妄想:中性社会への転換

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通念としての「性別」はない。会話も性を意識する必要はない。個性は最大限尊重される。

生物学的な性は個性となる。そして「子育て」は社会全体が担うことになる。生殖バンクにあるランダムに選ばれた精子と卵子による人工授精と人工子宮による代理出産により次世代は生まれてくる。

社会全体で子育てを負担する(所轄は「子育て省」)。成長すれば生殖の細胞(精子・卵子)を生殖バンクに保管する。この循環で少子化をなくしていく。

子育てをしたいカップルがいれば「子育て委譲」制度により乳児や幼児が委託される。子育ては「保育」「初等」「中等」「高等」と階段を上っていくが、途中で委託をやめてもよいし途中段階から委託申請も可能だ。

自然生殖による妊娠と出産では、世帯平均の収入を社会全体が保証する。医療費も個人負担はない。希望に応じて無痛分娩が施される。出産後、乳児を「子育て省」の保護下においてもよいし、「子育て委譲」申請を行ってもよい。

親子関係のきずなが強いことも個性として認められ、そうでないとしても個性である。個性が社会の中で平等で扱われるため、生きづらさは存在しない。

「自身はこうである。だから、あなたもこうである。」という論理は、その存在を認めるも社会の主流とはならない。「まずは、わたしである。」ということが中性社会の根底にある。社会のなくてはならない要員であること、その認識は「保育」~「高等」の中で培われ、「公」に対する「無理のない奉仕」の施し方を身に着けている。

「ぎくしゃくしない」「生きづらくない」社会を形成するための知恵として生まれた「中性社会」。個性を尊重し公に奉仕する社会。互いに必要とされ認知される社会。人類の完成形であるこの社会は、汎用人工知能の管理の下で実現したのだった。

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この「中性社会」は、人工知能の管理なくして成り立たないというオチでした。(つまんない妄想で恐縮です・・・)

#日経COMEMO #NIKKEI


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