朝鮮大学校グラウンドでラグビー部の試合を観戦|民族教育とスポーツ

朝鮮大学校でのラグビーイベント概要

 2022年8月27日の私の経験と、考えたことを書こう。

朝鮮大学校のラグビー部関係者と会食する機会がきっかけ

 私の大学時代の恩人(・先輩)のお誘いで、5月の会食に招かれた。「在日韓国・朝鮮人」と呼ばれる属性の方が半数を占める会だった。ラグビー関係者の方々は、8月に在日韓国・朝鮮人を中心としたラグビーコミュニティで行うイベントをクラウドファンディングで実施することを話してくださった。
 ラグビーアカデミー(小学生中心の民営ラグビーチーム)が募ったクラウドファンディングのイベントの趣旨は「子どもたちがラグビーを通して国際交流できる場を作りたい」というものだった。
 私も支援を行い、支援者は8月のイベントを含め多数のイベントへの招待が約束された。

ラグビーイベントに登場した大学・高校

 私の記憶によれば、6試合が行われた。メインは朝鮮大学校ラグビー部と明治学院大学ラグビー部の交流試合で、15:00ごろから組まれていた。それ以外には早朝から、大阪朝鮮高級学校や東京朝鮮高級学校が、それぞれ関東でラグビー部をもつ國學院久我山高校などとの交流試合を行った。昼ごろには、朝鮮大学校のOBで構成される東西の2チームが、「OB戦」のようなものを行なった。
 サブグラウンドでは、小学生向けにラグビー講座が行われ、プロラグビー選手を含め5名ほどの大人が小学生にラグビーを指導していた。

試合観戦後のスケジュール|焼肉パーティー

 試合観戦は17時台には終了し、朝鮮大学校の中庭兼駐車場のような場所で焼肉パーティーが行われた。
 朝鮮高級学校のラグビー部の保護者の方々を中心に、よく味付けのされた真っ赤なカルビ・薄いロース・ホルモンなどが提供された。
 七輪を囲んで大学時代の先輩方と焼肉を頬張った。プロラグビー選手の方々の挨拶を聞き、朝鮮高級学校や朝鮮大学校のOBがラグビー界で活躍していることを目の当たりにした。

ラグビー初観戦の感想

 私の観戦歴は、ラグビーW杯をテレビ観戦したことがある、程度だった。直近に至っては、8月に行われたラグビー日本代表とフランス代表との交流試合を、数分テレビ観戦して飽きてしまった程度である。
 確かに私の飽きっぽさや趣味趣向を考えると、今回の朝鮮大学校でのラグビー観戦も楽しめない可能性が高い。しかし実際には、どの試合も一緒に観戦して解説をつけてくださったコーチのお兄さんや、ともに盛り上がってくださった先輩のおかげで、存分に楽しむことができた。
 屈強な体格の選手たちが、ぶつかるだけではなく戦略的・精神的に団結してプレーする様子が印象的だったし、解説を受けてチームカラーを理解できたことでその印象がより深く刻まれた。

民族教育とスポーツ

 今回の経験を通して、朝鮮高級学校・朝鮮大学校の男子生徒たちの間でいかにラグビーが熱狂的に支持されているか、いかにラグビーが在日韓国・朝鮮人の方々の間で年齢や居住地を問わず関心の対象になっているかを、強く体感することになった。
 結論はない話だが、"在日韓国・朝鮮人"という、日本の近代の拡大の中で不本意にも苦境を味わった(・今も味わっている)民族の方々が、ラグビーというスポーツを軸に民族の連帯感を持って生きていることは、非常に興味深い。そして、苦境の中でどのようにしてラグビーというスポーツが選ばれ、愛されて、教育のなかでも実践されているのかを考え続けてみたい。
 別のスポーツに目を向ければ、今冬には、サッカーW杯がカタールで開催され、出場国が「国」「民族」の意識を明確に持って自国代表の勝利を願う姿が見られている。民族の連帯感はそうした国際大会を通じて高揚し、目に見える形になるけれども、各国・各民族がどのスポーツに特に注力した背景をもつのか、好奇心をそそられるのは読者にも同意いただけるだろう。
 仮の結論にはなるが、気候のような自然環境、グローバリズムの中での経済的な環境、スポーツの浸透以前の民族の生活習慣や集団意識、などなど、あるスポーツが選ばれるまでには数多の背景があって各国・各民族が特定のスポーツに傾倒していくと考える。今回取り上げたような苦境に立たされる在日韓国・朝鮮人という民族の文脈に限らず、恵まれた条件を生かして今のスポーツの繁栄があることもまた、間違いないだろう。
 民族や国家の"カラー"を前面に打ち出して争われるスポーツの大会は大変に面白く、私たちも夢中になる。観戦や応援を通じて、「私たちがそのスポーツを通して国民・民族であることを確認し、アイデンティティを再学習する」営みになっていることも忘れ難い。「〇〇人である私がこのスポーツをプレイする/観戦する/応援する」という文脈を明確に意識するとき、学ばされるようにスポーツに惹きつけられてきた先祖からの歴史を感じることになる。
 私の祖父は、祖母は、どのようにスポーツを、日本人の自覚を学んできたのだろうか、なんてことを思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?