愚妄想:二進法でニンゲンの欲望はバブルになるのか

二進法:底を2とする位取り記数法および命数法。(ひらたく書けば、0・1 と進んでくらいが上がる)

つまり、十進であれば0・1・2・3・4、二進であれば0・1・10・11・100で十進4をあらわす。

とすれば、ニンゲンの欲望の桁上りは、十進であれば10数えなければ桁上りしないが、二進であれば4つ数えるだけで3段階の桁上りが発生する。

十進や十二進や二十進では、簡単に桁上りせず、桁上りするまでの微妙な変化を読み取ることができる、もしくは、読み取らなければならない。その時間が必要となる。

二進では、ニンゲンの欲望は即座に桁上りする。"なし・あり" で "あり" であれば1段階上がって積みあがるのだ。十進の「たぶん四」などのあいまいを突き抜ける。二進の積み上がりを俯瞰してみれば、斯く斯くしたものは目につかなくなり「たぶん四」に見えなくもない。だが、近づけば0・1で明確である。

十進であれば、四であることは前後で分かる。三の次であり五の前である。ただ、そうやって辿らないとわからない。四になるまでに三があるということだ。過去を振り返れば四であったという五である現在がある。

だが、二進では前が1であれば桁上りの1で後ろが0。最初の1(欲あり)は左にシフトしながら欲を追いかけ、現在をゼロにする。欲があればが即座に桁上りしながら次の欲を待っている。

十進の四は一桁。二進の四は三桁。一桁の四である欲望は、二進であれば三桁となる。見た目は三桁も "格" が上がる。

十進256の欲望は三桁。二進では、1,2,4,8,16,32,64,128,256(1 0000 0000) と 九桁にもなる。ニンゲンはうっかり本質の256を見ようとせず、思い込みで十進の100,000,000と解釈する。単なる256円が1億円に跳ね上がる。欲が目をくらませた結果だ。

わたしたちは日常的に本質を見ない。事足りればその価値がどのようなものか追求しない。事とは、必要・ほしい "事" であり、満足すればそれで事足りる。1億円の豪邸が欲しいという "事" にたいして、二進の100000000の豪邸といわれれば、それでことが足りるのだ。そういう、イキモノである。

現代文明は二進の中で発展してきた。コンピューティングはその証左。わたしたちはブラウン管でニュースやドラマを見ていたころ、ブラウン管の仕組みなど知らなくても事足りた。バブルのころ、借金と信用を顧みずに1億円の豪邸を手にしたいと欲した。十進で計算するより、見えない二進で信用貸しできるシステムが重用された。

信用が見えないので見える十進で格を整える。桁が格となれば、所有している資産で格を見定める。けた外れの所有だが有利子負債は問わない。桁の多い資産持ちほど格が上がっていく。その格あるニンゲンが動けば、同じように借金をして自身の格が上がっていくと実感するニンゲンが増えていく。

だが、あるとき借金返済で滞る。貸し手は困窮し借主と化してやがて借金返済ができなくなる。そもそも、1億 "円" の格ではなく、二進の100000000の格、つまり、価値は256円であったということに、ようやく気付き始める。九桁だけに信用を置いてきて "底" という本質を見ていなかった末の破綻である。

格ある人間が動けば、連なって似たような動きをするニンゲン。根拠は「ほかが信じているから」となる。わかりやすい格表記につられてしまう。本質を見ないまま突き進む。そのスピードをコンピューティングが指数関数的にはやめていく。

格とは何か。格付けの根拠は何か。その格は永遠に高位にとどまるのか。高位であり続ける必要があるのか。さまざまに問いかけながら、なかなか桁上りしない十進の歩みを積み重ねることが、二進文明を傷めないニンゲンの知恵なのだ。


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