Frozen Edge 真夏の氷河期 第3章 1~2
1 『無敵の人』
若葉台駅のホーム。
巨勢(コセ)さんが電車待ちをしていた時のことだったそうだ。
微弱な冷気を感じ取ったのと同時に、彼女のそばを一人の男性が横切る。
「──おい、やめろ!」
彼女の静止もきかず、車両が駅に停まる直前、男性が飛び込む。
その瞬間。
車両のひとつを優に呑み込むほどに氷が張り付き、運転が止まった。
──令和2年、夏。東京五輪が開催の危機に瀕している。
なぜか。
想定されていた外敵によるものではなく、内側からの大寒波に歯止めが効かなくなっているからだ。
言うまでもなく氷河期が引き起こす季節外れの『スノードロップ』によるものだけど。
これまでは自宅の域内を出ない、消極的な自死だった。
だけど、『エレオス』が壊滅的な打撃を受けセーフティネットも瓦解。
彼らの絶望は、それを引き起こした社会そのものに向けられはじめた。
事態は、より一層深刻さを増したと言える。
逃げ惑う人。スマホで撮影する人。駆けつける駅員。
巨勢さんはしばらく、その場でうなだれることしかできなかったという。
「……今ならわかるよ。あんたはずっとこんな気持ちを味わっていたんだな……神麗和(シンレイワ)遥(ハルカ)……」
「ねぇ、聞いた? 今度は新宿で『スノードロップ』だって」
「電車乗るのも怖いよねー」
「こないだのアレで遅刻しちゃったんだけど。どう責任取ってくれるの?」
「氷河期だっけ?」
「なんで迷惑かけるんだろうね」
『スノードロップ』発現者が飛び込み駅ホームを使用不能にしたあの事故から、1週間。
若葉台駅のホーム。このような世間話があちこちでなされており、嫌でも巨勢さんの耳に入ったそうだ。
日本各地の駅や観光地、名物スポットなどで断続的に『スノードロップ』の力が観測されているとのことで、テレビ、新聞などでも大々的に報じられている。
地獄の釜の蓋が開いてしまった感がある。
依然として交通機関は稼働しているけれども、現在は駅員や警察官が多数配されており、厳戒態勢。報道によると緊急事態の布告も視野に入っているとのこと。
これらの混乱の元凶として『スノードロップ』を発動させた『氷河期』を責める言葉ばかりが聞かれる。
彼らのような存在を生み出してしまった社会の構造を見直すべきという考え方よりも、単なる世代間の対立に矮小化されてしまっている感がある。
『無敵の人』たちが自身の『無敵』ぶりを示せば示すほど、世間から冷たい目で見られ、孤立を深めているのは皮肉であるとしか言いようがない。
あるいは彼らを救うセーフティネットの不在や、既存の団体の力不足を責める声も。『エレオス』が解体されてしまったらしい今ではもはや彼らを止めるすべを保たない。
このままではいけない……このままでは……
焦りばかりが駆り立てられるようだ。そういった報道をテーブルに座りながら食い入るように見ていたら、信じられないような映像が眼前に飛び込んできた。
「……あれは……『エレオス』の関連施設……!? なぜ……!?」
「……神麗和さん? どうしたんですか?」
ただならぬ様相を感じ取ったのか、小金井ちゃんがこちらへやってくる。
けども私は彼女へ返事をすることすらできなかった。
それほど、今の私は混乱しているからだ。
あれは私たちが保護した人たちを一時的に受け入れる集合住宅施設。少し大きな支部の近くにはだいたいそのような施設が併設されているのが一般的だ。
多数の報道陣がエレオスの施設を取り囲み、話している内容は──
「ここが問題となっている旧『エレオス』の施設です。数日前から関係者は姿を見せず入居者が放置されている状況とのことです」
「『エレオス』は氷河期世代の救済をうたい、こういった施設に多数の『氷河期』男性たちを入居させていたとのことですが、彼らの目的はなんだったのでしょうか」
「はい。それは現在のような事件を発生させるための『洗脳』を行っていた可能性が高いとのことです」
「なんだって!? 事実無根だ!」
「ひっ」
思わずテーブルを強く叩く。
ダメだな……小さな子を怯えさせてしまった。
「あ、ああごめん……つい大声が……」
さらに続く報道の内容に愕然とした。
「『エレオス』は言葉巧みに『氷河期』の人たちを孤立した状況に追い込んだうえで、自分たちの都合のよい、いわば破壊的行動の実行犯として教育。表向き解散した今でも陰で操っているものとみられます」
……何もわかってない外部の人間が勝手なことをベラベラと……!
実態は真逆だというのに。
ひょっとしたら、今までの人生でこれほどの怒りが沸き起こったことはないかもしれない。小金井ちゃんがいなかったら、今頃どうなっていたか自分自身ですらわからない。
これまでもネット上では似たようなことを好き勝手書かれてきたものだけど、全国区のニュースで「確度の高い」ふうに流されてしまったのでは、意味合いが大きく異なる。
もはや『エレオス』が一連の『スノードロップ』の散華を指揮している、という間違った認識が大多数の人にとっての『事実』となってしまったということだ。しかも当事者が不在のところで。
「……私たちのしてきたことは、そんなことのためじゃない……!」
「……神麗和さん……」
施設の中にいる人が映し出される。
あれは──巨勢さんと初めて出逢った時に救出した男性じゃないか。
「『エレオス』の施設ではどんな生活を? ネットや電話などはできましたか? 何か不自由だった点などがありましたら──」
「いえ、『エレオス』の方にはむしろよくしていただいていて──」
報道陣の『エレオス=悪』というストーリーを無理やり引き出そうとする意図がありありのインタビューに困惑しているように見えた。
闇落ちしそうだったが、彼の言葉を聞いて、ハッとした。
──落ち着くんだ神麗和遥。
そうだ、いちばん苦しいのは彼ら『氷河期』の人なんだ。
私の今までやってきたこととか、『エレオス』の無念とか、そんなことよりも、今この人たちを救い出さなきゃいけないんだ。
この期に及んでもまだなお『エレオス』をかばってくれる彼のような存在を、裏切るわけには……!
そう思うと、いても立ってもいられなかった。
「あっ、神麗和さん……! あなたはまだ本調子じゃ──」
「大丈夫。ちょっと外の空気を吸ってくるだけですから」
2 エゴイスティック・ヒロイン
ぜぇ……ぜぇ……電車を乗り継ぎ、どれだけ走っただろうか。
あの一件以来久々に踏み入れた稲城の地。
寂れた住宅地の一角の、陽の一切差さない路地裏に座り込む。
『エレオス』は消滅したらしい。もはや私が拠って立つ場所はない。
私の役目も、同時に終わったのかもしれない。
なら私はどうして──『氷河期』の保護施設へ向かっているんだろう。
行ってどうなるというんだ。独りの力でどうにかできると思ってるのか。
考えてみろ。
相手は全国1万人もいると言われている非営利組織『エレオス』をごく短期間に解散に追い込めるほど、力も、人員も、圧倒的なんだ。どうやって勝つというんだ。なんであえてそんな無理な勝負を挑みに行くんだ。
ああ、そうか。今なんとなくわかってしまった。
私は誰かの役に立ちたかったんじゃない。
「……私は、死に急いでいたんだ」
誰かの記憶に残るように死にたかったんだ。この世界に確かに生きたということを、誰かに、覚えていてほしかっただけだったんだ。誰かを救いたかったんじゃない、誰よりも私が、私自身が救われたかったんだ。
瞳の下を伝うのは走った時に出た汗だけじゃなかった。
襟首近くをつまみ上げて顔を拭った時に、部屋着で出てきたことにいまさら気付いた。元々女を捨てたような出で立ちだけども、いつもに増して外を出歩くような格好じゃない。みっともない、恥をかきに行くだけだ。
……いいさ。自己満足だろうと。
せめて結果的に誰かのためになることをすればいい。
今なお報道関係者様方が『エレオス』関連施設の付近で張っているのが遠巻きにもわかった。正面切って進むのは面倒だ。
ということで、気体となって近くの建物を縫うように渡っていく。
考えてみればかなりダイナミックな不法侵入だけど、それを気にするのもそれこそいまさらというもんだ。
どんなところでも侵入するだけならまったく苦労することがない。
まさかかつて自分がいた組織の施設に入るのにこんな隠密行動めいた手段を使わなきゃいけなくなるとはまったく思ってもみなかったけどね。
1階部分に施設の住人が集まれる広場、それと『エレオス』構成員の事務室と警備室が設けられている以外は中程度のマンションとさほど変わりはない。なんの変哲もないマンションをちょっと改装しただけだから、それも当たり前なんだけど。
だから、ネットでよくあるような『収容所』『隔離病棟』などという批判はまったく的外れだ。
とはいえ。
我々が『善行』として『氷河期』を保護していたこの施設だが、実は私も入ったことがなかった。私はもっぱら施設に入れるまでが仕事だったので、そこからの世話はまた別のスタッフが担っていたからだ。
責任持って最後までお世話しないのか、と最初は戸惑いもあった。
でもそれは私たちが過度に『氷河期』の人たちの心に入り込んで、恋愛感情のようなものをいだかせないようにするためでもあったらしいけど……
ここからは『エピメレイア』の力の温存も考え気体の状態から元に戻る。
誰にも見つかることもなく2階へと上がることはできたが……その時点で異変を感じ取った。
……この感覚には嫌というほど覚えがある。
この、命のあたたかさを拒絶するかのような冷たさは──
奥の方。一室だけ扉が空いている。冷気はそこからで間違いなさそうだ。
何が起こっているのかは容易に予測できた。
今の私は侵入者で、バレないよう慎重に行動しなければならないのはわかっていたんだけど……逸る心を抑えることはできなかった。気付けば私はその部屋へ向かって走っていた。
部屋の中に立っていたのは独りだけだった。
時すでに遅く『スノードロップ』が完全に発動、発現者は消滅してしまっていたらしい。代わりにそこにいたのは、白装束の女性。
「──クリサンセマム……!」
私の声に気付き振り返ったその人は、私もかつて見たことのある顔。
私の姿を視認した白装束の女性は、薄気味悪く笑った。
「ここにいれば……いつか必ず現れると思っていたよ。あの恥晒しな敗北以来、きみに復讐するためにずっと力を蓄えていたんだよ、ぼくはねぇ!」
高円寺、呂世(ロゼ)──!!
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