加速しない、「送電」から「蓄電」

もっと、需給が広がって良さそうなものですが、蓄電が加速しない状況と見ます。

これ、アベノミクスがやらなければならない「岩盤掘り起こし」の主要な案件の一つだと思うのです。雇用から経済成長まで、蓄電文化が影響力を発揮するのだと思っているのですが。

エネルギーの安定供給には、キャパシタ・蓄電が重要な役割を果たします。いったん溜めて制御しながら必要な容量・流速で供給する役割。電子だけにとどまらず、電子に置き換えられる素材(水素酸素系元素、重力、光・風・波など)であれば蓄積し都度利用することができます。

電子にして供給する。問題は、どう送るか。電気はリアルタイムで供給量を制御する必要があり、多すぎても少なすぎてもいけない。だからかもしれませんが、ここに利権が絡みます。旧来からある利権構造を頑強に護ろうとする勢力があるようです。そこに風穴を開け、風通しを良くするのが政治の役割。蓄電を増やし、その場で供給する文化を醸し出せば、旧来の勢力も変わらざるを得ません。文化を醸し出すのも、それを後押しする政治があれば、上手に発酵できるのです。

今、桜前線が日本を北上しています。遠くの山を見れば、大きな送電線の鉄塔のもとに自然に成長した桜が点々と色づいているのが見えます。その鉄塔を構築し設置し保守することが困難になりつつある現状があります。こんなところからも、送電の仕組みが揺らぎ始めているのです。

電柱を地下に埋める文化も少しづつ受け入れられているように感じます。ですが、コストがかさみ思うように進まない状況です。家庭に蓄電の文化が根付けば、街の景観も様変わりするでしょう。なにより、災害に強い街となる可能性もあるのです。蓄電は、持ち寄って過不足を補う事も出来ます。災害がないところから個別に輸送・供給することが可能になるわけです。

「蓄電が全て」と考えているわけではありません。その特徴を活かしきれていない事を問題としています。活かせない事情があるのなら、根本を解析し、排除の力より溶かす力を応用して違う形に成形する。その巧みさを政治が発揮してほしいと願っています。硬いものは柔らかくすればいい。流動性を高める技量が欲しいのです。

明日、新しい元号となります。そこから、新しい日本らしい文化が芽生え広まることを願っています。



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