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高校時代の作品と私の『太平天国』評

岩波新書『太平天国』

 岩波新書と言われれば、中公新書と並び、歴史通にとって最良の入門書が多いことで昔から知られていることと思います。

 今回は岩波新書さんから発売されてひとつきほどしか経っていない新刊『太平天国』について語りながら、かつて私が書いた作品などについてもお話していこうと思います(アフィ料金とかいらないので商品のアマゾンなどのリンク張りたいですけど張っていいのかわからないのでとりあえずそのままで)。

 太平天国とは、『』という皇帝がトップとして君臨する国家に対抗して建てられた、中国南部にあった国です。
 中国的なアレンジが入りながらもキリスト教を基礎とした『拝上帝会』の教祖・洪秀全が起こした民衆反乱は14年もの間続き、2,000万人以上の死者を出した世界最大の内乱とも言われています。
 『太平天国の乱』として歴史の授業で必ず登場するほど、中国の歴史はおろか世界全体で見てもかなりの重大事項だと言えるでしょう。

 この書は『太平天国の乱』と呼ばれる民衆反乱はどうして起こり、なおかつどのように失敗していったのか、詳細かつわかりやすく書かれていると思います。
 本書を紐解いていけば、残念ながら太平天国は滅ぶべくして滅んだということがわかるようになっています。


 太平天国は客家(ハッカ)という中国少数派の農民層と当時の学歴社会の敗者であった下層インテリが中心になって起こした国家ゆえにルサンチマン的な歪みが表出、都市住民層には受け入れがたい統治だったといいます。

 客家という自らの弱者ぶりには寄り添う一方で他民族や他の民衆組織に対しては非寛容だったことも問題視しています。
 太平天国軍は略奪をしない・女性を守るなどの高い規律で知られた一方、敵となった人々への対処は残酷そのもので、人類愛をとなえたキリスト教とはまったく相容れない敵愾心でも恐れられていたようです。
 これに筆者はキリスト教という自らの正義を被支配層の人々に強要してきた西欧の歴史的振る舞いにも原因があるという見方をしています。


 食糧や田畑などあらゆるものを共有財産とし、どんな人にも平等に分け与えるという原始共産主義的な理念があったものの、徹底されたとは言えず、結局は分配するためにあらゆるものが有力者の元に集められることとなり、民衆の立場は弱いものとならざるを得なかったようです。

 また、滅満興漢、満州人に支配された清朝を打倒して多数派である漢民族の国家を目指した太平天国ですが、『皇帝』という始皇帝以来の権威を否定する関係で過去の体制を理想とする復古主義的な側面が強く、現実的ではない政策が宗教的な絶対権力によって正当化された流れが書かれています。
 この頭でっかち加減が、下層読書人層だった洪秀全たち太平天国指導部の限界を示しています。

 太平天国が実は始皇帝以前の、いわゆる三帝時代(堯、舜、禹が統治していたという伝説の理想時代)のような体制を志向した復古主義的な国家だったというのは、この書で改めて気付かされたところでしたね。
 秦の始皇帝以前を理想とした現実的ではない政策が乱発されたという点では、王莽のようなところがありますね。


 当時の世界情勢は、日本など一部の例外を除き、国家の存亡は西欧列強が味方するかしないかにすべてがかかっているようなものでした。
 もし太平天国が彼ら西欧の支援をなんとかして取り付けることができていれば、なすすべもなく滅んでいたのは清朝のほうだったでしょうね。
 ですが仮に太平天国が勝利していたとしても、西欧列強の影響力はいっそう強くなっていたはずで、阮朝ベトナムのように保護国となるか、ムガル帝国のように滅ぼされて植民地化された可能性も高いでしょうけれど……

 ですが、そうはならなかった。
 実は2~3回、清朝を滅ぼすこともできたかもしれない瞬間があったようですが、ことごとく指揮系統のミスで成し遂げられなかったのが太平天国の運の尽きですね。

 『太平天国』はあらゆる身分の男女の平等をうたい、『皇帝』という当時の支配者を否定しながら、古代から続く中国的な価値観からは脱却できませんでした。

 
 中華帝国的な価値観は、『皇帝』がいなくなって久しいはずの現代に至るまで払拭できておらず、課題は積み残されているとしています。
 中国は強大な権力によって統一されていなければならない、でなければ、あの混乱が再び繰り返されてしまう、というトラウマが中国に暗い影を落としており、それがいま強国化へ突き進ませているのかもしれません。

 岩波さんは時に左派媒体の代表として一部から叩かれる傾向にありますが香港やウイグル、台湾情勢などへの懸念なども盛り込まれており、本書を読む限り、きちんと言うべきは言っておられると感じましたね。


高校時代の『清末の天啓』という作品

 これより前に『清末の天啓』という、高校時代にマンガとして描いたものを小説へと落とし込んだ作品をアップしました。

 私は高校の頃漫画家になりたいと漠然と思っていたのですが、マンガを描くのは大変だぞ、そう言うのなら一つでもいいからマンガを完成させてみろ、と親から言われる形で描いたのが『清末の天啓』という作品でした。

 当時、というか今でもそうなんですが──ペン入れもロクにできない、トーンも貼れない、じゃあデジ絵ができるかといえばそれもからっきし……出来としてはとてもお粗末なもので、結果としては諦めたほうがいいと諭され、専門学校への入学も断念した、という経緯があります。

 まあマンガを学びに行こうとしている人間が最初から何もかもできないのは当たり前といえば当たり前かもしれませんが……

 専門学校の卒業生の多くがそこを出たとしてちゃんと夢を叶えている人はごくわずかで、途中で離脱する子、卒業してもまったく違う職業に就いていたりするのを間近で何人も見てきました。

 なので、今からすればあの時冷静に反対してくれた親には感謝こそすれ恨んでいることもありませんし、その時があったから今こうしてnoteなどの場でこうして文章を書いているので、ある意味で無駄ではなかったのかなと。そう思うことにしたいですし、そうしなければなりませんね。


私の幼少期~青春期を魅了した『中国史』

 私は小学校の頃から学習まんがで歴史を学ぶのが好きな子でした。
 しかし私は日本史よりも中国史のほうに興味を示しました。

 小学校のうちから主要中国王朝の建国順をそらで言えたくらいには、中国の歴史のとりこでしたね。

 しかし私が中国史で興味を示したのは、『三国志』などのメジャーどころではなく清朝──とりわけ末期でした。中学の頃に、親の録画コレクションにあった映画『ラスト・エンペラー』などを観たのも影響しているでしょう。

 一応『三国志』もたしなみ程度には読みましたけど。
 
 戦乱や群雄割拠のダイナミックさよりも、栄華を極めていた高度な文化が衰退・破壊されていくところに儚さ、『滅びの美学』のようなものを感じ取っていたのかもしれません。

「今更やったって遅すぎるよ。清朝はもう終わりだ」
「清朝はもうおしまいか……」
 
 これは学習まんがに描かれた、『ラスト・エンペラー』溥儀の前代である載恬──光緒帝の、自らの力だけではどうにもならない無力さ、改革が失敗し幽閉されたことへの挫折感を現すセリフなのですが、幼い私に深く感情移入するところとなりました。

 多くの人に好まれる、中華を体現した『力強さ』よりも、権力のお飾りとして生きるほかなかった『か弱さ』のようなところに人間味を強く感じたのです。


 また、これはおそらく中学か高校の頃なのですが……
 現在の『このマンガがすごい!』の前身であった宝島のムックを中古で手に入れて知った、甲斐谷忍先生の『太平天国演義』という未完のマンガを読んで、さらに清朝末期への思いを熱くしたのですよね。
 
 甲斐谷忍先生といえば一大ブームとなった『ソムリエ』(作画担当)や『LIAR GAME』などの代表作を持つ漫画家さんです。

 なお『LIAR GAME』上に登場する宗教勢力の設定にも太平天国を元にしたと思われる箇所があります。

 このように、私の中国史好きは映画や小説・漫画などのエンターテイメントと共にありました。


太平天国とはなんだったのか

 中国に突如として現れたキリスト教国家、太平天国。
 しかしキリスト教とは似て非なるものであり、西洋人を大いに戸惑わせました。西洋人からは理解されず、かと言って現地の人にも受け入れられたともいえない。宗教的権威と武力、厳しい戒律によって締め付けることでしか成り立たせることができなかった、矛盾だらけの国家でした。

 これが近代化を経てから建国されていたのならばまた違った形になったのかもしれませんが、北京には『皇帝』が存在していた時代であり、中国古来の価値観からは逃れられませんでした。


 太平天国が存在できたのは『滅満興漢』のスローガンが大きかったことでしょう。
 中国最後の統一王朝である『清』は、女真族という少数民族が、大多数の漢民族を支配する、といういわゆる『征服王朝』でした。

 自分たちこそいちばんであるはずの中華が、女真族という外部から来た民に支配されるという屈辱に表立って反抗もできない、という抑圧的状況。

 そこにまったく別のところから西欧列強がやってきてなすすべもなく侵略される。
 中華を世界の中心とする中国古来の価値観では説明できないことでした。
 世界の中心であったはずの中華のプライドは大きく損なわれたでしょう。民衆の間には、いまの姿はほんとうの中華ではない、という思いが強くくすぶっていたはずです。

 キリスト教という宗教を媒介としながらも太平天国が目指したのはあくまでも『正統な中華王朝』であり欧米型民主主義国家ではありませんでした

 急速に迫ってくる西洋近代化の波と、中国古来の価値観。
 そのいつ崩れてもおかしくないバランスのもと成り立っていた、過渡期にのみ存在し得た国家であったのかもしれません。

 私にとって、その不安定さ、いびつさにこそ惹かれるものがあります。
 もちろん実際に経験するのは御免被りますが。

 
 高校の頃に中央公論新社版『世界の歴史』を借りて学んで以来、今回改めて振り返させていただいた『太平天国』でしたけれど、現代にも連なるテーマを読み込むことができてよい読書体験となりましたね。
 
 愚者は経験に学び賢者は歴史に学ぶ、なんて言いますけれど。
 わたしは賢者などでは決してなくむしろ限りなく愚者に近いですが、この複雑化した現代を読み解くためにも、歴史に学んでいきたいですね。
 


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