見出し画像

自分さえよければ症候群

本題に入る前に

同志社大学の浜矩子(はま のりこ)名誉教授が2021年に自身の著書で、いわゆるデフレが労働者の賃金の上昇に歯止めをかけ、経済の停滞の原因として「自分さえよければ」という考えこそ、ユニクロを始めとする日本国内の企業の生産性の低下を加速させることによる過度の値下げ競争のA級戦犯であると糾弾したことは当時賛否両論を巻き起こしました。
しかし情勢は大きく変化し、コロナが収束の兆しを見せ始めた2023年頃から徐々に物価の上昇が表面化し始めて、現在に至るまでその上昇は留まることも下降することもなく推移しています。更に円安により2024年5月時点で150円前後まで上昇し、輸入に頼りっぱなしの国内の事業に深刻な影響を与えています。円安の影響をまともに受けた急激な物価高に対する非課税者救済のための給付金に関しても、「働くだけ損」「票集めのバラ撒き」と国民から揶揄され、お互い最初から相手を理解しようという姿勢すら見せない水掛け論へと至っているのが現状です。これも言ってしまえばお互いが「自分さえよければ」症候群の一端になっているだけに過ぎないでしょう。

当時浜教授は「これからは『あなたさえよければ』という姿勢が大切になってきます。」と述べたといいます。しかしながら、捉え方は様々ですが、デフレにしてもインフレにしても都市部と地方で賃金の格差が解消されない現状では、例えばコンビニやファミレスを始めとする全国チェーンの飲食店や小売業は都市部だろうが地方だろうが一律の価格を維持しているため、ついには一部のパート労働者たちから時給を全国一律最低1000円にすべきだという主張まで起こる有り様です。しかし、しかし、仮にそうしたところで雇用側はむしろ現状の労働者一人当たりの負担を増やして新たな雇用を生み出すことなく、利益の搾取に終始するのが関の山でしょう。
その積み重ねの結果、地方では若者はより賃金の高い大都市部に就職したり移住したりして、相対的に(必然的ともいえますが)若年層の人口の流出という事態を招いてきました。何年も前からそうした動きは起こっていたにもかかわらず、行政も企業も見て見ぬふりをして低賃金で労働者を引き留めた上でこき使うという鬼畜のような扱いを強いてきたともいえます。そればかりか、企業や交通のインフラの整備も後手後手に回り、地方に住む人々の生活は苦しくなるばかりなのが現状です。このまま都市部と地方の格差を野放しにしておいていいはずがありません。

前説が長くなってしまったのでそろそろ本題へ。

しかしここで筆者が言いたいことは、その「自分さえよければ」の考えが日常生活や地方の住民による民度の低下までも招いているのではないかという仮説です。利益が発生する観光客や旅行客、仕事で訪れた方々は勿論、更にはインフルエンサーや著名人が訪れた日にはこれ以上ない程の丁寧な「お・も・て・な・し」で、一人でも多くのリピーターを確保して事業の維持のために奔走する傍ら、客でも何でもない地元民や他県からの移住者に対しては非常識で身勝手な言動に終始し、自分の都合が悪ければ他人を押し除け蹴落としてでも自分に都合がよくなるような解釈をする行為も当然のように行うといった二面性を持つ人間が増殖していき、最悪の場合、一部の民度の低い輩による治安の悪化を引き起こしていることにまで見て見ぬふりをする恐ろしい状況を作り上げているのです。

筆者はこれまでここでは書き切れない程のおぞましい経験をしてきました(書く気になれば書くとは思いますが)それは個人においても全て「自分さえよければ」というねじ曲がった社会情勢を反映しているような思考のもとに起こっている深刻な問題だと思います。身内でさえ「自分さえよければ」症候群に蝕まれ、先代が遺した資産(市内でも一等地の二階建て庭付きの古民家までもが解体、売却されました)も逃げ場所も全て失って、いつ精神が崩壊してもおかしくない程の親族の醜い本性も筆者は知っていました。筆者が物心つく前から陰でそうした言動があったことも後に聞かされてきましたし、実際に目の当たりにしてきました。そして残念なことに、それらの辻褄はパズルのピースが綺麗にはまるように合っているのです。

筆者はその「自分さえよければ」症候群の被害者であり、同時に加害者でもあると最近よく思うことがあります。普段の自分の行いを「振り返る」ことこそ重要なことであって、それがよい事か悪い事か自分と向き合って問いかけることが必要なことだと考えます。それは都市部に住んでいようが地方に住んでいようが関係ありません。毎日でなくても週に一回でも思いついた時でも、ほんの些細なことでもいいんです。そうすることで人間は何歳になっても成長できるんです。「今日は友達に手料理を作って喜んでくれたからからまたやろう」「今日は友達に酷いことを言って傷つけたから明日謝ろう」といった心がけ一つで、世の中はもっと良い方向に向かって行けるはずです。何でも国や行政、ましてや他人のせいにしたりせず、個人でできることだっていくらでもあります。最近だとスポーツ観戦に来た観客やサポーターが日本代表の選手たちの影響を受けて率先して観客席の掃除を始めたり、外国人観光客が日本に観光で訪れた時に、飲食店で頼んでもない水を無料で提供してくれることに驚いたりといった美談だけがクローズアップされていながら、その傍らでは厄介な物事から目を逸らして普段通り日常生活を過ごす人もいます。それも同罪ではないでしょうか。低俗な社会のまま、自分に火の粉が飛んで来ないように見て見ぬふりをして生きるのはもうやめませんか?いつかそのツケが自分に回って来るかもしれないことを忘れずに生活していけるように。

ではまた次回。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?