倫理と論理とテクノロジー

「生きること」と「テクノロジー」は、比例して延びていくのか。それとも、ある時点で反比例していくのか・・・。
人類は、よりよく生きるために「ゲノム編集」まで辿り着きました。論理的な分野では「人工知能」の躍進が今後の人類の繁栄に貢献することでしょう。ですが、よりよく生きるためのそれらの「道具」達が進化すればするほど、「得体のしれない不安や不満」が溜まっていく気がしてならないのです。

この心理を解消するために仮想空間がますます広がっていき、物理的な健康より論理的な健康を重視するようになるでしょう。「論理的な健康」には倫理が不可欠です。仮想空間で人間は倫理を構築し、「自身は人間らしく論理を組み立てているか」を常に問う社会となるのでしょう。そして、倫理は論理の世界でしか生き残れないことに気が付きます。

物理的な健康は、ある程度上限まで達したら体を脱ぎ捨て無機質に置き換えるよりほかに方法はなくなるのです。つまり、大脳さえ維持できれば、それでいい。
「生きること」とは、「自身を認識できる情報が消えないこと」となりそうです。それは、物理的な体の死を意味します。ここで、反比例が発生すると予測しています。
いまは、それまでの過渡期。ゲノム編集でどこまで「物理的に生きる」を延ばしていけるか。その前に、人工知能の論理が「人間不要」と結論付けないように願うばかり。



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