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デストロイヤーとテリー・ファンク。愛する昭和のプロレスたち

 ザ・デストロイヤー。
 この名前を憶えているだろうか。
 私が小学生の頃、とある曜日の民放TVのゴールデンタイムでは、プロレス中継が高視聴率の人気を誇っていた。ちょうど晩御飯の時間と重って放映されたプロレス中継。家族全員で、家具調のブラウン管テレビに映し出される肉弾の闘いをまじまじと観戦していたものだ。
 中継を観てまず植えつけられることは、ジャイアント馬場という選手が絶対的なエースの存在であるという事の認識を要求されることだ。現在でいうところの「ベビーフェイス」の長が馬場選手であり、相対図式の対角線上に位置する「ヒール」部門の長が、アブドーラ・ザ・ブッチャーであるという構図設定が読み解けてしまえる。その対立構造の存在こそが、プロレス中継を楽しむための必須認識であると言える。
 そしてこのマットの世界には、己の素顔を隠す「覆面レスラー」と分類される者がいる事を知らされる。その最古参といえるレスラーが、「白覆面の魔王」の異名を誇ったザ・デストロイヤー選手だ。
 当初デストロイヤーは、ヒール部門に属するレスラーであり、馬場選手とも死闘を繰り広げていた姿をマット上の対立図式として目にしていた。しかし、ある時期からどうしたものか、突然他の日本人選手と同じ全日本プロレスのジャージを着用するようになり、敵対していた馬場選手とタッグを組むようになっていく流れを目にするようになる。それは、予期せぬ驚きともに新鮮な印象で受け止められる光景であった。
 「デストロイヤーって、いい人だったんだ!」
 日本人レスラーと外人レスラーがタッグを組むという感覚の意外性とインパクトは、子供の思考回路の中で次第に喜びとなっていくのがわかった。
 そんな稀有なる人気レスラーにも、引退の儀が待ち受けていた。それがちょうど今から28年前の1993年7月29日の事だ。

 先日、たまたまこの動画を見つけて、すべてを見終わった後の自分の目に大粒の涙が溢れてしまっていた。 
 さて、少し話の流れを変えてみよう。
 かつて私は、デストロイヤー選手とほぼ同じ時期に活躍していた外人のスターレスラー、テリー・ファンク選手の自伝を読んで、一本の鋭利なナイフが突き刺さったような衝撃が走り抜けたことがあった。

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 中でも、以下の文中の内容が鮮烈だった。
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「アビィ(アブドーラ・ザ・ブッチャーの愛称)、なんとかしねえとマズイぞ、ファンがぶっ飛ぶような、とんでもないことでもやるしかねえ。イノキたちの人気がこっちに追いつきそうだ。このままじゃあ、やられちまうぜ」
 いろんなアイデアを出し合った挙句、あることを思いついた。ファンがそれまでに見たこともなかったようなことだ。そしてアブドーラとのシングルマッチに出場した。アブドーラは試合中に俺の腕にフォークを突き立てて、大流血させてくれた。─────────────────────────────────
 衝撃的なリアル表現だ。
 これは、当時対立していた団体、新日本プロレスの人気が上昇してきたことに危機感をおぼえたテリーが、敵対構造上のレスラーであるアブドーラ・ザ・ブッチャーに、危機を打破するためのインパクトあるギミック(仕掛け)を呼びかけた舞台裏の密談の暴露話である。
 大きなショックを与えられたことは間違いない。それでも、それが悲しかった訳でも、嘆かわしかったものでもなく、それよりも、今この時代になってようやくこのような発言を活字にすることを許容としてくれた現世と、その重荷を降ろすことができたテリーに対し、心底「お疲れさまでした」という感情に包まれるばかりであった。
 子供時代、なぜプロレスは、その勝敗結果について一般紙のスポーツ欄には載らないものなのかと不思議に思ったことがある。その答えとして、この自伝は、プロレスがスポーツというカテゴリーには当てはまらず、スポーツにはあってはならないギミックが存在することを伝えてくれている。
 “テキサス・ブロンコ”という、多くの人たちに愛されてきた異名を持つテリー・ファンクは、御歳77歳の現在は、認知症に苦しみ施設で療養中であることが、つい最近米メディアで報じられた。

 そして、方や己のファイト人生にピリオドを打つことができたザ・デストロイヤー。28年前の彼のファイトの姿を見て、未だに泣ける自分がいることに、なんの違和感を呼び寄せるものはない。
 テリー、デストロイヤー。私は彼らが残してくれたプロレスが大好きだ。
 フリッツ・フォン・エリックの「アイアンクロー」、スタン・ハンセンの「ウエスタン・ラリアット」、そして、ザ・デストロイヤーの「足4の字固め」。
 当時の花形レスラーと呼ばれる大柄な外人のスター選手には、問答無用にそのファイトスタイルに凄味という感嘆があった。
 プロレスの魅力とは、そこなのである。
 スポーツだ、ギミックだ、リアルだ、フェイクだ。プロレスは、特に昭和のあの時代とともにあったプロレスは、そのような概念の価値を超えたところに最も重要な意義があることを、忘れてはならない。


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