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テラーの輪転機 異世界部族調査員と開花の少女 第4章

1 トンカン(探検)

 1944年、チューク諸島。当時の名称で言うと『トラック諸島』。
 南の島に理想郷を見出し、日本から移住する者も多かったのだという。
 我――成田太郎は陶器やガラス細工などの日用品を卸す貿易商の息子として、現地で生まれ育った。
 日本人の南洋「進出」以降、割合が急速に増えていたとはいえ現地の人々からすれば、我々は外様。
 同じ日本人のこどもとして数少ない友達だったのが、相模(さがみ)欣也(きんや)だった。

「欣也、軍艦が止まってる! かっけー! こっそり見に行こうぜ!」

 世は太平洋戦争真っ最中。

 大人たちの間では色々な動きがあったようであるが、当時はロクに何も知らないこどもであった。我々はいつだってあちこちで走り回っていた。
 どちらも学校に入り始めた程度の遊びたい盛りだったこともあり、開発の手付かずだったところも含めて色々なところを探検していたのであった。
 そんな折、二人は生い茂る草木をかきわけた先にある洞窟を見つけたのであった。


「なんだろ、ここ……!?」


 大人どころか車だって余裕で通れるくらいに入り口が広い。
 人が暮らしたり拠点としたりするにはおあつらえ向きにも見えるにもかかわらず、まるで人の手を拒むように、中はすべてを呑み込んでしまうほどに暗く冷やりとしていた。

 発見以来何度かそこで遊び回っていたが、不思議と現地民の寄り付く様子も見られなかった。それが当時の我々には都合がよかった。

「おい欣也、ここをオレたちの遊び場にしようぜ!」
「うん!」

 歳は変わらないが、欣也は昔から我の言うことを素直に頷き懐いてくるかわいい弟分のようなものであった。そう、ほんのすこし前までは。

 ともあれ、こうして少年がよくやる『秘密基地』というやつが誕生したのであった。


 ――そう、きっかけはこの程度の、ただの思いつきであった。

 しかし、この発見が我々の運命を決定づけることとなることなど、当時の我々には予想だにしなかった。


 我々は戦禍に巻き込まれることなく暮らしていたが、2月17日、すべての生活が一変した。

 現在も水没船が数多く残るほどの凄惨な被害をこうむった大規模な空襲があったのである。港からそこそこ距離があった場所からでも爆音がはっきりと聞こえたのを覚えている。

「うわっ、なんださっきの音!?」

 早朝、それで目が覚めてしまった我はいてもたってもいられず、家を飛び出してしまった。

 一目散に駆け出し、向かうはあの『秘密基地』。

 今から考えれば命知らずの危険な行為であるが、あそこほど巨大で硬そうな洞窟なら、何があっても大丈夫であろう、という妙な安心感があったのは事実である。

「欣也!」

 友も、考えていることは同じであったようだ。
 ほどなく欣也と合流、ふたりで秘密基地へとたどり着く。

「もっと深くに入ろうぜ」

 不安感から、欣也にこう持ちかけた。普段は我の言うことに素直に従っていた欣也も、この時ばかりはさすがに不安を口にした。  

「えっ、でも……あんな暗そうなのに、出られるかな……それにもし万が一、入り口が崩壊したら……」

 もっともな心配である。
 しかし、我は恐怖感からなんであろうが、頑なに奥へと進もうとする。

「大丈夫だって、大丈夫。」

 欣也はしぶしぶ、という感じであったが、以降はおとなしくついてきてくれた。
 幸いにも曲がりくねった道などはなく、まっすぐ進んでいるうちに、光が差し込んできた。

「――!? 出口だ!」
「……出て大丈夫なのかな?」
「ちょっとだけ顔を出すなら大丈夫じゃないか? 行ってみよう」

 好奇心旺盛で探索好きな一面が、こんな時にでも顔を覗かせる。
 ひょっこりと洞窟から出て見下ろした景色は、驚くべきものであった。


「!? な、なんだよ、これ……!?」


 港もない。軍の船もない。それどころか日本風の家屋も――
 何から何まで景色が違っていたことは、幼いながらもすぐに理解した。

「や、やっぱり帰ろうよ……な、なんか変だよ?」

 隣りにいる欣也も、このおかしな状況を理解し、困惑していた。
 ――これが、異世界『オ・アエセ』との、初めての遭遇であった。


2 トエハ(逃避)

 かつて『新大陸』と呼ばれる場所にはまったく文明を異にしていた人々が先住しており、発見者にして探検者はその人々を追い出した。
 非業な侵略の歴史。
 黄金の財宝が眠る未踏のフロンティアは、すでに家族あるものたちが数多く暮らしていた、生きとし生けるものの営みにあふれた場であった。

 そんな歴史など当時まったく知るよしもなかった我々であったが、ふとしたことでフロンティアを発見してしまうのであった。


 我々のいた島は典型的な南の熱帯地帯であり、自然と汗ばむほど暑いはずなのに、薄ら寒さすら覚えるほどであった。
 もっとも今振り返れば、それは元々いたところとのギャップゆえであり、実際のところ人類が活動する上でほどよく適していたのであるが――言い知れぬ不安感からほんの少しの変化にすら過敏になったというところであろう。


「……なんだよ、ここ!?」

 冒険心をくすぐられる展開なのかもしれないが、しばらく歩いてみても人の気配もなければ動物すら見当たらなかった。
 植生ばかりは立派であったが、かえってそれが不気味さを増幅させた。

 まるでそこは我々のような生物を拒んでいるのか、あるいは――

 辺りの木々にぶら下がっている、瑞々しさを予感させる作物。
 それがあるのはずっと気にかかっていたしなんならチラチラと見ていたが、まるでさも今発見したかのような無造作を装ってブチッとちぎってみせる。

「これ……食べられるのかな?」
「あ、危ないんじゃ……」
「……大丈夫大丈夫」

 大丈夫、大丈夫、とひたすらに念じながら口に入れる。
 ――多少甘すぎるくらいにも感じられたが、美味であった。
 当時は砂糖も貴重であったので、これほどの甘味がとろける経験もなかったのではないか。


(もしかして、ここのものを食べていくだけで、生きていけるんじゃ?) 


 そのような思いが一度去来してしまえば、自分でも抗し得ないほどに強くなっていった。
 
 そうだ。そうするのがいちばんだ。
 そう思いでもしなければ、今この状況を受け入れることができなかったのである。 

「……ここにしばらくいれば戦争に巻き込まれずに済むんじゃないか……?」

 欣也は何も言わずただうつむいていた。
 欣也は我の言うことにはほぼ全て反対せずついてくる。
 あの最初の時以外は反抗したり疑問を挟んだりという行動は見せなかったのであるが、流石に戸惑っているのが見て取れた。

「……」
「……大丈夫、大丈夫。両親とかは心配だけど、きっと生き延びてるさ」

 かくして我々ふたりは、考えることを逃れるかのようにして少しの間そこにとどまることにした。
 あたりも探して回ったりしたが、そこに最初のような冒険をかき立てるようなワクワク感はとうに消え失せていた。

 大丈夫、大丈夫……ちょっと時間を潰すだけだ。
 帰ってきたら、またなんてことはない日常に戻れるさ。
 だがそれはこどもの、予測とも言えぬ無根拠な思い込み過ぎなかったのである。
 現実はそう甘くはない。


「なんだよ……これ……」

 どれだけ時を過ごしていたであろうか。我々が戻ってきた時我々を迎えたのは、辺り一面瓦礫で埋め尽くされた、悲惨な光景であった。


「父さーーーーーん! 母さーーーーーーーん!」 


 二人で駆けずり回った。
 だが、どれほど走っても、すでに我々の知っていた場所ではなくなってしまっていた事実が突きつけられていくばかり。

 この短期間の『秘密基地』の発見と探検および逃避のうちに、我々はかけがえのないものを失ってしまったのであった。


 我々は生活するすべも見失ってしまった。
 その『現実』はこどもの我々には到底処理しきれない重さであった。
 かくして吸い寄せられるように、再び、あの『秘密基地』に逃れることとなる。

 この後欣也とずっと二人きりであったならば生きていたかわかったものではなかったが――今となっては幸か不幸かはわからないが――我々は出逢ってしまったのである。
 
 ――誰と? ここまでくれば付言も不要であろう。


3 アグンクヅ(お元気で)

 我々――成田太郎と相模欣也は、現実から逃れるようにあの洞窟をくぐり、異世界へとのめり込んでいった。
 
 こどもには受け入れがたい現実。目を覆いたくなる戦禍。
 あそこではないどこかならば、どこでもよかったのかもしれない。

 お互いに何もしゃべらなかった。
 ただひたすらに、草むらを分け入ったり、広大な平原を進んでいた。
 さすがに欣也もオドオドしながらしきりに後ろを振り返って、どこまでいくのだろうか、と心配になっているようであった。

 正直、もう取り返しのつかないところまできていたのはわかっていた。
 でも、あの時はもうどうにでもなれ、と思っていたのであった。
 だが、当然ながらそんな逃避行は、長く続くわけがない。


 どれだけ歩いたのか――といってもこどもの足だ。実際はそう歩いてもいないのであろうが――あの時の我々にとってはつらく長い道のりであったし、疲労以上に蓄積していたストレスなどもあったであろう。

「あっ――!」

 草に足をとられて、転んでしまった。
 ――痛い――ッ!

「成田くん! 大丈夫!?」
「平気だよ、これくらい……!」

 欣也がいるから必死でこらえたが、あの時の我は、肉体的な疲れとやりきれなさとで、立ち上がることができなかった。

 上空には照りつける太陽。

 冷静に考えればこの太陽はどこからきているのか、異世界の仕組みはどうなっているのか。支配者となった今でさえわからないことは多いわけであるが――あの時見た、残酷なまでにまばゆい光を放っていたあの空を、生涯忘れることはできないであろう。


 立ち上がることができない我を見てあわてふためき、あちこちキョロキョロと見回す欣也。気弱な彼は、ただうろたえることしかできなかった。
 そうした状況がしばらく続いていたが、やがて我々を発見してくれる人が現れる。

 彫刻かなにかかと見紛うほど均整の取れた容貌をしていたその少女。
 おそるおそる我々にコンタクトを取ってくる。


「デウジャウブ――?」


 耳慣れない言語――けれど、どんなことを言ったのかは小さな我々でもおおよそ推測できた。
 
 それもそのはず、実のところわかってしまえばひどく単純なものであったけれど――言葉もさることながら、白く透き通った髪に我々とはまったく違う出で立ち。両親たちといた島で目にした、あの先住民の人々とも明らかに異なる特徴を有していた。

 やがて彼女は二言三言発してから、我々の頭を撫でて駆け足気味に去っていった。

 助けを呼びに行ってくれたのであることは、その時の我々でも容易に理解できた。
 完全に人がいない土地に入ってしまった――と思い込んでいた我々であったが、そんなわけはなかった。よかった、ここにも人がいた――と、心の底から救われた。

 その後彼女が連れてきた人々は男女両方とも一様に白く長い髪を伸ばし、『異世界』の言語を話していたのであるが――当時の我々の父親くらいであろうか、唯一違った男性が混じっていることに気付く。

 その瞬間確信したことは正しかった。
 その父親ほどに年齢が離れた男性は――

「まさかここに迷い込んでくるあちらの人がいるとはな――ともあれ疲れたろう。安心していいから、今はゆっくり休もうな」

 日本語。
 我々が耳に馴染んだ言葉を使って、緊張をほぐしてくれたのである。
 
 我々と同じ人がいる――そう思えたら、強がって押しとどめていたものが堰を切ったように流れ、異世界の平原の真ん中で、我はわんわんと泣いたのであった。

 もうすっかり歩く元気さえなかった我々は『異世界』の人々におぶされながら、小さな集落――どこにいたのかも当時は理解していなかったが、現在で言うところのノト周辺であると思われる――へと案内され、一等大きな家の、寝床のようなところへ寝かしつけられた。黒髪の男性がにこやかに日本語で話す。

「本国の家とくらべたら粗末かもしれないが、ゆっくりと休むといい」
「あの……! ここは……どこですか!?」

 安心したところで生来の冒険心が蘇ってきたのか、気付けば我はこんな質問をぶつけていたのであった。
 はてどうして説明したものか、といったふうに少し考えたのち、その人はこう答えたのであった。

「ここか? そうだな……ここは、私が追い求めていた『MU(ムー)』の世界……いやわからんよな、すまん。私はここを『MU‐0(ムオ)』と呼んでいる」


 現在は実在がオカルト以外の分野では否定されている『ムー大陸』は、当時の段階では大多数の人たちの支持を得ていた説であり、日本でも海外の本が翻訳され関連書が発行された結果『超大陸』ブームともいえる様相を呈していたらしい。

 そのような時代背景があり、実際に『ムー大陸』があるのかという観点から大真面目に研究していた人もいた。
 この、現地民から『スンスー』――先生と呼ばれていた男性もそんな一人で、研究熱が高じて調査をしていくうち、ここを見つけたのだという。

 この『先生』がこの地を『ムオ』と名付け、現地民と共に研究生活を営むかたわら、言葉すら持たなかった彼らのために言葉を創始した。

 その言葉は、たとえばアやカなどの場合はエ、ケと言い換えるなどして日本語の音便を一定の規則でずらすだけの単純なもので、そのため、少し慣れれば我と欣也のふたりにも容易に変換できるようになった。

 我と欣也のふたりは、しばらく『ムオ』の集落のお世話になった。
 食うものにもまったく困らなかったし、我々を助けてくれたあの少女をはじめとした現地民の人々ともすぐに打ち解けることもできたし、とてもよくしてもらった。
 この時のことは、本当に感謝しかない。


 だからこそ――
 掌を返す段階になった時は、心が非常に痛んだものであった。


 はじめての『冒険』からはや数年。
 やがて外の世界の戦争が終わったことを知った我と欣也の2人は、いてもたってもいられなくなり、現実の世界へと帰ることにしたのであった。

「つらくなったら、また来いよ。私たちはずっと、ここにいるからな」

 笑顔で見送ってくれた『先生』。
 我々を助けてくれた少女も、そのかたわらにいた。

「テラー、クンエ。ダウケ、アグンクヅ」

 太郎、欣也。どうか、お元気で――

 涙を浮かべながら我々の背中を押してくれた可憐な少女。
 あの日から成長した彼女は、いちだんと、美人になっていた。
 別れが惜しくなかったのか、と言われればそれは嘘になるが、我々にとって『異世界』はあくまでも仮住まい。現実世界の日本こそが自分たちの故郷であり、よって立つべき場所であるという思いが強かった。

 無論、それは今でも変わっていない。
 我は、異世界にいながら、故郷である日本のことを考えなかった日はなかった。我は異世界にいながら、常に故国の利益になるべく行動してきたつもりである。

 ともあれ、この時はいったん『異世界』を離れ日本へと帰還を果たした。


「つらくなったら、また来いよ」


 『先生』はそのように言ってくれたわけであるが、のちに大人になった我々が再びこの世界に足を踏み入れたのは、その世界を利用し、蹂躙するためであった。


4 サンシャセ(進出)

 我々――成田太郎と相模欣也の世界へと帰還を果たした時には戦争はもう終わっていた。

 戦争の終結を知らず徹底抗戦を続けていた日本兵が「恥ずかしながら帰って参りました」と述べる様子が話題になりもしたが、我々もちょうどそのようなものであった。


 我はガラス細工商であった父親のツテから事業を起こし、派生産業として生まれたコンタクトレンズというヒット商品に恵まれ、一躍国内有数の大企業の社長へと成り上がることができた。
 欣也の方もまた、異世界での体験を活かして文化人類学および民俗学の分野で注目を浴びたのであるが、あまりに忙しかったこともあり、この頃のことはあまり覚えていない。

 ともかくも、我々は高度成長期の押せ押せムードにうまく乗っかることができ、生まれてきた舞台への復帰を成し遂げることができたのである。


 かつては『トラック諸島』と呼ばれ現在は『チューク諸島』と呼ばれているかの地から入ることのできる『異世界』の存在は、我々以外誰も知らなかった。

 そこに可能性を見出した我々は、民俗学・文化人類学研究の体裁を採りつつ、異世界『MU-0(ムオ)』の開発ができないものかと『進出』の準備を整えた。

 ――もう50年も前になろうか。時の経過はなんとも早いものである。
 かくして教授となった欣也のスポンサーを我が務める、という立場で今度は少年の『探検』ではなく大人としての『視察』に入ったのである。


「そういうことなら――お断りさせて頂く」

 ――『スンスー』こと松岡先生の返答は、にべもないものであった。

 最初こそ我々の再訪問を知り、先生や、現地民から抱き合うほどの歓待を受けた。無論、あの時の少女とも。彼女は成長してなお美しくなっていた。

 村の様子はあの時とびっくりするほど変わっていなかった。
 我々が最初に招かれたあの大きな家屋も、ひどくみすぼらしく思えた。
 戦後のめまぐるしい発展を経験した我々にとっては、郷愁を覚えるよりもひどく「遅れた」ものに映ったのである。

 説得もまくし立てるような、前のめりの形になる。

「なんでですか!? 我々の培った技術力ならこの世界をさらに発展させることができる。こんな生活する必要なんかない。ここは『地上の楽園』になるんです」

「……『こんな』!? 今、『こんな』生活と言ったか?」
「え、あっ……えっと」

 ――しまった! と思った時には遅かった。失言であった。

「君たちにはこの異世界が劣ったものであるという意識があるようなのは、よくわかった。君らのうち欣也くんは学者となったと聞いたが……その程度の意識ではお里が知れる。君たちも所詮はかつて『新大陸』を侵略した征服者たちとなんら変わらない。私はそんな地上の文明の独善さに嫌気が指し、ここで彼らと『共生』しているんだ。これ以上話すことはない、お引き通り願おう」

 再会を喜んだのもつかの間、冷酷に告げられたはっきりとした『拒絶』。
 我々を見る目にも、心の底からの軽蔑が読み取れた。
 
 ……とはいえ、このような回答も、もとより想定済み。
 確固とした『成果』を欲していた我々としても、はいそうですか、とは引き下がるわけにはいかなかった。

「……先生らしいですね。そういう頑固さ、好きですよ。でも、我々も手ぶらで帰るわけにはいかないんですよ」


「――キャアアアア!」


 手荒いマネはしたくなかったのではあるが――
 我々はひそかに同行していた部隊に『スンスー』の妻――かつて我が憧れの対象だった、あの少女を捕らえさせたのであった。

 建前上国家として外国に軍隊を派遣することはさすがにはばかられたので、我々の身辺警護を行う『私的な』警備団を同行させていたのである。
 銃火器を携行した『文明人』の我々に比べれば裸同然の彼らが勝てるはずもない。

「スミレっ!? ……お前たち。本物の侵略者になるつもりか……!?」

「侵略とは人聞きの悪い。ここはまだ所有する主権者が法的に定まってない地ですよ? つまりまだ、誰のものでもないんです。ならば、いちばんはじめに権利を主張した我々のもの。国際法上、きわめて正当な手続きです」 

「……まさかお前たちがそのような理屈を並べる汚い大人になるなんて、残念だよ。やっぱりあの時、なんとしても帰らせるべきではなかった――!」

「――なんとでもおっしゃってください。我々としても穏便に事を運びたい。おとなしく投降すれば、一生涯の生活は保障いたしますよ。我々もせっかくの貴重な研究サンプルを殲滅したくはありませんから」

「……心の底からクズに『成り下がった』ようだな成田太郎! ……欣也くんもこのような野蛮なマネを承認しているのか!? 学者としてのプライドは、ないのか!?」

「!? ぼ、僕は……」

「――欣也、耳を貸す必要はない。お前は我に従っていれば、それでいい」
「う、うん……」
「……変わってないな、君たちの関係。一方の意見だけを押し通すだけではいつか破綻するぞ?」
「いつまでも父親ぶった態度を取りなさる。いつまでもあなたが上位でいられると思ったら大間違いですよ」


「……常に上か下かを決めねば生きられない! あの忌まわしき軍隊の姿から、学ばなかったのか!? お前たちは! 何もッ――!」


「――!?」


 先生は躊躇なく、我に向かって飛びかかってきた。
 手にはナイフ。
 いつの間に――!? 
 と、あの時は、本気で焦ったものである。
 
 警護する部隊が、反射的に発砲するまでの一瞬が、途方もなく長く感じられた。
 銃弾は先生の身体を確実に捉え、即死であった。
 赤々とした死期彩が、異世界に飛沫く。


「――っ!? スンスー……――許さない! お前たちを!」

「――ひぃっ!」

 我々の警護団に拘束されていたはずのスミレ。
 何にも染まらないような、美しい白の髪は、紫へと変色していた。
 そんな目に見えた変化よりも、日本語が話せたのか――なんて、どうでもいいことに驚いたりしたものである。
 
 武装していた男たちをものともせず振り切り、我の元へと――血眼になって迫り来る――! 


 まったく、あんなにわずかな時の中で二度も死の恐怖を覚えるなんて、あの時ばかりは本当に肝が冷えたものであるよ。

 しかし、掛け値なしの『神』というものが本当にいるとするならば――
 あの時味方してくれたのは、征服者たちの時もそうであったように――我々のほうであった。

 耳慣れぬ銃声につられたのであろう。幼子がひょっこりと姿を見せる。


「――!? シン!? ダメッ!」


 この意識が逸れた、わずかな隙を、見逃さなかった。


「撃て! 撃てぇぇっ!」


 部隊総出で撃ち抜かれるスミレ。
 圧倒的な美貌でもって我々を魅了した女性は、変わり果てた姿となった。


「……今後の研究のためだ、スミレの亡骸だけは持ち帰る。それ以外は構わん、殲滅しろ」


 ――こうなってしまった以上は、この『ムオ』と先生が名付けた集落は、跡形もなく滅ぼさねばならなかった。


 異世界の先住民なんてものは、はじめからいなかった。
 事実はこのようでなくてはならなかった。


 良心の呵責などというものはなかった。
 彼らは姿形こそ似通っているが、異世界に住んでいるのであるから、我々人類とは異なる発展を遂げた末で生まれた別種の生物であろうから。
 彼らを駆逐するのは、我々人類が生活する上で当然のことであった。


「……先生の息子かな? キミのおかげで助かったよ、ありがとうな」

 彼女が『シン』と呼んでいた、その年端もいかぬ少年は、すべての毛が剃られた羊のように、小刻みに震えていた。

 無理もない。
 ――この光景を目にしたのならば、我々に逆らおうと考えたりはしないであろう。
 我々の手で、この少年を我々の監視下で育てていくことにしたのである。


 彼、松岡信の息子の名前が、常一。
 我々の事業の後継者となるべき男であった。


5 ナホン(日本)

 ――日本。経済力世界第3位。
 世界的には大国のひとつとして数えられる。

 しかしそれは薄氷のような、脆弱な土台の上に成り立っている。
 世界有数の経済大国という称号は、人々の過酷な労働に支えられているというのが実情だ。
 
 誰もが仕事へ行きたくないと不満を漏らし、それぞれのはたらく場所では張り詰めた空気が漂っている。
 中には仕事こそ生きがい、いつまでもやっていたいという人もいるかもしれないが、そんな人間はごく少数。
 
 本当はこんなところ一秒でも早く離脱したい。
 おそらくはほとんどの人たちが、そう思っている。
 
 なのに、どこもかしこも、まったく環境がよくなることがない。
 この経済力世界3位という名誉は、多くの人生の、本来はしっかり取られているべきの余暇――ひいては人間らしさを犠牲にした不名誉なものでもあるように思える。


 それでもこの不名誉かつ不相応な地位を手放したくはないのであろう。
 この過剰な労働をやめてしまえば、この国の国際競争力は落ち、瞬く間に貧国に成り下がってしまう、という危機感を本能が感じ取っているのかもしれない。

 かくして過剰な労働という自らを取り巻く『世界』を変えたくてたまらないのに、誰も変えることができないまま『日本』という名の輪転機は回り続けている――
 
 判で押したような『日本人』を量産し、社会へ供給するために。


 だが――誰かが変えなければいけない。
 誰かが先陣を切って、悪弊を取り除かなければならないのである。

 たとえ無理解やあきらめのために嘲笑われたとしても、誰かが、誰かが――変えるきっかけを作らなければならないのである。


 それは誰のこと? 
 誰が、変えてくれる? 
 
 待っていれば、誰かが変えてくれると思っていてずっと、何も、変わってこなかったのではないか?


 今こそ、我らの計画が成就されるべき時だ。
 我々の計画こそが、少子高齢化というはるか昔から予測しえた困難を解決する唯一絶対の方法なのだ。


「……バカバカしい」

 我々がいかに将来の見通しを語ったところで、このような門前払いを受けることもしばしばであった。

「日本が内部から崩壊するだって? ありえないね。日本の発展はこんなもんじゃない。これからも、未来もずっと、世界をリードし続ける。貴君も経営者であるならばそのような悲観論を述べるべきでないだろう――?」

 こう豪語した、かつて有識者会議で共に激論を戦わせた幹部は幸いであったと思う。なぜならば、日本の窮状を目にすることなく冥府へと旅立てたのであるから。


 我々は、高度経済成長の時代からこの状況を予測していた。
 
 けれど、あの時はベビーブームに沸いていたし、生涯賃金も上がり続けていた。
 年功序列制度が機能し、もっとも成功した社会主義とすら言われるほどの繁栄を謳歌していた。その状況で、日本は将来働き手に困ることになるだろう、と言っても鼻で笑われるだけであった。

 しかし、こんにちの我々は経験的に知っている。
 もっとも勢いのある時こそ落とし穴があると。
 
 全盛期こそが、もっとも重要な分岐点であるということを。もっとも富のあるうちに将来の対策をしておけばこのようなことにはならなかったはずであるのに。


 かつての帝国主義的な発展は、従属的な地位にある国や地域の労働力を二束三文で徴発することではじめて成し得た『奇跡』であった。
 そうでなければ差別的な地位におかれる人を国内で創出しなければならなかった。日本人そのものの暮らしがよくなればそのような地位の人を内部で創出することにも限界があるのは、自明のこと。


 ――それならば。
 日本のために粉骨砕身してくれる、従順で壮健、それでいて日本人としての固有性も阻害しない――そのような『人種』を造ってしまえばよい。
 
 それが、我と相模がたどり着いた答えであった。


6 ダムナティオ・メモリアエ

 我々しか知りえない『異世界』において、新しい『人種』を創造し、新しい『文明』を与えた。彼らは素朴な異世界人となった。

 彼らが先住民であった『MU-0(ムオ)』――これはエオと改名したのであるが――にとって代わり、まるで最初からそこにいたかのようなふるまいで暮らしはじめる。

 徹底的なこどもの管理、婚姻や出産にまつわる厳格なタブー。
 石のなかにチップを埋め込みコンピューターに制御させることで巧妙に偽装された『魔術』。
 それらすべてが我々に都合よく仕立て上げられた『文明』なのであった。

 よもや自分たちの起源が、我々が用意した偽りのものだとは気づきもしないであろう。我々は彼らにまつわるほぼすべてのものを『創造』したが、それは彼らのためではなく、あくまでも未来の日本の危機のため。

 彼らエオの民は知らず知らずのうちに、我々の思い描いた通りに、与えられた『文明』のなかで生き、日本に『輸出』され死んでいく。
 それが彼らにとっての栄誉。もとよりそれ以外の選択肢など彼らにはないし、未来永劫与えるなどあってはならないのである。


「準備はできた。あとは総仕上げだけだ……!」


 我々は長い時間をかけ、計画を忌憚なく進めていった。
 エオ族は以前の『ムオ』に迫る勢いで増殖。
 あとはいよいよ我々の本懐――日本の労働力として『輸出』していくための準備だけ、という段階まできていた。


 だが――想定外の事態が起こった。
 我々の後継者として育てていた松岡信である。


「くだらないガキどもと遊ぶな。勉学に励め。そうして周りと差をつけるのだ。おまえは将来の日本をしょって立つだけの人材なのだから」

「はい。おじさん」

「私の知り合いで相模という信頼できる教授がいるから、この大学で薫陶を受けなさい。それがおまえの人生のためでもあるのだ」

「はい。おじさん」


 『スンスー』こと松岡先生の一人息子である信は、あの日以来ずっと、我々の言うことに全く逆らわずに育っていた。
 我々の敷いた研究者という名のレールへと、少しも逸れることなく進んでくれている、と思われたのである。


 しかし、それらすべては我々に対する反抗のため、表向き恭順な素振りをみせていたにすぎなかった。


 愚かにもすっかり安心しきっていた我々は、異世界に赴任して現地人の『育成』にあたっていた信が、実は裏でこの世界の秘密を洩らしていたことを掴むまでに致命的なまでの時間を浪費したのである。


「僕はもう、見て見ぬフリなんてできない! おじさん達がやろうとしてることは、間違っている! だから……すべて、壊してやる!! みな、僕についてきてくれ!」


 あの時何もできなかった臆病な少年は、長い年月の末、『エオ族』を従え我々に対して反旗をひるがえすまでに成長した。

 あやつがレールに載るためのありとあらゆる手回しをしてきた。
 手塩にかけて育ててきたというのに。
 それが国をいたずらに乱すだけの……
 きさまには妻子もある。
 つまらぬ青年期のセンチメンタリズムを引きずる年齢であるまいに……!

 あらゆる研究施設が襲撃され、破壊されていった。
 我々にとっては寝耳の水の事態であり、当初はなすすべもなかった。
 
 だが、こどもの遊びに付き合っていられるほど我々も甘くはない。我々の本隊が派遣されれば、そこからは攻守が完全に逆転した。


 再現される、現代兵器の無双。
 それに加えて今回新たに動員したのは、スミレの遺伝子を受け継いだ改造種としての人型兵器――『サロ』の少女。セマラと、ソエラであった。


「エオ族――コロス……! 総テ……根絶ヤシニ……!!」


 彼女らはスミレの持っていた戦闘力を極限にまで高めた存在。
 幾多もの現代兵器群よりも頼りになった。
 
 積み重なる、『エオ族』の死骸。
 異世界は、紅い血の死期彩で染められた。

 我々に歯向かう、何が世界全体のためとなるかもわからぬ未開かつ未成熟な種族は、再び根絶やしにせねばならなかった。
 順調に数を殖やしていたのにこれまでの『投資』はすべて水の泡ではないか……余計なことをしてくれたものである。

 亡き恩師の忘れ形見であろうと『ムオ』の時の生き残りは、殲滅しなければならなかった。
 
 これは、我々の甘さが招いた事態。
 二度とこのような事態のないようにせねばならなかった。


「ねぇ。ぼくのお父さんは……どこにいるの?」
「……きみのお父さんは、どこか遠いところに行ったまま、行方がわからなくなっちゃったんだよ」

 
 ――ダムナティオ・メモリアエ。
 我々は反逆者・松岡信という人物がこの世にいたことそのものを、なかったことにしなければならなかったのである。


「『テラレ族』の文明を奪い尽くし破壊し尽くした残虐非道な部族は打ち倒された。我はテラー、神の転生者である。我はここに再び奪われた文明を立て直し、国を打ち立てる――!!」


 勝利の宣言。沸き起こる市民の歓声。
 そう、真実はこのようでなければならなかった。

 この『異世界』で求められていたのは、みずからが神の恩寵を受けるに足る特別な民族であるという『神話』と、邪悪な『敵』から『勝利』したという事実。

 その土地を治めるのは、神話さながらに異世界から召喚された勇者。
 我は老いさらばえて肉体的な限界を迎えていた成田太郎の肉体を捨て、『テラー王』として新生。みずから君臨したのである。


 我々は長い時間をかけて、傘下の雑誌媒体、ライトノベルと呼ばれる小説媒体などで繰り返し『異世界』の存在を国民に刷り込ませることで、突如として異世界人が現れたとしても受け入れやすくなるよう、用心深く、環境を醸成してきた。

 そして、『異世界』で過去に起きたことをまったく知るよしもない先生の孫・松岡常一に、我々の作り上げた「テラレ族の進歩的な文明」を調査・再発見してもらい、それを完全に客観的だと思われる手段でセンセーショナルに発表してみせる。

 こうしたのちに『異世界』の住人を日本へと落下傘的に『輸出』する――いや、実のところ既に地方に少数送り込んでいたのであるし、『エオ族』の残党狩りと称して『観光』に来た人々を適宜『間引いて』きたのであるが。


 果たして我々の『予言』通り、生産年齢人口の減少・少子高齢化の時代に差し掛かったことで、機は完全に熟したといえる。
 二度の頓挫がありながらもその都度立て直してきた計画は、今度こそ実現まで秒読みの段階となっていた。


 ……のであるはずが――!
 またしても信頼していた身内からの裏切りによって、曲がり角を迎えようとしている。

 わが祖国・日本に襲い来る国難を解決するには、これしかないのである。この計画が崩れるなどというのは……あってはならない。

「あっては……ならぬ!」
 
 我は負けぬ。どのような犠牲を払おうとも……!


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