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テラーの輪転機 異世界部族調査員と開花の少女 第2章 5~8

5 サット(嫉妬)

 郷に入りてはなんとやらといえど、それまでに築き上げてきた価値観を覆すというのは並大抵のものではないこともまた確か。
 異文化理解とはかくも難しいのである。

 ツネ――松岡常一はどういうわけか少女とお風呂に入らなくてはいけなくなったのであった。


 とはいえ、何もバカ正直に先輩の言うことを聞く必要はない。

「ソエラ、先に・入って」

 彼はたどたどしいテラレ語でソエラに指示を送る。
 
 そう、風呂場の前で少女があがるのを待って、ひとりずつ交代で入れば済む話なのである。彼女はややしょげたような表情を見せたが、とりあえず彼の意を汲んだようで、先に風呂場へと消えていく。

「これで、よし」
「……ちっ、ヘタレが」

「わぁ! 小鳥先輩! いつからそこに!?」

「どうせそんなこったろうと思って様子を見てたら……はぁー……バカね、いくらあたしがロリコンロリコン言ってたからって、変に意識するほうが変態チックよ?」

「うっ……じゃあそんなこと最初から言わないでくださいよ」
「いやよ。面白くないじゃない」
「じゃあ、あとよろしく」


 バカバカしくなってその場を後にしようとしたツネを呼び止める小鳥。
 その口調からは一切、おちゃらけが消えていた。
 ツネは気圧されて、思わず立ち止まってしまう。

「……無理に旦那様になろうとしなくていいのよ。彼女は身寄りがなかった。だから、親の代わりとなってくれるような存在を探しているのよ」

「父親代わりにも、夫にもなれっていうのは、あまりにも……大人の都合を押し付け過ぎじゃないですか……? 僕じゃなくて、彼女に」

「それは、正直今更じゃない? あたしに言わせれば、今までのキミの態度の方が、よほど突き放しているように見えるけどね」

「! ……そ、そんなこと……」
「ソエラちゃんだってこどもじゃないわ。キミの立場も知っている」
「こどもと大人を使い分けられるほど、器用でしょうか? 僕にはそう思えなくて」

「どうかしらね。同年代の頃の自分を思い出してみれば? 大人の気持ちなんて案外見透かしていたんじゃない? 少なくともあたしはそうだった」

「……そんなに小さな頃から、無理に大人にさせてどうするんですか」

「それを選ぶのはキミじゃない。彼女自身よ。今のキミにできることは、できるだけ彼女に寄り添ってあげること。難しく考えないでいいのよ」

「そこまであの子のことを考えているなら……小鳥先輩が引き取ればよかったじゃないですか」

「……今の言葉、聞かなかったことにしてあげる。次言ったらブン殴る」
「……」

「キミがあの子を最初に助けたあの場所。そこにはあたしもいた。けれどあの子は同性のあたしよりも、キミを選んだ。まあ当たり前の話だけど、それがすべてよ。というか、メニアイル本社で9ちゃん部長に毎日キツく当たられる毎日に比べれば、楽園みたいなものよ? 肩の力を抜いたらどう?」

「先輩は抜きすぎなんですよ」
「あは、怒られた。てへぺろ☆」
「……じゃあ、あとよろしく」

「ああっ、待ちなさい! ともかく、今のキミに必要なのは度胸よ。さあ脱いで! 脱いで! 余計なこと考えず素の自分でぶち当たってみなさい!」

「ちょ、ちょっと! パンツ引っ張――」

 あまりにも小鳥が強引に引っ張るものだから、ふたりしてバランスを崩してしまう。

「うわわっ!?」

 そんなに運動神経のよい方ではないツネは、スローモーションのようにすべてを把握してながらも、転んでしまうという動作を回避することができない。彼が小鳥に覆いかぶさる形でふたりして派手に倒れ込んでしまった。

「……キミ、ちょっと見直したわ。でも、ちょっと重いな」

 小鳥はそう言いながら、ツネの両肩をぐいと押し上げる。
 少しはだけたところから、なまめかしく曲線を描いた素肌がのぞく。そこからは、まだ乾ききってない水気が雫となってわずかに滴っていた。

「は!? え!? ご、ごめんなさい、ち、ちちち違うんですこれは!」

 こういうのをラッキースケベと呼ぶのだったろうか。あわてて飛びのくツネ。その時背後に何かと接触したのを感じた。それほど大きくなくて、どこか繊細で……そうまるでヒトのような――……と考えた結果、それがなんであるのかを悟る。彼はそっと、そおっと首をかしげていく。

「そ、ソ……あ、あはは……い、いやあ早かったね、あはは……」

 タイミング悪くというかなんというか。そこには風呂から上がりこどもには不釣り合いなほど大きなバスタオルを巻いた白髪の少女が立ちふさがっていた。少女は何も言わず、片手でぐいとツネの腕を引いて、無理矢理風呂場へと連れて行く。


 はじめは目を丸くして、一部始終を眺めていた小鳥。はだけた胸元を直しながらも、ニヤニヤと上機嫌であった。

「ふーん……そうかあ……あの子あたしに……そうかあ……!」

 
「ちょっ、ちょっと……どうしたのさ、ソエ……」

 まさか大人とこどもほどに体格差のある華奢な少女の握力がこれほどまでに強いだなんて、彼は思ってもみなかった。振りほどくことができないままに、そのまま共用の脱衣所まで引きずられる格好になってしまっていた。

「は、はなして」

 この台詞を男性側が言うことの逆転ぶり。草食化もここまできたのかと、意識の高いコメンテーターならばしたり顔で俗な心理学をふりかざすところであろうか。少女はうつむいたまま彼の腕から手を離す。

「あ、あの……ソエラさん……?」

 少女は依然として無言。ツネはどうしていいかわからず、重苦しい空気が流れる。

「あの……お、怒っていらっしゃる……?」

 しばしの沈黙のうち、少女は、はじめて自分自身に宿る、未知の心情を吐き出す。

 なお、ここからは特記無き限り、この風呂に関する場面での会話はテラレ語で行われているものとする。 

「わからない……わたし・わかり・ません」

 ツネは咀嚼するように、ゆっくりと解読していく。

「……わか……わから・ない……?」

「ことり・さん・の・ことは・きらい・じゃない」
「小鳥、さん……うん、うん……?」

「でも・わたし・さっき・ことり・さん・が……ううん、ことり・さん・みて・ゆるせなく・なった」

「……うん?」

「なんでか・わからない。ツネは、わかる?」

 小さな少女の目元には大粒の涙がたまっていた。自分の中で湧き上がったはじめての感情がなんであるのか。コントロールすることもできず、戸惑っているのが見て取れた。
 
 そう、それは――嫉妬。小さくてかわいらしい、ワガママであった。

 ソエラはソエラなりに、さまざまなものをいままで抑圧してきたのであろう。手に入らないものを心の中で押し込めることで、心の扉にフタをしていた。

 それだけに、一度手に入れた大事なものは、絶対に失いたくないという気持ちが人一倍強く出てしまった、ということなのであろう。


 その少女が、たまらなく愛おしくなった。気がつけば、彼女のか細くすぐに壊れてしまいそうな身体を、強く、強く抱きしめていた。

「……! いたい……いたいよ……」

 そう言いつつも、彼女は拒もうとはせず、背後にそっと両手を回す。閉じられた瞼からは、温かな雫が伝う。


 ――ああ、今まで自分は何をくだらないことを気にしていたんだろう。
 己を恥じた彼は、今までソエラに取ってきた態度を改めることを誓った。
 
 自分のことよりも、彼女の愛情に応えてあげること。
 この異世界生活を、できる限り彼女との時間に充てることを、誓ったのであった。
 脱衣所で。
 繰り返そう、脱衣所でである。
 彼女の身体を今一度離したツネは、重大インシデントに気付かざるを得なかった。

 彼女に巻かれ最終防衛線を死守していたバスタオル先輩はどうなったであろうか、もうおわかりいただけたであろう。雪のように白い素肌は。何にも遮られることなく。ひたすらに自由を謳歌していたのであった。

「わわわ! ちょ、それ! 巻いて! 拾って、巻いて!」

「じつは・わたし・まだ・おふろ・はいって・ない。いっしょに・はいろ」
 
 ソエラは自らの持つ人ならざる魅力を知ってか知らずか、無防備に誘惑しては彼の純情をかき乱す。ひょっとしたら、彼のほうこそ彼女なしにはいられなくなってしまったのかもしれない。

「~~~っ。っんとに、キミは……!」


 つくづく気まぐれな小さな妖精にペースを握られっぱなしの松岡常一・新社会人なのであった。

「……あの、そんなに見られると脱ぎにくいんだけど……」

「あ……! ご、ごめん・なさい!」

 言われるまではガン見していた少女はあわてて目を逸らした。
 もしかしたら、彼女は見た目よりずっと大人びてて、マセているのかもしれない――と、ツネは小鳥の言葉を振り返りながら思うのであった。


 そしてついに、ふたりは寄り添い、浴場へと足を踏み入れる。

「ほんとに入ってしまった……」

 ひとりかふたり入れるかどうか、という本当に個人宅のそれに近い浴場。

 そんな狭い水周りに、ほとんどまとうものがない成年男性と幼女がふたりきり。
 外泊という印象がまったくしてこないわけであるが、そのパーソナルな雰囲気が背徳感を際立たせるのに一役買ってしまっている。

「せ、せなか・ながそうか……?」

 ソエラからの、突然の申し出。

「ホアッ!? け、けっこうでございますぅ!?」

 彼は思わず声を裏返す。おずおずと、されど積極的に迫る少女に、彼はといえば相変わらず翻弄されっぱなしであった。

「ホア(はい)? けっこう? じゃあ・いいん・ですね」 

「え!? そ、そういう意味で言ったんじゃ……はい・お願い・します……」

 日本語のニュアンスを正しく伝えることの難しさよ。
 されるがまま、身体を洗ってもらうツネ。しかも――直接、手で。まるでいかがわしいお店のそれのような雰囲気である。
 男性とは違い、どんなにきつく締めたところで、どうしても上半身のある部位にはV字型の隙間ができてしまう。人は穴を埋めたがる生き物。そこに空洞があれば、気になってしまうのである。それがたかだか数ミリの空間であっても。


 ――変に意識しちゃうからダメなんだ。自然に、自然に――
 とでも自分を律しているのであろうが、やはり悶々としてしまうようで―― 
 ツネは気を紛らわせようと置いてあるものに目を向ける。

 古代ローマからあったといわれる石鹸はともかくとして、普通に液体シャンプーがあることに彼はびっくりした。
 シャンプーの起源は英領インド。
 これもトマトやジャガイモ同様、植民地支配起源だ。現在の形になったのは20世紀以降といわれており、歴史的にはかなり新しいものなのである。

 これもメニアイルが普及させたのであろうかと、彼はシャンプーの容器を手にとって裏面を向けた。

 そこには『PURPLE ASTER』という商品名と『アマテラス製薬』という社名が書かれていた。そういえばここもメニアイルの主要株主というのが○季報に載っていたような……となんとなく思い出していたようである。

「どうか・したの?」
「……あ、ああ。大したことじゃないよ」

「そう? ……じゃあ・つぎは・ツネが・あらって」

 そう言って、少女は艶っぽく、はらりと背部を露出させる。

「!????」

 世界の真理にして永久不滅の箴言「Yes ロリータ No タッチ」の大原則が! うちゅうのほうそくがみだれる!

「さ、さっさささすがにそれは! ……さ、先に浴槽つかってるから!」
「……ツネ」
「は、はい? なん・でしょう……??」

「たおる・おちてるよ」


 ……ち~ん(写植記号BA-90省略)


「んああああーーーッ!? し、失礼しましたァッ!」

 彼の人生史上最大級の赤っ恥体験。
 手渡されたものを受け取るやいなや、逃げるようにあわてて浴槽の中に入るツネ。
 
 意識をするなというのが無理な注文というものなのであろう。盗み見るように、身体を洗う彼女の肢体をうかがってしまう。

 (あれは……)

 彼女の背中には、虐待を受けてできたものと思われる生傷が絶えなかった。本来ならば誰にも見られたくないとひた隠しにし続けてもおかしくない。それなのに――

 ツネの視線に気づいたのか、ニコリと振り返る。
 
 彼の顔がみるみる赤くなるのは、お湯に浸かって体温が上がっているだけではないであろう。


 ところで、女性は自らが浴びる視線にはかなり自覚的である。
 
 みずからの身体が、他者からの応答を呼び起こす。
 それを気味の悪いものとして払いのける人もいれば、それはそれでひとつのあり方なのだと受け入れる人もいる。 
 他者のまなざしを受ける身体と彼女自身というのは切り離せないし、他者からの応答があるということが、彼女自身を形作ることとなるのである。 
 その是非はさておき、思春期に差し掛かかれば必ず通過しなければならないような原体験であるといえよう。

 ソエラは、どちらであろうか。
 
 いやおそらくそれは、愚問というべきかもしれない。
 彼女は、見た目以上に強い少女である。

 ひとしきり髪と身体を洗ったところで彼女は、

「おじゃま・します……いい・よね……?」

 人一人が入るのが精一杯であろう浴槽に、乗っかるようにして入ってくる。
 フィルムメディアを使ってじゃれ合っていた時も彼と少女はかなり密着していたわけではあるが、今は薄い布一枚隔てるのみで、お互いにほぼ裸同然。

「~~~~~~!!!?」

 お互いに多少なりとも意識し合っていた法子とさえ、これほど肌と肌が間近で触れ合ったことはない。
 ウブな彼には刺激が強かったらしい。そのままふらっと――浴槽のカドに頭をぶつけて、そのまま動かなくなってしまった。

「ツネ? ツネ!?」
 

 ――松岡常一先生の次回作にご期待ください。


6 ヘオン(不安)

 ――ねぇ、浦島太郎のお話は知ってる?

「うるさいなあ……それくらい、知ってるに決まってるでしょ……」

 ツネ――松岡常一は謎の声の主に対して露骨な不快感を露わにする。
 でもなぜだか、脳の中に直接語りかけ続けられるようで、無視を決め込むこともできなかった。

 ――浦島太郎は竜宮城の楽しい日々から戻って玉手箱を開けると、白髪のおじいちゃんになっちゃったんだよね?

「ああそうだよ。だからそれがなんだって……」

 ――その浦島太郎って、ほんとは最初からおじいちゃんだったんじゃないのかな? 竜宮城は若返ることができる場所だったんだよ。おじいちゃんであることを忘れるほどそこで楽しんで、さあ元の世界に帰ろうというところで呪いが解けて現実に引き戻された。案外、そんな話かもしれないよ?

「くだらない。トンデモ学説が過ぎる。創作としても不出来だ」

 ――そうかな?

「そうだよ。だいたい老人だったら亀を助けることができないだろう。まあでも一応聞いてあげるよ。その老人は、最後どうなるんだ?」

 ――決まってるじゃない。

「死ぬのよ」 

 全身が返り血で染まった姿で迫ってきたのは、白髪の少女であった。


「うわあああああああああああああ!!!」

 あの夜、そんな悪夢で、ツネは目を覚ましたという。


「あ、あれ……!? ここは……!?」

 ベッドの上。正面を向けばまだ真新しい天井。かたわらには、小鳥が壁に寄りかかって眠そうにしていた。彼女は読んでいた本を畳んで、ほっと一息つく。

「やっと目を覚ました。もう朝よ。まあそんなに心配してなかったけどね。まったく、お風呂場で倒れたって聞いてアホかこいつって思ったわよ」

「倒れていた……? そうですか、すみません……」

 ようやく彼は状況を呑み込むと、ツネは隣ですやすやと眠る少女に気がついた。
 夜からずっとついていてくれたのだという。

「彼女、めっちゃ泣きそうな顔であたしの部屋に来るから、ああ松岡くんもケダモノになっちゃったのかと思っちゃったわ」

「……あの」

「冗談だって。テラー王国でそんなの知られたらおっかないサンカコンにしょっぴかれちゃうわ」

「サンカコン?」

「神祇官。お城に行った時いたでしょ、顔まで黒装束で覆ったヤツら。まあその話もおいおいでいいでしょ。キミ、ヘタレだし」

「……はいはい、もうヘタレでもなんでもいいですよ」

「それだけ受け答えがしっかりしてれば大丈夫そうね。じゃあ予定が少し延びちゃったけど、少しだけ時間あけてから出るわよ。穏やかな晴れとまではいかないけど、残念ながら。あ、少しでも意識に異常をきたしたら、さっさと言いなさいね。万が一があっちゃいけないから」

「あ、ありがとうございます。たぶん大丈夫です」

「そ。じゃあ、その子を見失わないように一緒にね……ふあぁ」

 ツネは小鳥が眠たそうに部屋を後にしたのを確認して、いけないと思いながらも、いとけない新妻の寝顔をそおっと覗く。なかなかにムッツリな野郎である。

 少女の寝顔は見るものを穏やかにさせる安らかさがあり、寝息も控えめであった。寝間着の首筋より先からは、天と山を分かつ、傾斜のやさしい稜線が浮かび上がっている。彼は吸い込まれるように、吐息のかかる距離まで顔を近づける。

 その時、彼女の目が突如として開く。

「うわっ!? お、起きてたの!?」

「……ツネが・目を・覚ました・あたりから。おはよう」

「――ぁぁぁっ」

 またこの少女は、朝から青年の心を意地悪にもてあそぶのであった。


 ほどなく荷物を整え、4人集まって宿を出る支払いを済ませる。
 小さな宿屋の主人にうながされ、小鳥はフィルムメディアをかざす。
 すると「シャリ~ン♪」という、改札などでかざす時によく聞き慣れた小気味よいメロディが鳴る。

「え、電子マネー……」

 この異世界、電子マネー対応である。キャッシュレス社会を本国より先に実現している異世界。ツネは目を丸くするばかりであった。

「なに驚いてるのよ。ここではお金といえばすべてデータ。普通でしょ」
「え? そ、そうでしょうか……」

 フィルムメディアという次世代携帯端末が普及しているらしい世界。
 それならばむしろ対応していないほうが不思議というものではある。
 それでも彼にとっては、まさしくブレイクスルーと呼ぶに等しい衝撃であったことであろう。

 文明の発達にあたっては物々交換からお金=貨幣への移行というのが重要な尺度となる。物々交換に代わり貨幣が発達して、貴金属とのレート保証から国家の保証に移行する……というのが資本主義の発展モデル。
 実際上の硬貨の流通を経ない電子化というのは、それを数段階は軽くふっ飛ばした、経済学の常識を根本から覆すものなのである。
 
 そんなことが可能なのであろうかと、ツネは宿を出ても訝しんでいた。
 馬車に乗ってからも難しい顔で悩んでいると、見かねた小鳥から以下のような答えが返ってきた。

「テラレ王国は、石と土の文明だった。大小さまざまな石を各地に配置し、その所有権を交換したりしていたのが通貨代わりだったといわれているわ」

 ミクロネシア連邦ヤップ島ではフェまたはライとよばれる、30センチ、場合によっては数メートルを超える巨大な石の貨幣が用いられていたという。

 基本的には特別な贈り物のようなもので、もちろんそんなものがお金として日常的に運ばれていたりしていたわけではない。持ち運びの難しいものに関しては、ある場所に置かれたまま持ち主の所有権のみをスライドさせる、というシステムであったとされている。
 
 小鳥はさらに続ける。

「文明が発展していくにつれ、巨大な石の一部を貸したり共有するという形で名前や額面を刻んでいく独特の文化が発達したそうよ。つまりはテラレ部族ではお金というものが、我々がイメージするようなジャラジャラの硬貨や札束なんかじゃない、記録された数字として普及していたのね。だから電子化も素直に受け入れられたんじゃないかしら」

 巨大都市圏・テラレトエンの中心部に向かう道中、ツネは改めて異世界の底知れぬ高度な発展を思い知ることとなり、ただただ言葉を失うしかなかった。小鳥は手持ち無沙汰にしているソエラのために、水を向ける。

「まあ、そんなことよりも?」
「……そんなことよりも?」
「もっとイチャつかんかい」

 小鳥の性格をかんがみれば、予想通りの流れ。ツネもだんだん彼女の言わんとすることが雰囲気で読み取れるようになってきた。

「はぁ……言うと思いましたよ」
「ならその通りにしなさい。これは上司命令よ」

「イチャつけと言われましても……ねぇ……」

 ツネはゴニョゴニョと口ごもる。

「いつまでもあると思うな親と嫁。愛想つかされちゃうわよ?」

 親、という単語に少し心をざわつかせながらも。
 言わんとしていることはわかるけどそのことわざは違うと思う――と胸中でツッコミを入れるツネであった。

 するとそこに思わぬフォローが少女から入れられる。

「わ・わたしは……あいそ・なんて。ずっと……すき・ですよ」

 腕を回し、ぴとりと彼の前に寄り添う。どこで覚えたそんなテクニック、って首謀者は彼の目の前にいるか。

「……おうおう。愛されてるじゃないの」
「もう、からかわないでくださいよ」

「いいよいいよ。こういうのが見たいのよ、こういうのが。どうせ別世界にきてるんだからもっと楽しそうになさいな。キミは少し、幸せになることを怖がってるから」

 小鳥は飄々としているが、時として犀利かつ鋭利に突き刺してくる。

「……怖がってる? 僕が?」

「そうよ。自分ごときが他人を幸せにできるのだろうか悩んでます、って顔してる。学問にのめり込んだのも、気を紛らわせるためなのよね、多分」

「……小鳥先輩は、時々言葉で突き刺してきますね」

「あら、そう? まあ自覚できるだけまだマシかな。キミはもっと幸せになってもいいのよ。怖がらないで、あの子を愛してあげなさい」

 ツネはなんでも見透かされているようで少しムッとする。

「……言われなくても、そうしますよ」

 あっしまった、という顔をする彼。小鳥はニンマリと粘っこい笑みを浮かべる。

「うひょー。出ました、おノロケ発言! よかったね、ソエラちゃん」
「う……うん……」

「――おっと。そんな話をしていたら、見えてきたわね。キミたちは拝謁の時に続いて2度めね。前は落ち着いて色々と見る暇もなかったでしょう? 今日は色々と楽しんじゃいなさい」


 ツネとソエラは仲良く馬車から覗き見る。

 勇壮な石の砦と、それを中心にして円周上に広がる壁が築かれた城下町。それが王にして神の鎮座する首都テラレトエン中心部テラレシャエ。王国の心臓部であり、経済の中心地である。

「心臓部って言ってもこの大陸の名前はセトモッケ――『胃』だったりするんで胃に心臓ってなんだよ、ってなるけどね、ふふっ」

 小鳥によると、異世界『オ・アエセ』には4つの大陸があるのだという。
 それぞれ脳などの臓器の名前がついた大陸であり、それぞれの大陸を囲むように中立地帯『ココロ』島が浮かんでいるとのこと。
 
 その話を聞いて、研究者の血がまた騒いだようである。
 これまで得た少しばかりの情報から、ツネは軽く推理してみせる。

「エオは青という意味ですよね。きのう、水を象徴する民族だとも言った。エオ族はつまり、ほかの大陸から渡ってきた『海の民』だったのではないですか?」


 『海の民』――
 

 世界史にご興味のある者ならば、この謎に満ちた集団のことに思いを馳せたこともあるのではないだろうか。
 
 さまざまな民族が混じり合ってひとつの母集団を形成していたともされているが、実態は今でもよくわかっていない。この戦闘集団は海を渡り、鉄器の文明を持つ戦闘民族ヒッタイトやギリシャにあったミケーネ文明を滅ぼしエジプトのラムセス3世と激しく戦った。

 歴史家のなかでいわゆる『前1200年のカタストロフ』と呼ばれている大戦乱の口火を切ったのが『海の民』なのである。

「……キミはやっぱり鋭いわね。古くは海の民、近世でいうなら新大陸を求めた航海者のような、海からきた侵略者。それがエオ族の正体でしょうね」

「……僕たちは、どうなんでしょう。テラレの御使いの名の下で大手を振って現代的な文明を押し売りする侵略者に映っているんじゃないか――心の底では、決して現地民に歓迎されていないんじゃないか……少し怖いんです」

「そうならないようにしているつもりよ。現地民については、そうね……おそらくあたし達は大丈夫。問題は……ソエラちゃんよ」

「……差別、ですか」
「守ってあげてね。男の子」
「……はい」

 小鳥の言葉に、彼は自らを奮い立たせたのであった。

「着いたっすよ。テラレシャエ城門の前っす」

 御者が馬車でゆく道の終わりを報せた。ツネの胸中には、へばりつくような不安はある。しかしそれでも、彼はこの異世界の謎を解明するため――

「アコエ(行こう)・ソエラ」 

 そして、守るべき愛らしい存在のため。
 意を決して足を踏み入れるのであった。 

7 オコア(悪意)

 それほど馬車に揺られることなく、ツネ――松岡常一たち一行はテラー王国首都圏のテラレシャエに到着した。

 門番は小鳥の顔を見るなり、どうぞと一段とかしこまって一行を迎えた。
 顔パスというヤツだ。テラレの御使いという身分の享受する恩恵は計り知れない。馬車を城門すぐの兵士が駐屯する施設に預け、街の中へと足を直接踏み入れた。

「うわあー……これはすごい。すごく、キレイだ」
「カラッと晴れてたらもっとよかったんだけどね。まあそれでも美しいでしょう」

 雨こそ降っていないが白い雲が包み込むあいにくの天候であるが、それでもテラー王国の景観はまったくそこなわれていない。

 茅葺きや木造住宅などのデザインを踏襲しつつも洗練させた建築物と、欧風な石造住宅、コテージやカントリーハウス風の建物までが混在する。
 
 上下水道も整備されているのだろうか、いたる所で川が横断している。 
 市場もにぎわい、人ででごった返している。
 道もきちんと舗装されており、荒削りの大きな石が目印のようにそこかしこにそびえ立つ。パンジーや、さまざまな植物たちが色とりどりに植樹されており、緑と植物も共存している。

 初日にはテラレ族の日常をうかがい知る時間もなかった。
 ツネにとっては見聞を広めるまたとない機会であろう。
 彼はあたりをキョロキョロとせわしなく眺める。一見さんなのが丸わかりである。

「はぁ、そうしてるとほんとにおっきなこどもね、キミは」
「そ、そうでしょうか……」
「そうよ。ソエラちゃんの方がよっぽど大人に見えるわ」
「ぐぬぬ、これは研究ですから。テラレ民族の習俗を明らかにするためにですね」
「はいはい、わかったわかった。好きの反対は無関心。あたしとしても、むしろ興味を持ってくれたほうがありがたかったりするしね。でも迷子にならないようにするのよ。ソエラちゃん、このおっきなこどもをちゃんと見てあげてね」

「う、うん」

 だんだんとソエラの日本語が淀みなくなっている。
 加えて、小鳥の日本語もそのまま聞き取れているようである。
 
 そのことにこの時点でようやく気がついたツネは驚きと、いつのまにやら追い抜かれていることへの焦りを感じた。

 実を言うと、ツネが倒れて寝込んでいる間、ソエラと小鳥は日本語とテラレ語の発音規則を集中的にトレーニングしていたのであった。
 もちろんすぐに完璧になるものではないが、それでも一日や二日で身につけたにしては目を見張る物がある。
 
 彼女はやはり高度な知識を有するエルフなのではないか、という予想を、彼はより強固なものにした。


 テラレ族を見ていく上で、まず注目するのは、やはりなんといっても民族衣装。
 テラレ部族の衣装はカラフルで、かつさまざまな形態に彩られていた。
 この多様性は、相互に交易をしながらも地理的に分断されていた南洋オセアニア地域特有の事情が生み出したものであると推測できよう。

 民族衣装の特色がよく出るのは女性のものである。
 
 ハワイアンのゆったりひらひらしたワンピースであるムームーのようなものなどを中心に、非常に多彩で見ていて飽きが来ない。
 さすがに上半身裸、というわけにはいかないが、基本的に薄手の服が多く褐色の肌が覗いており、開放的な雰囲気がある。小鳥が胸元を開けたスタイルであるのも頷ける。彼としては目のやり場に困る、といったところであろうけど。

 小鳥がいうには刺激的な見た目に反して性のあり方そのものに関しては非常にストイックな民族であるのだとか。

 ただ例外的にソエラは色白で日に弱いということもあり、露出などの面ではとても控えめである。素朴な村娘といったような飾らぬ出で立ちで、それがかえって彼を安心させているようである。

「実は今回ここに来たのは、この子の服を買いに来たのでもあるのよね。あたしも選んであげるから、ちょっとキミも来てよ」

「え、で、でも」
「いいから。ね? ソエラちゃんも、こいつに見てもらいたいでしょ?」

「う、うん……ツネに・えらんで・ほしい」

「~~~~~っ……!!!」

 そんなふうに哀願されると、彼は弱い。

「おっ、あそこの店雰囲気いいわね。見ていきましょうよ」

 男性陣を引っ張って進む小鳥。ソエラはツネの側でぴとりと引っ付きついていく。

「ねぇねぇ、これなんていいんじゃない? 似合うわよぉ」
「……それも・いいけど・これも……」

 女同士の、和気藹々(?)としたやり取り。はじめは遠慮がちにしていたソエラであったが、だんだん小鳥に乗せられてきたようである。

「これなんかいいでしょ~」
「せ、先輩こ、これし、ビキニじゃないですか!」

「パレオにビキニ。南国由来の名前を持つこの水着たち、キミにはちょっと刺激が強すぎるかな~?」

「もう! 先輩はまたからかう!」

 こういう時の女子のノリはすごい。1時間や2時間、軽くコーディネイト選びに消費する。
 
 気がつけば小さな幼妻の服を選ぶのに付き合わされてしまっている御者のコマとツネ。従者のコマはすっかり荷物持ちになってしまっているのであるが、彼はまったく気にしていないどころかむしろそれが至上の幸福と言わんばかりに満足げであった。

 一方のツネも、ソエラが服を見ながら目を輝かせている姿を間近で見ることができるだけでも、お腹いっぱいと言わんばかりであった。


 ところで。
 テラレ部族は共同体の和を重んじる、控えめな民族だという。
 けれど共同体の和を重んじるということは、それ以外の、疎外された人にとっては過酷ということでもある。
 
 共同体の和を乱す異物と見なした存在を排除しようとする機制は、個々のつながりが強くなるほど激しく立ち現れる。そう、『サロ』の少女としてさげすまれた、美しすぎる少女・ソエラが受けたように。

 いくらか街中を往く中で、はたして彼の嫌な予想は、的中してしまうこととなる。市場で服を選んでいるところに、悪意がわっと押し寄せてきた。


「マロヨ・オアテ(見ろよ、あいつ)……」
「『サロ』トヨ(だわ)……」
「サッ(しっ)! マチョ・トマ(見ちゃダメ)!」
「オオ(ああ)、オラコ(あれが)『オンナ』……」
「サカ・コ・マアレンコロ(死期が見えるんだろ)? オオ・コヨア(おおこわい)。ケヨホロ・ケヨホロ(くわばら、くわばら)……」


 ただならぬ空気を察知したのか、野次馬たちが続々と押し寄せる。
 
 それに比例して、悪意もまた増殖していく。彼女の存在を全否定するかのような、冷ややかなまなざし。
 
 ひそひそと交わされるテラレ語の会話が、それを完全には解さないツネにもおおよそ聞き取れた。閉鎖された社会において偏見はかくも強いものなのか。ツネは目眩がする思いであった。



8 コトアタ(答えて)

「姐さん、どうするっすか? 散らすっか?」

 もともと直情型で曲がったことの嫌いな御者のコマはこらえきれず身を乗り出そうとするが、小鳥が首を横に振って静止する。

「……彼に任せてみるわ。どのみちこの程度のバッシング、想定内よ」 
「で、でも……」
「いいから」

 にぎやかな市場は一転、異様な空気に包まれる。
 せっかくソエラが心を開いたばかりだというところで。彼女はすっかり臆病風に吹かれ、ツネの背中に隠れ震えてしまっている。


 彼とてこのような大勢の場でなんらかの主張をすることは苦手である。
 
 ――それでも。

 冷たく向けられる幾多もの無理解の視線を振り払うように。
 冷や汗をにじませながら、彼女に問いかけた。


「オノ・ホノノ・アロ・ホ・ノントア(あの花の色はなんだい)、ソエラ」


 ツネは露店の花壇に咲く一輪の青い花を指差した。
 脈絡なく色のことを尋ねられ、どうしたらわからない――という困惑が、手に取るようにわかった。
 
 大多数から向けられる、好奇と嘲笑、侮蔑のまなざし。
 わずかな力を加えてしまえば千切れてしまいそうに繊細な少女には耐えられようはずもなかった。
 
 ソエラは涙をその目に滲ませながら、救いを求めるような視線をツネに向ける。
 彼は首を横に振る。


「コヨコロ・ノアタ(怖がらないで)。コトア・レント(答えるんだ)。コトアタ(答えて)、ソエラ」


「……っ! ――ぁ……!」


 彼女は必死に言葉を絞ろうとするも、どうしても、出てこない。
 流れ落ちる涙で化粧が剥がれ、彫刻をも思わせる整った顔はくちゃくちゃである。身体の震えは極限状態に達しつつあった。

「姐さん、やっぱり……」

 もういたたまれなくて、コマが再度止めに入ろうとするが、小鳥は変わらず首を横に振る。小鳥も、おそらくはツネと同じ気持ちなのであろう。
 
 屈強なコマが悪口を言う市民を懲らしめたところで、結局悪意の根本を絶つことはできず、差別はなくならない。
 むしろ、彼のいないところで陰湿さを極めていくことであろう。

 ――荒療治であることは小鳥もわかっていた。
 
 失敗すれば彼女の心に取り返しのつかぬほどの深い傷を追わせてしまうであろうことも。これまで差別を受けてきた被害者にだけ一方的に己を克服しろだなんて、酷な試練を与えていることも百も承知。


 ――だけどそれでも、ソエラに、一歩を踏み出してほしい。
 心の底から、そう願っていたのである。


「答えて(コトアタ)、ソエラ!」


 どうか勇気を出して。 
 内にある祈りを爆発させるように、ツネは大きく叫んだ。
 
 はじめはただからかいの目で見ているだけだった観衆も、気がつけば彼女の言葉を待ち望むかのように、ひたすらに押し黙る。彼女をあげつらい冷やかしを浴びせかける者は、誰一人いなかった。


「答えて(コトアタ)!!」


「……ぁ……ぁ……ぉ……っ……」


 痛々しいほどに弱々しく、震え、それでも内奥からこじ開け出したような言葉。


「ソエ(そう)! モエ・アタト(もう一度)! マンノ・ナ・カコアレ・ヤエナ(みんなに聞こえるように)! オノ・ホノノ・アロ・ホ(あの花の色は)?」


「……あ……あお………!! 青! エオ……!」


 そう、エオ(あお)。あの花は青。
 
 その場にいたすべての人が、正確に彼女が色を言い当てたことに驚き、ざわめいた。それもそのはず、『サロ』の少女には血の色以外識別できるはずがない、という強い観念があったからである。
 
 ツネは彼女の頭を撫でる。

「ヨケ・コンホット・ヤ・アロア・ニ(よく頑張ったよ、えらいね)。ジョオ・テカ・ホ・オノ・ヘケ・ノ・アロ・ホ(じゃあ次はあの服の色は)?」
「……オランサ(オレンジ)」
「オッタ・ノ・ヘケ・ホ(あっちの服は)?」
「……メロソカ(むらさき)」

 ツネは次から次へと指示対象を変えながら、ものの色を問うていく。
 それを幾度となく繰り返していくうちに、彼女からも徐々に緊張が消え、スラスラと答えられるようになっていく。
 
 彼女がひとつとして間違うことなく正解を言うにつれ、笑顔が戻る。 
 はじめは顔色をうかがうようにしていたのが、自信を付けたのか、はきはきとした受け答えができるようになっていた。

「ノホ(なあ)……モサコサタ・ソ(もしかしてさ)」
「ソエナ(そうね)……モサコサトロ・ヨトサ・トタ・ホ・『サロ』・ノ・コト・ヨ・ココア・サタアト・ノ・コモ(もしかしたら私たちは、『サロ』のことを誤解していたのかも)」

 その場に固まっていた人々が、認識を改めるようになっていく。
 彼女の勇気が、人々に巣食う悪意を完全に追い払わんとしていた。


「オラホ・サンサ・ノア・ソ(俺は信じないぞ)! オ・ノマト・チャエトア・ホ・モッパロ・コマン・ト(お涙頂戴はまっぴらごめんだ)!」

 もう多くの人の誤解が解けたという空気になっていたところに、ひとりの壮年の男性がいきり立った。
 
 そう、長い間に蓄積された偏見というのは、誰でも簡単にひっくり返せるものではない。その場にふたたび重苦しい緊張に支配された。

「トエサ・オロコサマ・オサアコンタ・オアト・コトア・ヨ・アヨサタ・アレ・トカ(どうせあらかじめ教え込んでおいた答えを言わせているだけ)。ソンノ・アンカ・アケロ・タモ・タカレ(そんな演技いくらでもできる)」

 この男性の意見に、ほどけかけていた誤解も揺り戻しを強いられる。
 どれほど現実を突きつけていたところで、一度固定化された認識を変えることが、いかに難しいのかということが浮き彫りとなった格好である。
 
 男性はしたり顔で挑発する。

「ソラノロ・オラ・ノ・サタア・サト・モノ・モ・チョント・コトア・ロラレン・トノ(それなら俺の指定したものもちゃんと答えられるんだな)? ヨッタ・マロ・ヨ(やってみろよ)! モオ・トエサ・タカノア・トロエ・カト・ノ(まあどうせできないだろうけどな)!」


 ツネはほくそ笑む。
 実のところ、これは相手側がツネの得意とするところに乗ってきたことを意味していた。

 つまりはそれさえクリアできれば、納得させることができるのである。
 『サロ』と言われる少女は単に肌や髪が生まれつき白いだけで、それ以外は同じ。一般市民と何も変わらない生活を送ることができるということを。
 
 ある種の賭けではあったろうが――ツネにしてみれば、むしろ思い通りといったところであろう。

「ジョオ・ノンタモ・アエタセ(じゃあなんでもいいです)。サタア・サタマタ・ケトソア(指定してみてください)」

「ヘン(ふん)……ジョオ(じゃあ)、コラホ・ノナ・アロ・トオ(これは何色だあ)?」

 男性はみずから市場で仕入れたものと思われる黒色の布を取り出した。
 
 ――なるほど、考えたものである。
 彼女が嘘をついているとするならば、あえて自分が血の色以外はモノクロにしか見えていないということを隠そうとするはず。
 白か黒という答えは、無意識に避けようとするだろう――という読みであろう。
 
 つまり、はじめから間違えることを狙った引っ掛けなのである。
 
 何も染まっていないのであれば流石に白であることくらいはわかる。
 だから、彼は黒をあえて指定してきた。 
 ――まったく、底意地が悪いというものである。けれど。

「――ケロ(くろ)!」

 純朴なソエラは、そのような下卑た思惑など知ったことかと、やすやすと、乗り越えてみせるのであった。

「ケッ(くっ)……ジョオ・オラ・ホ(じゃああれは)!? コラ・ホ(これは)!?」

 アテが外れた男は諦め悪く食い下がるが、すべては彼の徒労に終わった。
 
 ことごとく、彼女は正解を言い当てていく。
 中には金や銀など、モノクロの世界では完全に捉えることはできないであろう光沢のある色も含まれる。
  
 それにしても、昨夜ほんの少し遊びながら覚えただけで、この間違えることのできない状況下でも知識を血肉にできている点は、まことに驚嘆すべきことである。

 ギャラリーはすでに、ソエラの側についていた。
 この短期間でこれだけの観衆を味方につけたのは、きっかけこそツネがどんどん色を当てさせたことであろうが、ひとえに彼女の頑張りあってこそであろう。
 
 こんなはずではなかった――とばかりに男性は狼狽し、捨て台詞を吐いて逃げ去った。


「コマン・ノソア・ヨトサ・トタホ・オノト・ヨ・コトア・サタアト(ごめんなさい、わたしたちはあなたを誤解していた)」
「ハトア・コトヤ・ヨ・アッタ・セモノコット(ひどいことを言ってすまなかった)。サヘン・コ・ホセコサアヤ(自分が恥ずかしいよ)」
「テロコット・タシャエ(つらかったでしょう)。コラコロ・モ・コンホッタ・ナ(これからもがんばってね)」


 多くの人が代わる代わるソエラの前に進み、謝罪と、あたたかい言葉をかけてくれる。彼女は泣きじゃくりながら、ひとりひとりにお礼を言う。

「オラコトエ(ありがとう)……オラコトエ……!」

 いま彼女が流している涙は、先程のような、辛くて悲しいものではない。
 それは、多くの人のあたたかな気持ちに触れて流れたものであった。


 彼女が、みずからの偏見と差別に勝利した瞬間であった。
 
 最初は完全アウェーであったはずの人だかりを、このソエラという愛らしい少女は今やすべてを味方につけていたのである。あの城内での告白のように、彼女は多くの人を惹きつける何かがあるのかもしれない。

「ね? 任せて大丈夫だったでしょ? あの子は……強い」
「……そうっすね」

 小鳥もコマも、彼女を心から賞賛するのであった。


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