アストリットとハンブルクと、そしてビートルズと
13歳、初めてThe Beatlesのレコード盤に針を下ろした瞬間から、私の中で多くのものが目覚めていくこととなっていく。あれから40数年、彼らの音楽、芸術は、私に刺激を与えなかった日々はない。彼らとの出会い以上に重要な事件は、私の中のどこを探しても見つけることはできない。
The Beatlesを知るにあたり、デビュー前の無名時代におけるハンブルクでの原石の輝きを放ちながら音楽と向き合っていた時期の足跡は、極めて重要なワードになるだろう。ここにある一冊、『アストリット・Kの存在 ~ビートルズが愛した女~』には、どの関連書物よりも偉大な原石であったThe Beatlesの赤裸々なレポートが放たれてある。
ハンブルクのThe Beatlesが直面してきた喜び、挫折、悲しみ。それを知らずして、彼らの芸術のバックボーンの美しさを語ることはできない。そして、その美しさの中に、ある時突如押し出されてしまった彼らの同世代の現地の女性がいた。
彼女は、写真家アストリット・キルヒヘア。
彼女との結びつきがあったからこそ、あの有名なモノクロームのハンブルクの彼らの写真が残されている。
アストリットは、当時、The Beatlesのベーシストで、ジョン・レノンのアートスクール時代の親友であったスチュアート・サトクリフといつしか恋人関係となっていく。そして、スチュアートは21歳の若さで、脳内出血を原因とする不慮の死を遂げる運命が待っていた。また、スチュアートがThe Beatlesを捨てたことで、偉大なるベーシスト、ポール・マッカートニーが誕生し、The Beatlesのバンドとしての音楽的進化が急速化するきっかけとなったことも、歴史を語る上で重要なこととして挙げられるだろう。
アストリットはジョンとリンゴよりも2歳、ポールとは4歳、ジョージとは5歳年上にあたるという交友のポジションも、良き繋がりの要素となってくれたはずだ。
2年前、彼女の訃報が飛び込んできた。
生涯愛してきた街、かつて「世界一罪深い街」と呼ばれ、The Beatlesと出会った街であるハンブルクで息を引き取った。恋人スチュアートが亡くなった60年後となるタイミングであった。
アストリットからは、よき影響を与えていただいた。20代の頃の一時期、彼女を模倣して、黒の服しか着ない自分に、周囲の者より呆れた視線を向けられていたものだった。
偉大なる芸術の傍には、傑出した感性の人物が引き寄せられているものだ。アストリットの美しい感性という偉大な財産に心より敬意を表し、彼女をこれからも讃えていきたい。
アストリット、あなたは美しい。
お会いしたかった。あなたと眼差しを合わせてみたかった。
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