妄想:生活給と能率給、必要なのはどっち?

生活給:労働者の生活必要度に応じて決定される賃金。年齢、勤続年数、家族構成などを考慮して最低限度の生活を保証しようとするもの
能率給:標準以上の能率をあげた労働者に対して割増し支給を行うことによって労働意欲を刺激しようとするもの

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企業側は、能率給に重きを置くし、労働側は、生活給に重きを置く。どちらも人への投資でありましょう。

生活給を厚くすれば、個人消費が伸び全体の購買力が刺激され各産業の供給が伸び企業の業績が上がる。
能率給を厚くすれば、企業の価値が上がり利益率が上がって、やがて、利益の労働分配もあがって生活給も上がる。

経済学を修めていない頓珍漢な私の妄想ではありますが、なんだかそんな流れを想像してしまいます。わたしは、生活給をまず上げてほしいと願っている側。生活の充実がなければ働く意欲がわかない。だから、能率の低い働き方になる・・・。そういうと、「工夫と努力が足りない」と叱責される。

工夫はしているのであります。人工知能が使える世の中になったので、日々利用する回数が増えています。これを工夫と定義しています。過去に身に着けた技や術の効率を上げて仕事量を増やす努力はしていますが価値は上がらず、価値を高めるアイディアを人工知能のレスポンスから得ようとしますが、なんだか、ピンとこない。結局、努力というのは「私の人件費をこれくらいに下げます」的行為となります。

「なぁんだ、自身から積極的に人件費を下げてるんじゃないか」と。努力は、他の発展国の人権費との競争の中で発揮されますが、あちらはリープフロッグで若い力で難局を飛び越えていく。こちらは、先進国の脂肪がたくさん身についていて重くて容易に難局を飛び越えられない。

日本で思ったような生活給が上がらないのであれば、人件費努力で収入が上がらないのであれば、発展国へ移住するよりほかはナシ。そこで、先進国の脂肪を燃やして発展国に寄与できる人材となるべく努力する。先進国で足りないと叱責された「努力」は、発展国で再定義されるのであります。

ただ、発展国では社会保障は万全でない。思ったような老後を暮らせるわけでもない。どこかで孤独を感じる老後となるのでしょう。それは、日本を裏切り他国で脂肪を燃やした罰なのです。

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なんだか、とりとめもない妄想を書いてしまいました。わたしには他国へ行ける能力などは備わっていません。サシの入った霜降り脳みそで発展国に寄与できるわけもなし。人工知能を使いこなす能力もなし、人工知能のレスポンスをきちんと理解できる能力もなし、ましてや価値を高めるアイディアなんぞも出て来やしない。努力といえばひたすら頭を下げてヘレヘレ笑っていられる特技を伸ばすこと、そんなことで仕事の能率が上がるわけもなし・・・だめだめじゃん・・・・必要なのはタイムマシーンであって、過去にさかのぼって再起動するより他はナシ。

#日経COMEMO #NIKKEI

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