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苦しい時の、「社会主義」願望

「社会主義」。最近、”一律支給”あたりから、目につくワードとなっています。

資本主義 対 共産主義 の対立は、終わったと思っています。それは、共産主義陣営の運営失敗による自滅。

社会主義(Wikipedia参照)はどうか。これが厄介な存在。というのは、定義がばらばら。広義で言うなら「国家社会主義」などは「state socialism」にしても「national socialism」にしても、自滅もしくは邪悪であったため崩壊しています。それらの社会主義とは一線を画した社会主義とは何か。

社会改良主義社会民主主義無政府主義」が浮上してきます。無政府主義は「支配する者のない」社会を目指すといいます。社会民主主義や社会改良主義は、「資本主義の穏健な改良を目指し、議会制度の枠組みに基づき富の再分配による平等を目指す」と解釈しました。

無政府主義は「責任不在」となり調整できないカオスを生み出す危険があり、改良・民主は、政府の負担が膨大となる可能性があります。

資本主義・市場経済優先の今、今回の疫病対策で ”一律支給” を一時的にでも採用せざるを得ない。それは、緩やかな社会主義の導入と見ていいのではと解釈しています。

では、経済回復後、再び、市場経済を優先し「頑張った者たちが頑張った分だけ利益を享受する」社会へ戻っていくのか。・・・そうではない気がしてしょうがない。

「富の再分配による平等」を一時的にでも経験した市民は、その後の景気回復の中、今まで以上に ”格差” を感じるようになるのではと思うのです。きっと、メディアは振り返って、「疫病で難を逃れているのは富裕層だけ」という論調を展開するのでしょう。そういった、”不平等” に目が向けられ、「一時的にでも、”一律支給” が実現できているのだから、恒久的に支給できる体制づくりを本格的に試行・施行すべきだ」という考えも広がりを見せるのだろうと思っています。

中国はどうか。自称「社会主義」国家運営をしています。議会というものがあるけれど、一党独裁であるので資本主義陣営の議会とは似て非なるもの。

党の都合が最優先されます。その中で、「党による平等」が模索され、党の都合に合わせる者たちだけが享受できる平等を広げようとするのでしょう。

その現象を、資本主義のなかで ”平等” に目覚めた市民たちはどう見るか。「党独裁で強権的ではあるが、平等を具現化させている」と認識するか。

わたしには「党独裁」という ”独裁” が目についてしょうがない。確かに、”独裁” は一時的に平等を創り出し、無理にでもお金を廻す社会を創り出すことでしょう。けれども、”独裁” の下、もの言えぬ人々の困窮は取り上げられず、その鬱積した不満は腐臭を放ちます。それは、昔、自滅や崩壊した国家と酷似しています。

「独裁は自滅・崩壊」というのが私の中の方程式です。それ以外に、「富の再分配による平等」を築き上げることはできないか。全体と個が調整しあえる理想は具現化できないか。自由を手にしつつ、格差を是正できる仕組みはできないか。

「がんばったら、がんばったぶんだけ、むくいられる」社会。何を頑張るかは法律の範囲内で選択できる社会。報いられたら、次の人へ「がんばりたい」機会を提供できる社会。それらは、「機会均等」であり「富の再分配」でもあるのです。

私たちは、今まで以上に ”平等” に目覚めることでしょう。格差社会の「命は、困窮者で軽くなる」法則を変えられるか。今、未曽有の世の中で、何度も問いかけるべき課題だと思いました。


#COMEMO #NIKKEI

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