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びっくりのインド ● 01 ● 準備 part 2

インドに行く目的は、インドにいる若手のソフトウェアエンジニア 12 人が

(1) 日本語を学ぶ
(2) 日本での仕事の流れを疑似体験する
(3) 日本で就業する

のをサポートすることだった。 

まず先任のチヨコ先生が現地へ出向き、数か月間、初級の日本語を教えて、その後、私にバトンタッチして、仕事で使いそうな日本語を覚えてもらうことになっていた。
仕事の疑似体験というのは、例えば、ソフトウェア開発の企画から納品まで、どんな会議があって、どんな書類を作成し、その書類にはどんな承認がいるか等を、実際に簡単なプログラムを作ってもらいつつ体験するというものだった。
いま思い出しても非常に良い企画だったと思う。

インドに行く日が、3 か月後から 2 か月後に、そして 1 か月後にと近づいてきて、仕事で使う資料や教材を準備して荷造りをすると、どでかいスーツケースがパンパンで、かなりの重さになった。

それとは別のスーツケースに自分のものを詰め始めて、はたと気付いたのは、インドにはどんな店があって、何が売られていて、どこにどのくらいの店舗数があるのか等、まったく想像がつかないことだ。
わたしは肌が弱く、シャンプーや石鹸が合わないと、すぐに湿疹ができるが、「インドにはそもそも敏感肌用のものとか売っているのだろうか」 とか、「乾電池はそのあたりで簡単に買えるものなのだろうか」 とか、考えだしたら切りがない。
わたしの住むところは、いわゆる観光地ではないから、web サイトで紹介されているインド話しを鵜呑みにすることはできない。
とりあえず、1か月間は身の回りのものを買わないで生活できるように準備したら、国際線で預けられるギリギリの大きさのスーツケースが一杯になってしまった。

それ以外にも、住んでいたアパートを何ヶ月も放置することができず、出発前に実家へ引っ越すなどしていたら、インドへ行く不安よりも、むしろバタバタから逃れたい気持ちが大きくなり、仕舞いには早く出発したいと思っていた。 

わたしはこれまでに ( 2020年現在 ) 29 回の引っ越しをしている。
そのうち 4 回は太平洋を渡っているので、荷物を減らすことには慣れていた。
けれど、それは現地の様子が分かっていたからできたことだと改めて気付かされた。

インドでは、最初の1週間はホテルに泊まり、チヨコ先生と仕事の引き続きをした後に、彼女は帰国して、その代わりに私が彼女の住んでいるところに引っ越すことになっていたから、初めてアメリカに住んだときのように、1日目に あわや宿なし という心配がないのは、せめてもの救いだ。

出発に向けてカウントダウンが始まると、それまでの引っ越しとは違う不安が大きくなってきて、最後の方は 「とりあえず日本を出てしまえば」 と思うようになった。

そしていよいよ出発の日、関西国際空港へ向かった。


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