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びっくりのインド ● 05 ● ついにホテルに到着!

ホテルに向かう軽トラから外を眺めていると、さすがバンガロールは インドのシリコンバレー と言われるだけあって、アメリカの名だたる企業の巨大なビルが幾つも空にそびえるのが見えてきた。
「あー、やっと」 と思っていたら、次第に高いビルがなくなり、代わりに、ゴーストタウンが現れては消え、また現れては消えた。

「本当にホテルに向かっているのだろうか」 と不安になり、運転する彼に 「ゴーストタウンがたくさんありますね」 と話しかけてみら、「あれはゴーストタウンではありません。人が住んでますよ」 と素っ気ない返事をした。

そう言えば、目を凝らすと時々ちらほら人が見える...

後で気付いたのだが、インドのシリコンバレー はバンガロールのごく一部で、それ以外は、日本人が思うインドか、あるいは日本人が想像できない貧しいインドだった。
ゴーストタウンに見えたのは、電気が通ってないからだ。
夜は真っ暗で家から明かりが漏れることはない。
電気がないというより 彼らは電気を必要としていない、それは電気で動くものが家にないからだった。

インドのインフラについて訊いてみたが、ホテルから迎えに来た彼はいまひとつ英語がうまくなくて、しかも恥ずかしがり屋のようで、どうも話しが続かない。
外人と話すことに慣れてないのかもしれない。

そう思って 「はっ」 とした。

もしかすると、彼はただ 「ゲストを迎えに空港へ行ってこい」 と言われただけで、そのゲストがどの国から来るかとか、男性か女性かとか、必要な情報が与えられず、ただ 「電話を掛けてくるはずだから」 と聞かされたのかもしれない。
小さい小さい字で Keihaku-san と書かれた紙を持っていたが、それも彼が用意したものではなく、ホテルの人に渡されただけかもしれない。
彼にとって Keihaku-san がアジアの名前なのか、他の地域の名前なのか、どの言語の名前なのか、全く見当がつかなかったはずだ。
私が 「来ないなー」 と思っていたのと同じように、彼も 「来ないなー、電話もないし」 と思っていたのかもしれない。

私がまだ 10代の頃、伯母に 「どんなに怒り狂っても、100% 相手に非があると確信していても、その人の逃げ場は必ず作っておきなさい。それが、あなたの逃げ場にもなるから」 と言われたことがあって、その時は意味が分からなかったが、その後、この言葉には何度も助けられた。

空港で 40 分も待たされたときに彼を責めていたら、私は車の中で自分を責めることになっていた。
初めて来たインドの最初の1日は 嫌な日 として記憶に刻まれたと思う。

彼に何も言わなくて本当によかった。

そんなことを考えていたら、急に明るい街が現れた。
日本とは比べることもできないが、店がたくさんある、人もたくさん歩いている、明らかに経済力のある人たちが住んでいるところだ。

やっとホテルに着いた。
タイを出発してから何日も経った気がする。
空港からは 40分、道路が悪いと軽トラはこんなにも疲れることを実感した。

荷台から乱暴にスーツケースが降ろされたが、そんなことはもう気にしない。
チップを渡すと彼は思いのほか喜んだ。
当時のインドの 平均年間収入が 4 万円 と知らず、額は思い出せないが、彼の 1 か月分の収入くらいのチップを渡したかもしれない。
とにかく、生きて怪我もなくホテルに着いたことを感謝した。


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