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その人を知りたいなら、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ

その人を知りたいなら、その人が何に対して怒りを感じるかを知れ

これは様々な場所で語られる格言だが、僕は小説家、田中芳樹さんの「創竜伝」の一説として記憶している。

小学生の頃に読んだ小説で、主人公達の祖父の教えとして語られた台詞で、今でも強烈に記憶に残っている。

思い返せば、人生に於いて多くの人と関わってきた中で、この言葉ほど端的に「人」を表していた言葉は無いように思う。

怒りはその人を表す

多くの怒りに身を晒してきたし、自分自身も怒りを制御することに苦労しながら生きてきた。

「喜び」でも「悲しみ」でも「楽しい」という感情でもない。

ダイレクトにその人を感じるのは「怒り」の感情だ。人間の機能の中で最も表面的に強く発現する感情が「怒り」である。

怒りは、その人のこだわりや、信念が分かる。

例えば、日ごろから他人への気遣いを重要視している人物に対して、雑な扱いで対応したらどうだろう。

普段の自分とのあまりの対応の差に、「自分がいつもどれだけ気を遣っているか」と感じ、相手の行いに対して怒りを覚える。

つまり、雑な対応に対して怒りを覚える人物は、普段から相手に対して気遣いを忘れない人物であると言える。

もちろん、そうでない場合もあり、いつも雑に扱われることに対して日ごろから怒りを覚えており、爆発したというケースも考えられる。

いずれにせよ、それらの人としての背景を「怒り」という表面化された情報からくみ取ることは、大いに可能だ。

怒りの因数分解

怒りをぶつけるという行為は、強烈に周囲に個としての印象を与える行いだ。

まず、怒りはその「場所」に存在する複数の人間に対して広範囲にダメージを与える。いわゆる、範囲攻撃だ。例えばこのようなセリフを大声で出したと仮定してみよう。

「おい!お前はほんと使えねぇな!何回言ったらわかるんだ!馬鹿じゃねぇのか!」

こんなセリフが聞こえたとする。人生で似たようなセリフを一回くらいは聞いたことがあるのでは無いだろうか。

これは相当な怒気を孕んでいることが分かるだろう。もしこのセリフを腹から声を出すレベルの大声で怒鳴ったのならば、200人居るオフィスのフロアならば、少なく見積もって50名は耳にすることになるだろう。

そうした時、この言葉の意図を分析すると以下の通りだ。

「おい!」

咄嗟に声がけをする際に、丁寧な言葉遣いを意識しようという配慮にかけた人間である。

「お前はほんと使えねぇな」

他人を「お前」呼ばわりする時点で、自身を上の立場だと思い込んでいる傲りを感じる。また、「使えねぇ」という言葉遣いから、人を人として見ておらず、まるで「道具」のように他人を扱う傲慢で利己的な人間性が見て取れる。

「何回言ったらわかるんだよ」

このセリフからは、一度の失敗を許容することもできず、「完全な成功」しか認めない、完璧主義の性格が見て取れる。

また、「何回言ったら・・・」という表現から、複数回説明の機会を相手に許さないという自分本意さも見て取れる。自身の時間効率を重視し、相手の時間を軽んじていると受け取ることもできる。

「馬鹿じゃねぇのか」

もはやこの最後の一言は誹謗中傷以外の何物でもない。他者を思いやる気持ち、自分が言われて嫌な言葉などに思いを巡らすこともなく、単に相手を傷つける言葉の暴力を向けてしまっている。

そうして怒りで屈服させる他ないほどに、未熟な大人であると総合的に判断できる。

これが怒りの因数分解によって導き出される「自分」である。

如何に怒りを制御する事が必要か、この一例だけで自明の理である。

アンガーマネジメントこそ、大人としての必修科目だ。


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