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スリ・ポンナンバラワンスワラム寺院(スリランカ)

 中心部からほど近いエリアにヒンドゥー教寺院があると聞いた。何やら、他の寺院とは違うらしい。スラム街もあると聞いた場所だった。道に迷うことを心していたが、ガヤガヤとした街の中に大きな寺院があってすぐにここだと分かりGoogle mapを閉じた。

 ヒンドゥー教について詳しいわけではないけれど、今までに何度か寺院にお邪魔させていただいたことがある。寺院へ裸足で入り神様の像がカラフルに塗られていて混沌としているイメージだ。今までは足を踏み入れてすぐにお腹いっぱいになっていたと思う。

 スリ・ポンナンバラワンスワラム寺院は1905年、イギリス植民地時代にセイロン政府の高官であったアルナチャラム・ポンナムバラ氏が設立した。寺院は古代タミルの建築様式で建てられていて荘厳である。対照的に天井には西洋式のシャンデリアが吊るされている。寺院の壁や柱のいたるところに、スリランカを代表する動物であるライオン、孔雀の彫刻が施されている。


未知の世界が広がっていそうでワクワクする

 寺院の門で靴を脱がなくてはいけない。スリランカの宗教施設では靴を脱ぐ、というしきたりがある。前回はスニーカーが盗まれないように「バックに靴を入れな」と言われたので、今回も同じようにしていたら、セキュリティに「靴はここに置いて行け」といわれた。係の人に預けるようにとの事。係の人は制服など来ておらず、スタッフには見えない。信頼できるかもわからないし、「お金を取られるんだろうな」と思いながらも渋々預けた。

 寺院はすべて同じ種類の石で作られている。オイルランプやココナッツオイルのキャンドルに照らされて、石の壁がブロンズ色に輝いているように見えた。天井に目を凝らすとコウモリがぶら下がっている。床のデコボコとしたところには水たまりも出来ている。洞窟にいるような気分になった。ロビンソー・クルーソーで洞窟にいると胎児の記憶を思い出すと主人公が言っている描写があった気がするが、感覚的にそのことを理解した。何故かわからないが落ち着く気分になる。

 殿内ではタブラ(タイコのようなもの)とホーンのような楽器が演奏されていた。日本では聞いたことのないリズムとメロディーに思わず心が動かされた。全く飽きる気がしなかった。時間が許す限り聴こうと思った。

 殿内は一周できるようになっていて、中心には神様の像が並んでいる。聖職者の方が、神様に祈りを捧げるのに合わせて信者の方々が聖職者の方の後ろに二列になり、彼らもお祈りをする。時間をかけてすべての神様を巡るのだ。

 真剣に祈りを捧げる姿にヒンドゥー教徒でない自分がここにいてよいのだろうかと考えた。しかし、神様は心が広いからきっと客人としてもてなしてくれるはずだと正当化し、心行くまで見学をさせてもらうことにした。

 寺院を満喫し外にでたら太陽がまぶしかった。胎児が生まれる瞬間はこのような感じなのだろうか。殿内にいるときの自分は胎児で、日の光を浴びたときに生まれ変わったのだ。せっかく生を受けたのだから、また頑張ろうと思った。

 帰りに無くされていないか心配だった靴は門のところに ちゃんとあった。おじさんはしっかり靴を預かってくれていたのだ。疑って申し訳ない。引き換えの番号札とともに少しのチップを渡した。


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