"国際ルール" は "加害" を生み出している

侵略という加害。なぜ、これが今の時代で発生したのか。

「被害をなくす国際ルール」という考え方にあるのかもしれません。これを「加害をなくす国際ルール」とするなら、何かが変わる気がしています。

被害をなくすための調査は加害をなくすための行動にはなりにくい。加害を引き起こそうとしている兆候を見逃すまたは傍観することがしばしば起こると解釈しています。

加害をなくすための調査は被害をなくすための行動となるか。論理的には成立するのだと思います。ですが、ぎすぎすした感じは否めない。硬直化した行動となりやすいからです。

ただ、加害の兆候を見逃したり傍観すれば、今回のような侵略を引き起こす。国際ルールの行動としては「加害をなくす」に注力した事柄が今後必要です。

加害をなくす行動とはなにか。被害を出す可能性のある論理展開をしずかに諫めること。その背景にある誤解や認識不足を互いになくしていく努力をする。被害を出しそうな論点があればつねに話し合いの時間を設け、話し合いの進捗をつねに国際へ公開していくということ、その行動なのだろうと思うのです。誤解や認識不足は当該者以外の人々にも内在します。

誤解や認識不足があっても理解し認識が深まることで、その人も話し合いの席についている人も話し合いの経緯を見守る人も、等しく成長するのです。

国際ルールが一方的に加害を定義し当てはめるだけの行動であるなら、国際ルールが "加害に追いやる危険性" があります。定義は常に見直しが必要で、その見直しの過程を国際に公開し世界で理解されやすくする環境構築が必要なのです。民主主義の本質です。それが、現在、致命的に足りない。

加害とは何か。被害とは何か。根本的な定義を世界で共有できているか。その活動がきちんと展開できれば、今回のような戦争は発生しにくくなる。「お花畑」と揶揄され嘲笑われても、地道に着々と浸透すべき事柄だと思った次第。


#日経COMEMO #NIKKEI

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