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コミュニケーションは、楽譜に似ている

お疲れさまです。inoです。
そしてあけましておめでとうございます。本年も宜しくお願い致します。
今回は、コミュニケーションについて以前から考えていたことを記事‥ポエムとしてまとめようと思います。宜しくお願い致します。

おことわり

以下述べる内容は全て個人の見解なので、記載された内容を実践したことによるいかなる責任も負いかねます。

きっかけ

去年コミュニケーション研修を受けてから、考えていた。
「コミュニケーションに正解はない」というけど、あの研修は何かの型に嵌めようとしている節を感じる‥画一的な見方しかできないのは、コミュニケーションの本質から外れるのではないだろうか?と。
そこで、自分が好きな音楽になぞらえてコミュニケーションを深堀りしてみようと思い立った。

なお、去年の研修の振り返りは以下記事で実施している。
https://note.com/k_ino8/n/n78463bc8562c

休符と沈黙

楽譜には、休符がある。歌唱をする場合は、ここでブレスを入れたりする。
これを普段の会話にも当てはめてみる。
会話の中で沈黙が生まれることがある。この間を埋めようと喋るだろうか?それともその沈黙を咀嚼や熟考、余韻を楽しむ時間に充てるだろうか?
ここで言いたいのは、前者も後者もどちらが正しいという話ではない。
ただ、音符だけではなく休符(会話では沈黙)にも、音楽的にはブレス、会話で言うと熟考や会話の余韻を楽しみ為の意味があるということだ。

音符と記号と、会話のテンポ

私は多様なジャンルの音楽を聴く。J-POP、HR/HM、エレクトロ、テクノ、オルタナティブロック、ゲーム音楽などなど‥
そしてテンポは曲によってそれぞれで、人ぞれぞれ好みのジャンルや好みのテンポが存在する。
そして楽譜の音符には2分音符や16分音符といったいろいろな種類があり、クレッシェンドやデクレッシェンドのような強弱をつける記号が存在する。
これはコミュニケーションにも当てはまるのではないだろうか。
会話のテンポに言いようのない心地よさを覚えたり、それこそ激しい音楽のように抑揚もつけてとめどなく会話が続くこと自体に快感を覚える人もいるだろう。
逆に、スローテンポで抑揚もなく傍から見ると沈黙が多いような会話でも、当人たちにとっては心地よいものかも知れない。
だとすると、相手が何を良いと感じるかはそれこそ人ぞれぞれなので
会話が弾まないとき「なんで話が弾まないんだ!」と相手を糾弾するのではなく
相手が反応しやすいテンポや「間」を考えるのが良いのかな、と思う。

グルーヴ感

会話を続けていると、直感的に「この人との会話、楽しいな」と感じることがある。
これについて考えてみると、上記に挙げたようなテンポや休符、強弱やテンポが関係しているのではないだろうか。
個人的に思うのが、この人と気が合う、と感じるのは会話を繰り返すことによってその場の空気も含めてグルーヴ感のようなものが産まれるからではないだろうか。実際に筆者がグルーヴ感を覚えた友人関係は、今も長く続いている。
逆に合わないと感じるのは、バンドの解散理由じゃないが
グルーヴ感が合わず「価値観の違い」になってしまうのだろうな、と感じている。

まとめると

  • 休符にも意味がある。諺で「雄弁は銀、沈黙は金」と言うが両方に優劣はないと思う

  • 人には心地良いと感じる会話のテンポがある。それが良い悪いという話ではなく、心地よさを追求するなら自他尊重を心がけよう

  • 会話が弾むとグルーヴ感が産まれることがある。合わないのは単に価値観の違い

以上です。
最後まで読んで頂き、ありがとうございましたー!