス可能な状態で発信してしまったのである。
 
 新人とはいえ、あまりに初歩の初歩すぎるミスであった。

 しかも『アイルちゃん』として発言する際には専用のアニメ声に設定する必要があるのだが、それも誤操作でオフにしてしまっていた。

 つまりはメニアイル広報キャラクターアイルちゃんは、突然の『中の人』降臨によってキャラ崩壊を起こしてしまったのである。

「あ、ヤバ。アカウント間違えて――」

 あわてて発言を消す法子。
 しかし、瞬く間に拡散された発言はしっかり保存されてしまっていた。

「うわ、バズってるぅぅぅっぅぅぅ! どうしよどうしよ!?」

 メニアイルという企業が公式に『牢卑』の実態を告発するという『勇気ある発言』として不特定多数の有志がそれぞれに拡散。

「よく言った! 牢卑滅ぶべし、慈悲はない」
「アイルちゃんそれ以上はいけない」
「おっなんだなんだ内部分裂か? 面白いことになりそうだな」
「というか中の人地声こんなんなんだ。かわいいじゃん、推せる」  

 さまざまな思惑が絡み、図らずもアイルちゃん――なかんずく乙訓法子は一瞬にしてネット上で祭り上げられる『神』となってしまうのであった。


 そして、この新入社員の凡ミスは法子一人の問題にとどまらないほどの社会的騒動へと発展してしまうのである。


8 サカア(私刑)

 ツネ──松岡常一が異世界へと向かっている間にソーシャルメディアで意図せず「バズって」しまった、メニアイルHDの公式PRキャラ『アイルちゃん』の中の人こと乙訓法子。

「うわあああどうしよ、とりあえず消そう……!」

 あわてて先程の失態を消そうとしても、すでに手遅れであった。

「うわああ、スクショ取られてるじゃん……終わった……」

 スクショ――つまりは映し出された文面を1枚の画像として保存、取り消しのつかぬようにされてしまった。インターネット上で一度拡散されてしまえば完全な削除はできないに等しい。

 ほどなくして、メニアイル社内では電話やメールがひっきりなしにかかってきた。

 リアルタイムでの事件を社内は全く把握しておらず、たちまちてんてこまいのパニックに陥ったのであった。

 どんな人でも手段を選ばなければ、人生で一度くらいは一瞬世間で話題になることができる――というのは名も忘れたあるネットユーザーの発言であるが、これは実のところ真理であるのかもしれない。

 いくら大企業のメニアイルといえど、平時ではここまで電話が鳴り止まないなんてことはそうそうなかったはずである。
 この異常を察知し、明らかに取り乱す一人の新人。周囲が忙しくしているさなか、同期入社の北山かりんが涼しい顔で法子の顔を覗き込む。

「ほーちゃん、なに世界が終わったような顔をしてるのさ」
「か、かりん……! い、いや、これは……ちがうの、わざとじゃ……」
「いいのよ。法子は正しいことを言ったんだから、胸を張りなさい」
「!? で、でも……」

 絶望感に打ちひしがれている者、かたやそれをあざ笑うかのように見つめる者。新入社員同士で明暗が分かれてしまっているような絵面であった。

 会社が混乱しているのを尻目に、この女――何を考えているのか。
 空恐ろしいものを感じはしないだろうか。
 
 そしてそんなもう一人の新入社員は、法子を間違った方向へと引き込み始めるのである。マウスを持つ法子の手に自らの指をなぞるようにして、そっとささやく。

「いっそ……こんな牢獄みたいなクソ環境、変えてしまわない?」
「……か、かりん?」
「むしろこんなに早く変えられるチャンスが来るなんて、好都合。この好機、逃さないために積極的に利用させてもらうわ」

「な、何をする気……?」

 疑念と不安の入り混じった表情で同期の顔を見つめる法子。
 まあそれもそうだ、大きなことを言っている風であるこの女もしょせんは法子の同期――つまりは一介の新入社員にすぎないのである。

 ――であるはずなのに、この余裕。
 疑念を抱くのは当然の成り行きであろう。


「言葉どおりよ」


 同期の手を引っ張るように座席から立ち上がらせる北山かりん。

「本当は誰しもが思ってるはずよ。本当はこの世界を変えたいんだ――と。窮屈なこの世界で、幸せに生きたいんだ――と。じゃあそのために動かなきゃいけないのよ、誰かが――ね。あなたと私なら、世界をひっくり返せる」

 青臭さをも感じさせる言い切り。
 しかし北山かりん――彼女はどうやら本気である。
 そのための覚悟も準備もしてきた。とでも言いたげな、ハッタリでない気迫を感じさせる。

「革命ごっこ!? こんな時に冗談なんて……私はイヤだよ旧世紀じみたマネ」

 元は優秀な学生である法子。自分がしでかした失敗と豹変した同期に困惑しつつも、この女の本質をすでに喝破していた。

「ごっこじゃないわ。私たちの起こすのは、革命そのものよ。そしてその狼煙はをあげたのは、あなた。もう遅いのよ」

「遅い……? な、なにが……!?」

「あなたはもう、ルビコン川を渡ったの。引き返すことはできない。私と共に歩むことを、今ここに宿命づけられたのよ」

「――っ、離して!」

 ただならぬ同期の変化を感じ取り逃げようとする法子。であるが、彼女に逃げる力もなければ、逃げる場所すらもなかったのである。

「安心しなさい。我々にはいつでも動ける組織力がある」
「え、なに、なに……!?」

 なんという手際の早さであろうか。
 もうすでに彼女たちのいる部屋は、数十人のメンバーにより包囲されていたのであった。
 大所帯の企業グループゆえであろうか――どうやらメニアイルHDは、多くの異分子を紛れ込ませてしまったようである。
 
 多くのメニアイル社員も、ここにきてようやく事態のまずさを悟ったようであった。そして、それは法子も。自分が想像もし得ないとんでもなく大きな渦に巻き込まれてしまった――そのことだけは、敏感に感じ取っていたのであった。

「ありがとうね法子……あなたは我々にきっかけをくれた。我々に、立ち上がるための大義名分を与えてくれた」

「か、かりん……あ、あなた……」

 同期として愚痴なんかを言い合っていた軽い関係性は、終わりを告げた。
 今そこにいた同期は、社内クーデターの首謀者であったのだ。
 北山かりんは、日常の終わりを告げる宣誓を、高らかに行う。

「メニアイルHDの労働者諸君! 企業に縛られ毎日を奴隷のように過ごす日々は終わりだ! たった今、ここから日本の労働は変わる。ブラック――労働非遵守企業に厳正な裁きを!」

 オフィスを取り囲む同調者も呼応して叫ぶ。異様な光景であった。
 この状況下、何も知らないのは席を外していた多々良久也のみであった。戻った彼に複数の男たちが迫る。

「な、なんだ……これは!? き、貴様ら、いったい何をするつもりで……」

 うるさ型の上司として鳴らしてきた部長であってもこの状況ではさすがになすすべもなくうろたえるのみ。そんな彼に、北山かりんはこう告げるのであった。

「現れましたね、旧世紀的価値観にまみれた、社会のガン」
「なんだぁ……!? お前、確か新入社員の……口の利き方を学んで……」

 多々良部長は露骨に不快感を露わにした。それはそうであろう。娘くらいの歳の女性からいきなり高圧的な態度を取られたのであるから。周囲の男たちが彼を床へ押さえつける。

「ぐっ!? な、何を――!?」
「多々良久也。メニアイルが『牢卑』企業である根源であるあなたには、今日付けでここから辞めてもらいます」

「……ハッ。何を言い出すと思えば……なんの権限があって。おいお前ら、警察を呼べ! この革命家気取りの暴力女を捕らえろ!」

「なんの権限が、ですか。あ、それと警察は来ませんよ。これがただの新入社員の不満が爆発しただけの反乱だと思わないことですね。事態はもっと複雑で、巨視的に見ないとわからないものです。もっと大きな後ろ盾があるとしたらどうでしょうね?」

「そんなわけがない。ハッタリを……!」
「そうですか。ならば我々の組織がハッタリでないことを、今示して見せましょうか」

 そう言って、スッとスマホを取り出し彼の耳元へかざす。誰の声が流れたのであろうか。多々良部長の顔色が明らかに悪くなった。

「あ、あなたは――!? そ、そんな、バカな……」

「わかったでしょう? これは単なるいち企業からの反乱に終わらない。全労働者の待遇改善をなすための前哨戦にすぎないのよ」

「――ぐっ! おい貴様ら! こいつらの言うことに流されるな! まともなやり方だと思ってるのか!? こんなやり方では誰からも支持されるはずがない! こいつらに未来なぞあるものか!」

「未来――ですか。このままあなたの元で働いていたとしても、私たちに未来なんてなかったんですよ、多々良部長」

 恐らくは巻き込まれてしまったメニアイル社員たちは誰も、北山かりんのことをまともだとは思ってはいないはずである。おそらくは突然のことに何が何やらわからず翻弄され怯えている人が多数であろう。
 メニアイル全従業員でかかればこのクーデターの鎮圧もできるだろうが――誰も動かなかったあたりは、多々良部長の人望のほどがうかがえる。

 おい、こいつをつまみ出せ。二度とメニアイルに足を踏み入れさせるな――と、顔色ひとつ変えず、冷徹に同調者に指示を送る北山かりん。

「おい、こら、離せ! くそっ、貴様ら、こんなのはただの見せしめだ……ロクな結末をたどらんぞ!」

 必死にわめき叫ぶも、抵抗むなしく外へと追い出される多々良部長。
 彼の言うとおり、これは見せしめ――『私刑』にほかならなかった。

 しかし歪んだ『革命』は、かくして成功を収めてしまうのである。


 この事態のきっかけを作ってしまった新入社員・乙訓法子であるが、終始何もすることができず、ただその場に立ち尽くし怯えているだけであった。

 非常に残念なことであるが……彼女が引き金を引いてしまったこの混乱はこの程度では終わらなかった。北山かりんが得意げに述べたように、ただの前哨戦にすぎなかったのである。


9 コンソケ(観測)

 それは、優秀な調査員となってくれるであろうツネ――松岡常一の訪問を国を挙げて歓待していたさなかであった。

 テラー王国では宴もたけなわ。
 水を差す事のないよう、なるべく変化を悟られないように努めていたのであるが――さすがは数々の苦難を共にしてきた側近である。
 白い髪の少女がさりげなく気にかけてくるのであった。

「いかがなさいましたか? 顔色がすぐれませんが……」
「……いやなんでも……なくはないな。まったく、君は本当に気が回る」
「それが、わたしの役割ですから」
「……そうだ、な。ならば君の役割に甘えさせてもらうとしよう」

 立ち上がり、短く指示を耳打ちした。


 ――ウルヴィン(エルフィン)・ナメ(の間)・ウク(行く)。


 我と彼女にしか通じぬ符牒。
 彼女の表情も険しいものとなった。
 たった一言だけではあるが、おおよそを察したようである。

 それだけで、どれだけ心強いか。
 どれだけ、見も知らぬ土地での難局を乗り越える勇気を、もらえたことであろう。


 さて、事態は風雲急を告げる。
 まさかこんなことになるなんてな……後事を白髪の少女――セマラに託し、祝賀会場をあとにしたのであった。

 移動すること数刻、誰にも見られていないことを確認し、石の壁に手をつき唱えるは「ハウレウ・ムヌエール」の呪文――『ウルヴィンの間』の扉が開かれる。


 ウルヴィン――エルフたちの間。
 ここでは異界にいながらにして元の世界を俯瞰的に見ることができる力が増幅される。

 セマラ以外存在すらも知らない、人一人入るだけが精一杯の小さな空間。
 普段はゆったりと腰掛け、旅立って久しい世界の様子を眺めて独りの時間を楽しむのであるが――あいにくと今はそれどころではない。

 一刻も早く、問いたださなければならない。
 あの者は、どういうつもりであのような―― 

 一方の世界では、本来は微笑ましい凡ミスで終わっていた話から、社内を震撼させる重大事件に発展したようであるらしかった。

 こんなことは、全く筋書きにはない。
 多々良ごときに任せたのが失敗だったか……いや、あの程度の者のことなど今はどうでもいい。『観測者』に徹していたが、さすがに介入せざるを得ない。こことは違う、もう一方の世界とのコンタクトを試みるのであった。


「――きさま、どういうつもりだ……!? 相模(さがみ)欣也(きんや)」


 部屋じゅうを覆うモニター群の中央。
 ひときわ大きな画面に映し出されたのは、相模欣也――松岡常一、ついでに乙訓法子の指導を行っていた教授。
 長年計画を水面下で協力して進めてきた、いわば同志である。

 松岡常一については期待以上の人材を予感させるが――女の方は、いったいなんだアレは。きさまの教育がなっていないのではないか!? そんな悪態もついてやらねば気が済まなかった。

 だが――当の相模はと言えばあっけらかんとしていた。

「どう、とは? 数年来の知己に対していきなり、ご挨拶なことじゃて。さてはお主、若返って生意気さまで昔に戻ったかね?」

「戯言はよい。それとも真意がわからぬほど耄碌したか? 我は今気が立っておる。賢明な解答を心がけることだな」

「……おお、怖い怖い。老人をもう少しいたわらんかね」

 これまでに見たことのないほどの増長。くそ、このジジイ……

「いいだろう。昔の馴染みで猶予をやる。二度はないぞ。きさま、どういうつもりだ!?」

「どういうつもり、か。はて、なんのことを言ってるのか」

「とぼけるのも大概にしてもらおうか。きさまが下っ端を使ってメニアイルのクーデターを水面下で指揮していたことなど、とっくに筒抜けだ。それがわからぬきさまではなかろう……だから、なんのつもりだ、と聞いている」

 我は異世界にいながらにして、元いた世界のすべてを見通せる『観測者』なのである。そして、それは相模もよく承知しているはず。我の意向に逆らった行動をしたらこのように追求されることは百も承知であろう。

 にもかかわらず――ということは稀代の大馬鹿者か、よほど勝算が見込めるか。老人は汗さえもかかず飄々と続けた。
 
「……観測者はしょせん、ただ観測するだけ。時代を動かすことはできないということじゃよ」

「なんだと――!?」

 明らかな、我へ対する当てつけ。
 もはや野心を隠さぬその態度。
 いよいよ馬脚を現した、といったところか。
 いまさら影の支配者、フィクサー気取りか!? 老人はしたり顔であった。

「儂はお主と違い、時代を肌で感じてきた。そして痛感したのじゃよ。お主が長年かけて、歴史を捏造してまで周到に準備してきたのは、ただの泥舟だとな」

 時代を肌で感じた? 
 ふん、年寄りが世の中を見通せているなど。のぼせ上がっているのではないか?

「……ふん、雑誌『蓬莱』の主筆として徹底して異世界の存在を主張し計画の下地作りに奔走していたきさまとは思えんな。計画ではこれから本格的に『輸出』がスタートする手はずではないか。もしや、怖気づいたか?」

「……『輸出』、か。それは世の中に受け入れられないじゃろう」

「世の中の評価などいらぬ。歴史にいかに書かれようと、痛くも痒くもない。我々はただ計画を滞りなく進めるのみ。そうであろう、相模欣也」

「この世界を捨てて悠々自適に過ごして食う飯はさぞうまかろうな、成田太郎。いや、そちらでは『テラー王』と呼ばれているんだったかの?」

「……きさま、何が言いたい?」

「お主がお山の大将をしているうちに、世界の趨勢は変わった。巨大企業メニアイルは『牢卑』――旧体制の象徴として、若者たちに打ち砕かれるじゃろう」 

 革命家気取りか。それを扇動しているのはきさまであろう、相模!

「愚かな! 何も知らぬ若者を道具にしようなど!」
「お主もそうじゃろう?」
「なッ――!?」
「異世界人と現地人、どちらを手駒にするかの違いでしかない。こちらこそもう一度言わせてもらおう。お主の手段は世界に受け入れられない。遠からず、裁きの刻が訪れるじゃろう」
「我々――テラー王国と戦争を始めるつもりか!?」
「戦争、か。はっはっは」

 ジジイ……何がおかしい!?

「いやはや、お主はつくづく旧世紀的な人間じゃの。そんなつもりは微塵もありゃせんよ。戦争と呼ばれるようなものにはならんさ。さて。用はそれだけかの? こう見えて儂も隠居させてもらえず、忙しいのでな」

「きっ、きさま、逃げる気か!? 話はまだ――」
「じゃあの。なあに、悪いようにはせんさ。お主の会社は、儂に任せておきなされ」
「待ち――」


 一方的に切られる通信。
 ……くそっ。

 我はテラー王として異世界を、そして相模は現実世界を。それぞれの世界を統括する管理者として、これまでなんら反対されることもなかった。

 それだけに、完全に油断していた。
 まさか、あの程度の男に手玉に取られるとはな――……

 ともかく、こちらとしてはメニアイルのつながりがなければ、物資の調達ができない。現地民に『文明』をもたらす『カミ』としての体裁を保てなくなる。

 それは取りもなおさずテラー王国の正当性さえも揺るがしかねない事態である。

 ……相模欣也め。弟子を送り込んだばかりというタイミングで、なぜあえてこのように目立つような行動を……? 
 どういうつもりかは知らんが、松岡常一のことも含めて警戒はせねばなるまい――
 

 ――と。
 そのような混乱があったものの、松岡常一がやって来てからしばらくの間はつつがなく現代世界との通交は続けられた。ともかくも、最初の混乱はウソのような小康状態にあった。


 それが過去形であるのは、再び起きてはならないことが起きてしまったからにほかならない。


 あの、祭りのさなかに突如現れた、詩音(シオン)。
 我に仇なす残党は殲滅したと思っていたが……我の『目』も完全にすべてを見通せるわけではない。
 いかに優秀な『目』を持ったとて、関心の度合いによってどうしても見通せる範囲も限定される。我はまだほんとうの意味での『カミ』にはなりきれていないらしい。


 『サロ』の少女の回復にはどうしてもアマテラスの研究所に頼らねばならざるを得なかった。
 そのような事情はあったにせよ、西風舘小鳥の独断で松岡常一とソエラを『有給』という形で日本へ帰国させてしまったことも計算外であった。

 あの女はもう完全にテラー王国側の人間、という臆見がなかったとはいえない。またしても足元をすくわれたような思いであった。まったく、後先も考えず情にほだされよって。


 そして、アマテラス製薬や神聖会病院――および旅行会社のNTBもグルの可能性がある。

 『サロ』という切り札を、何を企んでいるかもわらかぬ相模の元へとみすみすタダで引き渡してしまうようなことになればどのようなことになるか。
 どちらもメニアイルとの提携という形で一蓮托生でやってきたならばその意味がわからないはずもなかろうに、止める素振りすら見せなかった。


 ――我も与り知らぬ計画が別に進んでいるというのか。

「我の敵となるものは、どいつだ。また闘わねばならぬというのか――!?」

 『ウルヴィンの間』のエルフたちは何も答えてはくれなかった。


10 サンノエ(洗脳)

 ツネ――松岡常一がメニアイル社に送信した異世界調査は『蓬莱』史上のスクープ扱いで掲載されることとなっている。
 発売日は目前。輪転機はもう回り始めていることであろう。
 メニアイルのクーデターがあって当初はどうなることかと思われたが、予定通りに事は進んでいた。


 この現実世界以外にも世界がある、ということが明るみになった時、人々はいったいどのような反応をするのであろうか。
 民俗学はついにオカルトに堕したかと非難轟々になるであろうか。それとも前代未聞の発見者として持ち上げられるであろうか――といった類の悩みを、彼は抱いているのであろうか。

 いや、それよりもおそらくは――福島弾丸ツアーからの帰路で、運転席の女友達から明かされた衝撃の告白のことでまずは頭がいっぱいであろうことは想像に難くなかった。ツネはあからさまな狼狽を見せる。


「……辞めさせた? って……?」


 軽口を言っているふうでないことを瞬時に感じ取ったツネ。それだけに、その異常性を受け止めきれずにいるようである。

 それもそのはず。乙訓法子は松岡常一と同じくただの新入社員なのである。目の上のたんこぶであった多々良部長を早々に辞めさせる、なんてことはとてもではないが、普通はありえない。

 
 そう、普通ならば。


 我はすべてを見通してしまっているのであるから、もはや特段の驚きなどないが、彼からしてみればまさに青天の霹靂とでもいうべきであろう。

 それまで楽しく談笑し打ち解けていたはずの気のいいお姉さんの目は据わり、不気味な笑みを浮かべている。そんな変化を敏感に感じ取り、異世界の少女も後部座席で不安げに縮こまるのであった。


「メニアイルは、いまや労働者の権利を勝ち取る『闘争』の拠点であり、最前線なのよ。そのための扉を開けたのが、私」

「――ちょっと待って。君は何を――?」

 気をつけないと肘をぶつけてしまいそうなほど近いはずの隣人の距離が、異世界のように隔たっているように彼には感じられることであろう。

 ツネの横にいるのは、以前の彼が知っている、ざっくばらんに打ち解ける間柄の友人ではなくなっていた。
 恋に悩む大学上がりの、ごくありふれた女性像としてあった法子は、完全に旧世紀じみた『闘争』の女傑へと変貌を遂げてしまっていたのであった。

「あの日はただ立ち尽くすだけだったけれど、今はもう違う。私は私の意志で、闘うことを選んだのよ」
「どうしたっていうんだよ!? ほーちゃん……なんか変だよ!?」
「私から言わせれば、ツネちゃんのほうがおかしいよ」
「え……!?」

「どうして行きたくもなかった場所になんか行かされて、おまけに……! 理不尽な命令に従わなきゃいけないなんておかしいと思わない!? 『牢卑』企業にいいようにこき使われて。今動かなきゃ、一生働き通しになっちゃうよ!? すべての日本人が主体となって、総力戦で抗っていかなきゃならない時なのよ!」

 彼女の言わんとしていることはわからぬこともないし、ツネもおそらくは似たような思いのはずである。
 だが心の底から同意するのをためらうのは、こういった人特有の、有無を言わさぬ『圧』――押しの強さによってなのであろう。

「ツネちゃんは『敵』に取り込まれようとしている。大いなる邪悪に。目を覚まして、テラー王は日本の――この世界の転覆を狙っているのよ!?」

 ――我の名を出すか。その口ぶり、小娘、どこまで知っている――!?

 にしても笑えてきてしまう。
 世界の転覆、だと? 
 なるほど相模欣也――ヤツは子飼いにそのように教え込んでいるのか。
 事実はまったくの逆。言いがかりも甚だしいところである。

 何やらわからないが何かをひどくこじらせてしまっている――そのように感じたのであろう、彼は困惑を通り越して、憐れみのような視線を彼女に向けるのであった。互いの理解は平行線。気まずい雰囲気のままドライブは続く。

「……いいのよ。ツネちゃんは私のものではないかもしれない。でもこれからも一緒だよ、私と、この世界とね。もう異世界なんて、行かせやしない」

 諦めと、決断と。法子のこの言葉は、己に言い聞かせるようでもあった。


 なんにせよやはり裏で手を引いているのは法子やツネを指導した相模欣也であろう。あの男は公然と我に反旗を翻そうとしている。

 法子は『闘争』という言葉を使った。
 決戦の時は、近いのかもしれない――


11 エロカラ(裏切り)

 『蓬莱』誌は過去にも幾度かこの現実世界とは違う世界があるのだとする論文を掲載し、その都度学術誌としての信用性が疑われてきた。

 しかしそれでも、この地球上のどこかに異世界に通じる門があり、その先には我々とはまったく価値観を異にする人々が住むのだ――という、ともすれば荒唐無稽にも見えるものが繰り返し『学説』として唱えられてきたのである。


 自らの学問的正当性を毀損しかねないほどの『珍説』になぜそれほどにこだわり続けていたか――? 
 
 それは取りも直さず、実際に『異世界』とのコンタクトが起こった時、人々の受ける衝撃を和らげるためであった。

 我々は、異世界と現代文明の邂逅をできるだけ無理のないものにするよう、それこそ数十年の月日をかけて周到に準備してきた。
 我々メニアイルがなぜ出版部門を持っていたのか? と言われれば、それはこの一点に尽きるのである。
 民俗学の論文から、時にライトノベルなどという庶民向けの読み物に至るまで、我々の出版物は人々に『異世界』というものの概念をなるべく受け入れやすくするというただひとつの目的のために存在しているのである。

 そのような目的をもって発行され続けてきた民俗学の機関紙『蓬莱』では、今月号、ついに部族調査員であるツネ――松岡常一のレポートが満を持して掲載された。数十年の成果を、今ここで結実させる、という手はずであった。


 彼のレポートは確かに掲載された。
 しかし――それはまったく許容し難い文脈を伴ったものであった。
 それを目にすることとなった我は、すぐさまウルヴィンの間へ駆け込み、あの男に抗議した。

「……耄碌ジジイ、きさま――やってくれたな!?」
「はて? どうしたのかな? 儂は確かに約束を守ったであろう? かわいい弟子の、みずみずしい文章ではないか」
「そこではない! 松岡常一のレポートと同時に掲載されたこれは……いったいどういうつもりだ!?」

 画面越しに対面している男――相模欣也はひどく気だるそうであった。

「――言ったじゃろうに。もうそんな時代じゃない、と。お主の陰謀なぞ所詮古い人間の、独善的で、おぞましい野望にすぎないのじゃよ。だから――儂がすべてをさらけ出したまで」

「……きさま……! すべての研究成果を水泡に帰させるつもりか!?」

「悪いが儂はきさまと違いこちら側の住人なのでな。わざわざ異世界に入れ込む必要もないのじゃよ」

 ……保身か!

「これだから加齢というものは度し難い」

「なんとでも言うがいい。そろそろ自分がこの世を去ったときどう言われるのか、後世の人からどのように評価されるのか――ということを考えずにはいられなくての」

「勿体回った言い方を……何が言いたい?」

「世界を誤った方向に導こうとした旧友の薄汚い野望を暴き、危機的状況を未然に食い止めた……と、いう筋書きで名を残すのであればワシの倅もかわいい孫たちも、さぞ誇らしく生きられるのではないのかな? と思うてな」

「……なに!?」
「というわけじゃ。お主の死でワシの人生を彩ってくれんかのう?」

 ハラワタが煮えくり返る、という慣用句はこういう時の心境を表すのであるな――

「相模欣也ァッ! きさまの命程度で贖えると思うなよ!」

 映像をブツリと切る。
 何が最も苛つかせるかといえば、裏切られたことそのものよりも、このような浅い男を、共に国難を救う同士であると信じて数十年やってきたという、己の過ち……!

 ウルヴィンの間を後にしたが、憤懣やるかたない。
 そんな折、ちょうどセマラと顔を合わせるのであった。

「――いかがなさいましたか? なんだか最近の王はひどく思い悩んでいるようですが――」

 送られる眼差しで、衷心から我を信頼し案じてくれていることがわかる。だからこそ己の不甲斐なさが許せなくて、どうにかなってしまいそうで――

「きゃっ!? 突然何を……く、苦しいです……」
「……すまん」
「甘えん坊の王様ですね……いいですよ」

 そう言って、彼女は我の背中に手を回す。
 言葉は少なくとも、我の思いを汲んでくれる優しさがありがたい。
 我の信じられるのは、この『サロ』の少女しかいない。彼女だけが、我を裏切らない。


12 コケホテ(告発)

「な、なんだ、これ……!? 早刷りのやつとぜんぜん違うじゃないか……」

 ひどくありふれた表現であるが、ツネ――松岡常一は困惑していた。

 それもそのはず。
 自らの異世界レポートが掲載された号の『蓬莱』誌は、おぞましささえ感じるほど異様な雰囲気に包まれていたからである。

 ツネという男の性格からして「世紀の発見としてもてはやされたい」などとは毫も考えていないであろうが、それでも文化的成果として大いに喧伝されるものと、彼自身も信じて疑っていなかったであろう。かくいう我も、そうであった。


 しかし実際はまったく逆で、『異世界』の発見に対する反発と、『蓬莱』発行元とその親会社メニアイル、そしてその創業者であるところの我――成田太郎の批判で誌面のすべてが占められていたのである。

 かつて言論に携わっていた者としては目を覆いたくなるほどの罵詈雑言がこれでもかとばかりに並べ立てられているさまは、学術誌というよりはひどく偏屈なジャーナリズム的で、週刊誌的下世話さすら想起させる。

 そんな雑誌の『変節』ぶりに困惑するツネをよそに、乙訓法子はそれ見たことか、と言いたげに勝ち誇っていた。

「始まったわね……わたしたちの正義の告発が」
「……正義……?」

 この女――やはり、相模欣也の思想にすっかり染まりきっているか。恐る恐る尋ねるツネ。

「そうよ。メニアイル――そしてテラー王とのたまう『裸の王様』に対する告発。その男はツネちゃん、あなたに『転生者』と言っていたわよね? そもそもがそこからまったくの嘘――自作自演の物語をでっち上げて自称していたにすぎないのよ」

「……この雑誌の内容が、真実だっていうのか!?」

「そうよ。テラー王は異世界を救った『転生者』なんかじゃない。むしろ逆。新大陸を蹂躙し尽くした、コンキスタドールすら裸足で逃げ出すほどの『侵略者』なのよ」

 ツネの傍らにいる少女は何も言わず、混乱の只中にいるであろう彼を心配そうにしながら座っているのみであった。

「しかもその男はそれだけに飽き足らず、異世界の人々を大量に『移民』として『輸出』することで、この世界さえも支配しようとしている。そこの少女は、そのために産み出された戦闘人形なのよ」
「……嘘だ、そんな、『サロ』の少女が、そんな……」
「そう? ツネちゃんはその目でしかと見たんでしょう? あの子の戦闘マシーンとしての片鱗を」

 ――そう、ツネは知っている。知っていても、あえてとぼけたフリを続けていきたいところであったろう。

 シオンと名乗っていたらしい刺客は特殊な訓練を受けていたらしかった。
 恐らくは、人体強化も施されていたであろう。
 その刺客を退けるほどの力を持っていて、そしてそれに命を救われた――ということを。

「そ、それは……」
「ツネちゃん――いや、松岡常一。我々の陣営に従ってもらいます。そこの少女をこちらの戦力とするために、ね」

 ツネは反抗することもすっかり諦めているようである。かつての友人をうなだれながら見つめる。

「拒否権は、なさそうだね……」
「当然。あなたが生きているうちはこの少女はあなたにつき従う。なにせ最初から――あなたに好意を持つように仕組まれていたんだからね」
「な!?」
 
 愕然、といった表情を浮かべるツネ。

「わたしにしてくれた、最果ての町で出逢った時の話? それも恐らくはタイミングに合わせて仕組まれた、巧妙に計算された筋書きだったのでしょうね」

「あの時の出逢いすら……!? ニセモノだというのか……!?」

「不自然だと思わない? いくら助けてもらったからって、一度逢っただけで見ず知らずの、しかも全く異なる世界から来た男を追ってついてきた、なんて」

「そ、それは……でも」

「そうね。この子は心からあなたを想ってここまでついてきているんでしょう。そこには嘘はないとわたしも思う。この子はおそらく真実を知らされていない。何も知らないまま、テラー王のコマとして、そしてあなたを守るための盾として――あなたに与えられた、哀しき人形なのよ」

 『人形』と形容された少女を見やるその主人は、自信なさげで、何をどうすればいいのか完全に見失っているようであった。

 いったい真実はどこにあるのか?
 今自分はどこに立っているのか?
 そんなことすら理解できていない風に見受けられた。

 ――いや、そう思えてしまうのは、我が彼の立ち位置に『観測者』として立ち入りすぎているからであるかもしれない。我もまた、思い通りにならぬ世界をただ眺めているにすぎないのである。
 

 いったいどこから、我は間違えてしまったのであろうか。
 『転生』してまで突き進んだのに、すべて徒労であったというのか――!?
 わからない。もう何も、わからない。

 狭い密室。
 モニターで敷き詰められた天井。
 映し出されている世界なんてもはや目に入っていなかったけれど。
 ぼんやりと眺めながら、我は過去を思い返していた。


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