妄想:"政治屋" になった軍人ほど、強硬を主張する
政治屋:政治家としての使命や志を失い、保身や私利の追求に走る政治家をいやしめて言う語(weblio コトバンク 参照)。
大臣となれば、政治家であります。陸海大臣が何を主張してきたか。明白であります。その生業は、戦中では "政治屋" であったということ。
***** 純粋な軍人に戻ればよかったのであります。軍人は勝ち負けをはっきり分ける能力があります。負ける戦はしません。負けることがわかっていて戦をする場合は、「上官の命令に従う」のただ一点のみ。
軍人の最高位は大元帥であらせられます。大元帥である陛下のご命令に「負け」が確定しておっても、「上官の命令」に従うのです。
ここで "政治屋" が跋扈します。自身の都合のよい方向に大元帥の言質を引き出そうと、表に裏に活躍するのです。あくまで、"自身の都合の良い" ことが動機であるのです。
彼らは国体(くにがら)のことなどは、"ことばあそび" であり、厳密に国の将来のことなど諮ってもいない。
「どのみち、向こう(敵)がおれてくる。こちらが引くことはない。」の一点張り。挙句、折れる時節を得ることもなし "無条件降伏" という、軍人にとって最低最悪な屈辱を浴びることになる。
戦は勝つためにある。負けるためにない。"負ける" を "勝つ" に変えられる時期まで、辛抱に辛抱を重ねて、時節到来で相手に「なるほど」と思わせ、武力なしで勝ちを収めるのが「政治家」の生業であり、有事が起きそうなときでも、相手に「手を出せばこちらの損壊が激しい」と思わせるのが「軍人の勤め」なのであります。 *****
一体全体、どれほどの犠牲者をだせば「"自身の都合" が最悪を招く」と気づくのか。振り上げたこぶしをひっこめることができない。なぜ、その人たちに命令権が与えられてしまっているのか。
戦争に至ってしまった現状を覆すのは、国民しかいない。国民が勇ましく先の大敗北に目をつむりながら、飢えの中で「誰かが現状を変えてくれる」と祈ってみたところで、変えられない。
「・・・時運の赴くところ、耐え難きを耐え、忍び難きを忍び、もって万世のために太平を開かんと欲す・・・」
なぜ、これが戦初中で発せられなかったのか。やはり、命令権者に国民が圧力となって懇願することがなかったからだと思う。
「誰かが現状を変えてくれる」は、国民の無責任そのものが現れている考え。国を思う、隣人を思う、家族を思う、自身を思う、国民であるのなら、人任せではだれも救えない。
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