集住前提で、捨てるインフラ選別せよ

ちょっと、高飛車で恐縮です。意図は、都会への集住に資金を配分し、過疎地は自然へ上手に還すということ。

おそらく、危険なインフラは過疎地のほうが多いのかもしれません。明治・大正や昭和初期のインフラも現役。老いた住民のたっての願いの構造物刷新もそれを使う人々が刷新されない。そこに意味を見いだせるか。

この書き方もよくない。わかっていますが、現実、過疎に暮らすとこうなります。

やはり、集住が先に来なければなりますまい。過疎地のインフラ更新の資金を集住に廻す。都会の集住候補地の整備に廻す。都会の中心地をより快適なインフラに整備する。そうやって、経済が回りやすい日本に刷新していく。

あつまれ〇〇の森的集合は様々な効果を生みます。疎ではこうはならない。森は生命の集合体。人間社会では都会に相当すると解釈しています。足早だった高齢化はゆっくりと進みだす。生命力にあふれた森は、閉じようとする生命もおだやかにする効果を生みます。

あのゲームでは快適な自然環境の下人々が集い新しい経済が生まれています。現実の集住には自然との距離があります。一方、ゆっくりと自然に還る過疎はゆっくりと快適な環境に整備されていく(構造物での整備ではない)。それによって、全体として〇〇の森のような生活空間になっていく。

理想のためには原資が必要。原資を積み上げるには国民の広い同意が必要。国民の同意を得ようと働く政治や官僚の人々が元気でいてくれることも大切。

わいわいがやがや。多くの人が日本の刷新に手を貸し頭を使うときは、今。そう思うのです。

#日経COMEMO #NIKKEI

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