跪かない "秋人"

商(殷)が、周によって滅ぼされたとき・・・彼等は故郷を失い、土地も所有してなかったから「交易」を生業とせざるを得なかった。"商の人"と呼ばれた。

商は賞に通じ、業績を讃える意をもって金品を授ける。やがて、与える側は権威を持ち、代償・償贖にながれ、償・贖(当局に身代金を支払って罪人の身柄を引き取ることを意味:金銭によって罪を免ずる)を使うようになる。

日本語における「あきひと・あきうど・あきんど」の「あき」とは、「秋」と同源であり、その時期に成熟した穀物を交易することに由来する。秋人(あきひと)が商人(あきんど)へ変わっていった。

共通するのは「交易」で、権威を持った者たちが公益の利ザヤをもとめて償・贖を課す。古来より変わらない人間の性。

"あきひと" は、まずは権威者に跪き、身代金と忠誠を先に上納する。上納の豊富さで域内の自由を買うことができる。

権威者は市場から上がってくる利ザヤが少なくなれば、上納が貧しいもの(罪人)から贖いを求めるようになる。

権威者を続けたければ、あらたな市場を創り出すか、今の市場を活性化し維持すればいい。この手法を信頼のおける身内へ代々引き継がせるようになる。王朝の誕生だ。

跪かない "あきひと" に自由はない。それが、今の、中国共産党の "市場に対する姿勢" なのだ。

#日経COMEMO #NIKKEI

*文中要約は、Wikipedia参照

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