妄想:いま、旧東側諸国で起こりつつあること

***** 労働者や中小零細企業の閉塞感。移民などに仕事を奪われる。東側から供給されていた "使いやすい燃料" の高騰や停止。故に、西側に組み込まれる前の「貧しいが大過ない(当局の監視にひっかからない)暮らし」に立ち返ろうとする思いが募る。

今の東側がよいとは思わない。が、"貧しいバランス" を熟知している。反抗さえしなければそれなりに当局は応えてくれる(そう、信じさせられた)。当局推奨の反体制活動者の密告などに積極的にはなれないが、疑われなければそこそこに生きていける。だが、西側の世界では、経済性が最優先で市場で勝たなければ存在さえ意味をなさなくなる。つまり、「あなたの代わりはいくらでもいる」という考え方や論理である。無用となった身では、唯一の手段である民主主義選挙で意思を表明するより抗議の手段はない。

物価高騰で明日の生活が見えてこない。今生きることへの焦りは怒りに代わる。どこかで我々と似た生き方をせざるを得ないひとびとが現政権の "法執行機関" による暴力で命を傷つけられたのなら、強烈な暴力で対抗する、その選択しか残されていない。

移民排斥運動にも積極的に参加する。西側の市場優先政策には事あるごとに反対する。その趨勢の中で似た者同士が集まり「強いことが生き残ること」という合意形成が出来上がる。現状を破壊することは英雄行為となって、集団の厚い保護の下、西側の裕福な地区から暴力の渦が巻きあがる。

熱の中では「違和感のある者」同士が解け合って、ありとあらゆるモノゴトを溶かしていく。やがて、破壊尽くし熱する前の面影が何一つなくなったころ、熱は急速に冷めていき、各々にその本性が結晶化していき、熱で解け合った「違和感のある者」の正体が明確になっていく。

違和感のある者同士は互いに反目しあい、各々に固いきずなのグループを作り、集団で諍いを繰り返すことになる。強い集団の監視の下に弱い集団を置き、多数の弱い集団と少数の強い集団の構造となっていく。

少数の強い集団から リーダー が選出され、やがて、全権を移譲する絶対的権威を持った "総統" が誕生する。ここから、国家社会主義(Nationalsozialismus)が復興し、その国民は同一のポーズをとって忠誠を誓うのだ。

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色々と読んでいますと、国家社会主義には二通りあり、Staatssozialismus:土地と資本の私有を廃止する(思想)と、Nationalsozialismus:愛国的なナショナリズムと社会主義の結合(手段)があるようです。

どれも、市場主義から恩恵を受けられない人々が、その支配から脱却する流れは同じようです。その中で、自国の浄化運動や伝統の昇華活動が活発になり、世界の中で自国国民の絶対的な有利を形成しようとしています。それが、近隣や交わらない国々との諍いを作り、戦争へと突入したと解釈しています。

どちらも、絶対的な存在を指導者として仰ぐ傾向がみられます。のちに独裁者と呼ばれる存在です。

経済性最優先で「存在さえ意味をなさない」と感じてしまう人々はいます。その人たちを今の体制の中で「あすも活きよう」と思えるようにできるか。もしできなければ、妄想で書いた旧東側の一部の人々のようになってしまうのではないか、そう思えてしかたがないのです。


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