見出し画像

清末の天啓 太平天国興亡記

19世紀の中国・。かつてはアジアで強大だった国もイギリスに敗北したことで陰りが見え始める。社会不安が広がり、反乱が頻発。清は衰退の道を辿ろうとしていた。
そんな中、役人採用試験に落ち続け、絶望している一人の青年がいた。

彼の名は洪秀全(こう・しゅうぜん)。

失意の中さまよっていた時にたまたま出逢ったキリスト教にのめり込み教義をアレンジ、自ら宗教を立ち上げることとなる。
はじめは小さな勢力だったが、やがて彼の宗教勢力は中国の半分を割る一大勢力となるのである――


この話はマンガ家に漫然と憧れていた高校の頃に描いたマンガを小説化したものです。
小説、というよりかはダイジェストのようなものですけど……

こちらは今も残っておりましたので、未熟な文面が目立ちますが、掲載させていただきます。

※こちらは過去小説投稿サイト『カクヨム』にて掲載していた短編2話ぶんをまとめたものとなります。


なお史実といくぶん異なる展開がありますことをご了承下さい。


落第生いかにして天王になりしか

 中華帝国『』朝時代の南部――広州。
 ある男が役人になるための科挙というペーパーテストで不合格になってしまった。
 しかも3回目である。

 アヘンの密輸によって民衆が汚染され、一部高官や外国人は巨万の富を得ている。売宮とって、カネさえ払えば役人になれてしまうという、官僚腐敗の進行。
 白蓮教という民間宗教の反乱による治安の悪化と皇帝の実力低下。

 こうした中国の現状をなんとか変えたい! 
 ――けれど、いつまでも役人試験を突破できない。
 青年・洪秀全の思いは空回りしてばかりであった。


 青年はひどく落胆して、町をあてもなく歩いていた。
 途中ある小柄な老人から声をかけられる。

「真の中国の救世主は神、すなわち上帝だけである」

 そう説いた老人は、悩める青年に一冊の本を手渡した。
 その本は、キリスト教という、異国の宗教の手引書であった。
 そういった経緯を、一族の知り合いであった洪仁玕(こう・じんかん)に話した。秀全は、

「宗教なんて、信じても一向によくならないよ。まったく、本当に神がいるなら会ってみたいよ」

と愚痴を漏らした。

 ……その夜、秀全は夢に上帝とキリストを見ることとなる。
 あくる朝、秀全はその体験を事細かに親友の馮雲山(ふう・うんざん)と親戚の洪仁玕に語ったが、信じてはもらえなかった。

 みずからもそんな夢を見るまでは半信半疑だった。
 だが、これで秀全は確信した。

 自分に直接キリストが出向いたということは、自分が天帝に親しい特別な人間――キリストの弟なのではないか、と。


 数年後。
 キリスト教に理解を示すようになった馮雲山と共に、彼は異国の教義を広めようと精力的に信者を募ったが、うまくいかなかった。
 少し自信をなくしていた秀全に代わり、馮雲山は遠くの地にまで出向いて信者獲得に燃えた。
 その道中偶然出逢った地主の息子・韋昌輝(い・しょうき)の協力もあり、1年間で大幅に信者拡大に成功したのだった。
 その中には、のちに影響力を大きく持つようになる、石達開(せき・たっかい)などがいた。

 とりわけ秀全や雲山を喜ばせたのは、神の声を聞くことができる、と称する蕭朝貴(しょう・ちょうき)と楊秀清(よう・しゅうせい)である。
 彼らふたりは洪秀全に神の言葉を伝えた。

「洪秀全よ、天父と天兄が権威を与える。おまえが弟たちを率いて、平和な世界、地上の天国――そう、太平天国とでも云おうか――そういった世界を創るのだ。悪の巣窟、清朝を倒してな」


 だが、楊秀清は

「神の言葉をお伝えするのに二人もいらない」

と蕭朝貴を暗殺してしまうのであった。


 悪の巣窟と云われた清朝側は8代皇帝道光帝(どうこうてい)の治世。
 アヘン戦争で大敗した清朝は、中国侵略を図るイギリスはじめ列国とよばれるヨーロッパ大陸の勢力に蝕まれてゆく。
 
 そういった中、ただでさえそういう理由で国力が削がれている時に、『拝上帝会』と呼ばれる組織が国家転覆を企んでいると聞いた皇帝は、林則徐(りん・そくじょ)将軍を差し向けて大弾圧を行うことにした。

 その動きを承けて拝上帝会の統領・洪秀全は1850年に大きな集会を開いた。
 秀全はその場で高らかに、

「清朝を滅ぼし、地上の楽園・太平天国を、自らを天王(てんのう)として建国する!」

という野望を宣誓する。


 一方、楊秀清は『神のお告げ』を披露した。

「上帝の力を恐れた清朝が、近く大弾圧をかけてくるでしょう」

 それというのも馮雲山が上帝会の情報を漏らしたからだ、とも忘れずに。

「なっ!? ち、違うよ洪。お前は信じてくれるだろう? いちばんはじめの時から支え合った親友じゃないか……なっ?」 

 狼狽しつつも自らの無実を必死に訴える馮雲山だったが、洪秀全は込み上げてくる怒りを抑えられず、

「馮よ……上帝が嘘をつくとでもいうのか?」

と低い声で責め立てる。楊は、

「洪天王。あのような悪に魂を売った男など信用するに値しません。上帝は即刻首を刎ねよと仰せです」

と奏上。秀全は、最後まで身の潔白を主張する馮雲山を、神のお告げに従い斬首した。馮は最期、

「秀全……それでは清の役人と大差ないぞ……」

と漏らして、往った。


 幸運なことに、清軍の林将軍が病死したこともあり大弾圧は避けることができた。楊のお告げによるところでは

「馮を罰したので神がお赦しになられたのです」

とのことだった。


 その二年後、信者を100万人余りまで殖やした上帝会は、ついに清朝に反旗を翻した。これが世に云う、『太平天国の乱』のはじまりである。

 死闘の末、太平天国軍は清朝の大都市・南京(ナンキン)を占領した。
 1853年のことである。
 太平天国はそこに腰を落ち着けて、都市名もそれらしく天京(てんけい)と改めた。
 また楊秀清等を副官にあたる府王に任命し、自らの受け持つ地域(府)を治めさせた。
 
 つづいて洪秀全は清の悪習と位置づける『辮髪(べんぱつ)』と呼ばれるひとつ編みの髪型と、『纏足(てんそく)』と呼ばれる足を無理やり小さく収めさせることと、アヘンの吸引を厳しく禁じたほか、『天朝田畝(てんちょうでんぽ)制度』と呼ばれる誰にでも平等に土地を配分する制度を唱えた。
 男女を平等に扱うとも定めた。

 こうした諸改革のもと洪秀全が天王となり国を治めたのだが、唯一神の声を聞くことができた楊秀清が、軍部を思いのままに動かせるほど強大な権力を握り、天王と肩を並べるほどの一大勢力となった。


 太平天国は地上の楽園などでは決してなかった
 極端なまでのストイックな精神で民を縛りつけた。
 纏足が治らず足を痛めている女性でも平気で王宮建造などに徴収し、こき使った。天朝田畝制度などは実際に機能せず、清朝と変わらぬ搾取が行われた。
 
 ただただ醜い現実であった。

 それを証拠に、中華帝国にはつきものであった、指導者同士の争いもおこった。
 天王位奪取に身を燃やしていたのが、あの天のお告げを聞くことができるという楊秀清である。

「お前は信仰心が薄い。だから一向に中華を統一できないのだ。お前には天王を退いてもらう。代わって、楊に全権を委任する」

 ……楊秀清は今迄『神のお告げ』をでっち上げて自分の都合のよいように事を進めていたのである。

 そう、お告げなど最初からなかった。
 蕭朝貴もそうであったかまではもはやわからないが、とにかく、楊秀清は自らが王位に就くために昔から機会を窺っていたのである。


 韋昌輝に連れられそのことを盗み聞きした秀全はその場で楊を斬首した。
 だが、今度は韋昌輝が背いた。
 
 韋昌輝は初期に亡くなった馮雲山を真の天王と位置づけ洪秀全を脅迫・監禁し、頂点に立ったのだ。

「馮雲山こそ真の教祖なのだ! 彼の教えを正しく知っているのは、もはや私だけ。私の命令こそ絶対なのである!」


 だが、それに一石を投じたのが馮雲山の娘。彼女は、

「父親はあくまで洪天王の教えを広めたに過ぎません。天主こそが上帝にもっとも近い存在だと存じます」

 その主張をやはり気に食わなく感じた韋は、彼女を見せしめのため大広場で処刑。
 このように、韋昌輝は自らの意にそぐわない者を次々と処刑していった。


 このような恐怖政治がまかり通っていて、何が天国なのか。
 当然これに反発する者も現れる。かつて同じ時期に入信した、石達開である。
 石達開は韋昌輝の居城を包囲し殺害した。

「……太平天国は、もはや天国ではない。悪の巣窟、地獄そのものだ。ここはもう終わりだ。潰えるのも時間の問題……私は天国の崩れ行くさまなど、見たくない。探そう……私の天国を」

 絶望した彼は、そのように言い残して太平天国を後にしたという。
 以後、彼の消息はわかっていない。


 こういった王位をめぐる対立により混迷の渦に立たされれた太平天国は、一時は清と肩を並べる大帝国だったはずが、いつしか清の反撃に押され追い詰められていく。


 中国を二分するもうひとつの帝国・清では9代皇帝・咸豊帝(かんぽうてい)の時代となった。
 戦争の処理ばかりの日々で皇帝は精神を病んでいったが、国としては手をこまねいているわけではなかった。
 あくまで軍事衝突を避けたかった清朝は、懐柔策に出たのだった。


 ところで、塞ぎがちであった洪秀全が久々に浮足立っていた。なんせ十数年かぶりに、親族の洪仁玕に逢うのだから。
 古くからの知り合いはみな内輪揉めで亡くなっていたので、これ以上に嬉しいことはなかった。

 積もる話でもして時を忘れたいと思っていたが、いざ逢ってみると、

「裏切られた」

という心境に襲われた洪秀全。

 久々の旧友は、西洋のスーツというものに身を包んでいたのだ。


「実は僕、清朝とイギリスに降伏してもらいたくて逢いに来たんだ」


 彼は太平天国の外にいたので、すっかり感化されていたようであった。
 信教を同じくしているのにもかかわらず天国を滅ぼそうとしている悪の手先、イギリスに。それが秀全にとって全くもって気に食わなかった。

「……降伏だと!? ありえぬ!」

 そんな秀全の心境を知ってか知らずか、洪仁玕は訴え続けた。

「太平天国は醜い人間の私利私欲によって衰退した。これが天国の沙汰だろうか? 早く気づくんだ、神の加護なんてない、あの日の君が見た夢も幻だっていうことを……」

 秀全は洪仁玕を獣のように睨みつけ、護身用の短剣を手に取り叫んだ。

「……黙れ。貴様、さては悪魔だな!? 洪仁玕の姿を真似たところで騙されるものか!」

 秀全に刃を突きつけられた洪仁玕であるが、彼はなお臆さずに、

「どうかしている! 今からでも遅くない、これ以上の争いは無益だ。投降を――」

 秀全は手にしていた短剣で、彼を斬り捨てた。


 やむなく清朝は本格的な総攻撃を決定。
 瞬く間に清朝に領土を奪い返されてゆき、1863年、ついに天京付近を残すのみと相成った。

 さらに不幸なことに翌年太平天国は建国以来の大飢饉に見舞われた。
 清へ逃亡したり、それすらままならず餓死する者も多く出た。
 食料がないので民衆は雑草、木の皮、挙げ句の果てには自らの頭髪まで食するようになった。

 国全体がこのような現状だ、軍隊の力も以前の勢いなどなかった。
 当然、敗北を重ねていった。

 かつて共に戦った仲間もみないない。
 新たな名将・李秀成(り・しゅうせい)という存在もいるにはいたが、圧倒的に不利な状況を変えるまでには至らなかった。
 日増しに太平天国が弱まっていくのが、清の側からもわかったほどだ。

「天国は、人間なんかに滅ぼされない……上帝様のお導きがあるんだ。そうだ、天国が滅ぶなんて、あるわけがないんだ……ははっ、ははははは……は、ゴフッ!? ゴホッゴホッ……」

 洪秀全は血を吐きながらうわ言を繰り返すばかりで、心身共に完全に病んでしまっていた。今の彼には天王の威光が全く感じられない。これを見かねたのが、孤軍奮闘する李秀成将軍だった。

「こうなっては……もうダメだな。さあ殿下、行きましょう。……心配なさらないでください。天国は、私が護り抜きます」

 彼はまだ小さなこどもである秀全の息子に天王の位を継がせ、少ないながらも付き従ってくれる民衆を最後まで導いた。
 
 彼の必死の抵抗もむなしく首都天京が陥落。
 李秀成と幼い洪秀全のこどもも捕らえられて、殺された。
 地上の天国と謳われた神の国は轟々と音を立てて、滅亡したのであった。

「……地上の天国は、決して崩れたりしない。そうでしょう、上帝様……」

 崩壊する城の中でただ一人、寝たきりのまま、天王でなくなったことも知らず。
 洪秀全もこの世を去るのだった。


太平天国の外側から見た男 洪仁玕の先見性

「ふう……邪教ふぜいが、手こずらせてくれたものよ」

 自らの部隊を率いて大乱を戦い続けてきた曽国藩(そう・こくはん)総督は安堵のため息をつく。

 この戦いで中華――清朝が失ったものは計り知れない。
 太平天国軍は劣勢の中でも死を恐れず果敢に挑んでくる、統率の取れた部隊だった。使い物にならない八旗軍(正規の軍隊)などよりよほど軍隊らしかった。
 この反乱がただ民衆を異教で惑わせただけのものだったならば、13年も長期化することもなかっただろう。

 南京はかつて宋でも都となり栄華を極めた都市である。
 そんな一大都市が、今はどうだ。
 見渡す限りやせ細った老人の死骸が転がっているではないか。
 
 女子供でも遊びのように殺し尽くし略奪をほしいままにしている我が陣営――どちらが賊なのかわかったものではない。モンゴルが宋を滅ぼした時もおそらくはこのような凄惨な光景だったことだろう。
 見るに堪えない。

「……ここまでやる必要があるのか――と言いただけな目だな」

 何も言わずとも我が意を読み取る。
 我が軍隊の指揮官であるのが、この曽国藩。

 そして私、趙烈文(ちょう・れつぶん)はこの方に仕える身。

 意見具申することはあれど私情は挟んではならない……身の程はわきまえているつもりだ。総督は私の立場もわかった上でこのように続けた。

「……だが、反逆者はひとり生かしておけばのちの災いとなる。ここで手心を加えてしまえば、第二第三の洪秀全が現れることになりかねん。我らが『清』こそ天から中華を治めることを許されたただひとつの国。異国の神の言葉を聞けると称し国を割ることはいたずらに外患を招くことと変わらぬ。そんなことを許してはならぬのだ」

 まるで、自分に言い聞かせるようにも聞こえた。総督自身も、この略奪をよくは思っていないのだろう。だからこのように正当化もせねばならない。

 我が主の言わんとしていることもわかる。
 こういったことは我が国の歴史ではよくあることだし、反乱者の芽を摘むために住民を皆殺しにするのは基本中の基本――常道ですらある。


 だが、本当にこんなことで、すべてが解決するのだろうか? 
 第二第三の洪秀全が、本当にこれで根絶できるのか? 
 
 長きに渡って我が国を苦しめてきた太平天国を滅ぼした。本当ならば諸手を挙げて祝うべき事柄であろうが……どうしても、心が晴れないのだ。

「……戦いは、これで終わったのでしょうか? 私には、もっと大きな災いが起こる気がして、ならないのです。それこそ、我が国の根幹を揺るがしかねないもっと大きな……この国はもう長くない――そんな気がして、ならないのです」

 偽らざる、正直な心境であった。このような心情の吐露を、総督はたしなめた。

「……趙よ。その発言、私の心のうちだけに留めておこう。中央でそのようなことを言えば、貴君の首が飛ぶことにもなりかねん」

「……申し訳ありません」

「そんなことよりも、趙よ。私に報告があると聞いているが」

 ――そうだった。
 彼奴らの城内で、面白い書物を見つけることができたのだ。
 促されて私は、総督にその掘り出し物を差し出す。

「これは……本か? なるほど太平天国、やはりただの賊ではなかったか」
「はっ、そのようで。先にこの内容に目を通させていただいたのですが……実に興味深い内容が記されておりました」
「ほう……」

 総督は、戦乱を免れ綺麗なままの本に目を通す。
 賊のものだろうと当初はどこかタカを括っていたようなところもあった総督だったが、読み進めるほどにめくる手は速くなっていった。

「……信じられん。やはりただの賊の寄せ集めではない」

 総督も驚かれているようだ。
 それもそうだろう。
 この本に書かれている内容は、我が湘軍(しょうぐん)などが推進している『洋務運動』とほぼ変わらない――いやそれどころか、それよりもさらに進んだものだからだ。


 西欧の文化や科学は我が国を凌駕している部分もある。
 それをありのまま認めた上で利用していこう、というのが我が総督の考えるところであり私も同感であるのだが――ここには鉄道の整備をはじめ新聞の発行、アメリカを模範としたシステム作りなど、非常に先進的な案が多く盛り込まれている。
 これは我々が今後活動する上でも、大いに参考にすべき内容なのである。

「太平天国にもこのように柔軟に物事を考えられる人物がいたとはな……いったい誰の手によるものだ!?」
洪仁玕によるものです」
「洪……なるほど洪秀全の一族か。確か初めは香港にいたと耳にしたが」
「左様でございます」


 そう、この本を書いたのは洪仁玕。
 なかなかに興味深い男である。

 初期の信者であったが太平天国軍に合流できず、香港で医者や教師をするかたわら『洗礼』というものを受けて正式なキリスト教徒となったらしい。

 洗礼は洪秀全が受けたくても受けられなかったものである。そうした経緯から洪秀全よりもより異国の教えに忠実であったと類推できる。

「この者、太平天国の外側で西欧文明にも触れる機会が多々あったようで、ほかの大臣よりも切実な危機感を持つに至ったのではないかと思われます」
「……なるほど。これら改革の数々……先に実現されていれば、たしかに我が国も危うかったのかもしれん」

「さらに、こちらの書物では西洋との対等な立場での連携が主張されています。彼らがイギリスなどの諸外国と手を組み我が国を包囲するという未来もありえたのです」

 このあたりの連携は失敗したようだが、我が軍が西欧の支援を受けることができなければ、今頃このように蹂躙されているのはこちら側だった可能性すらあったのだ。

「……我が軍の勝利は薄氷を踏むようなものであったのかもしれんな」
「私も、そう思います」

 反逆者の立場でなければ我々の同志として手を携えることもできただろうに……
 残念でならない。


 太平天国すら鎮圧にまごついているようでは西欧に勝つことはできない。
 それはアヘン戦争等々、屈辱的な敗戦を見てきた我が主も骨身にしみてわかっているはずだ。我が国は、今よりもっと、もっと強くならなければならない。

 洪仁玕、お前の思いは我々の糧とさせてもらうぞ。

 清国未曾有の危機的状況を乗り越えるため。
 お前の成し遂げられなかったこと、我々が、成し遂げてみせる――

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?