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『人生ゲーム』にハマる理由は、自分が主人公だから。

周りの目が気になってる時点で、夢中にはなれない。

他人からどう思われるかってのがない状態をつくる。

そんな情報を入れないようにしていてもふと入って来たりもする。

そんな状態も違う。

突っ込んで、のめり込んで、沼にハマって必死にどうすれば生き残れるかって状況に、周りの目は気になるだろうか。

そこには死にたくない、生きたいという本能がきっとはたらくだろう。

それに近い状態を作り出す。

それを作り出すにはとにかく、目の前の物事と真正面から睨み合い、ここぞって時に行かなきゃいけない。

面と向かっていると邪念も湧いてくる。

だけど背中を向けて逃げたら終わる。
じっとタイミングを見つける。
一瞬でも目を逸らせばやられる。隙があれば食われる。

好きなものをやり続けるその道(過程)の中で、楽しくない瞬間も出てくる。

これは本当は小さいゲームだと認識していない。

”ただのゲーム”

そのゲームの中ではトラップやトラブルが起こるようになっている。

ゲームの中にはなくてはならなくて、
そんなのがないのはゲームとして成り立たない。

そんなトラップやトラブルを打開するアイテムを獲得し、
仲間を作り壮大なる敵と対峙する。よくあるゲームと同じだ。

ただのゲームを自分がやってると思えばいい。

自分の思考の中に入り込みすぎて、ゲームしていることも忘れてしまったらそこにあるのは楽しいとも感じない真っ暗な場所にいく羽目になる。

過去を振り返ってみても、ピンチの後にチャンスがあり、チャンスの後にピンチが訪れる。

そんなもんだ。

そして一つ終わってまた新しいゲームを始める。

その繰り返し。


じゃ何のゲームをするかっていうのは自分の選択一つでそれは叶えられる。

面白くなければまた新しいゲームを始めればいい。

主導権は自分にある。
なのに自分にあるのになぜか何かのせいにしたくなる。

その時点でゲームではない違うところに行っている。

現実の世界は実はゲームの中なのか、
それとも自分が選択したゲームなのに、
いつの間にか誰かのゲームの一部になっているのか、
それともどこにも属していないのか。


どこにいるのかは自分しかわからないから、また面白い。


どうせなら自分の作ったゲームを楽しめばいい。

そこには自分が主人公の壮大な物語が間違いなく待っている。

絶対面白い。

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