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優しさの境界線

仕事の後輩が悩んでいたのが、他人思考型に陥ってしまっているということだった。

相手の気持ちを考えると、強く注意することや、作業範囲を明確にする行動に出れず、必要以上に自分が相手の仕事を奪って補ってしまうというのだ。

結果、残業や心理的負荷が積み重なり、「どうして自分だけこんなに大変なんだろう」と悩み、鬱一歩手前のような状態となってしまった。

他人思考型人間という言葉は中学校だったかで習った気がするのだが、令和の世の中でも、今だにそういった思考に陥ってしまう人は多い。YouTubeやインフルエンサーがネット上を賑わせているので、自由に自分らしく生きる、というスタイルが結構広まっているなぁと思っていたが、身近な人々は必ずしもそうではない。

こう言った他人思考型に陥る要因の一つには、その人の優しさがあるのだと考える。自分は傷ついてもいい、しかし他の人が苦労する姿、辛い姿をなるべく見たくないという思考があるようだ。

結果、アドラー心理学で言う「他人の課題」にまで踏み込んで、お節介を焼いてしまったり、他人が抱える問題を自分の力で解決しようと悩み、行動してしまうのだ。

他人に優しいと言うことは、一見良いことだが、程度が過ぎると相手にもマイナスになる。他人に頼りがちになり成長が停止してしまう恐れもある。

ここに「優しさの境界線」があって、突き放した方が良い一線と言うものがある。これが本来、その相手が「自分で解決するべき課題」であるのかどうか、という考え方がポイントであるとされる。

馬を水辺に連れて行くことは出来るが、水を飲ませることはできない。

相手を思ってのその行動や思考が、果たして長期的な意味で相手のためになるのか。少しだけ自己を客観視すると、見えてくる事があるかもしれない。

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