問われているのは、SNSを利用する側の心構え
私の考えです。乱暴かもしれませんが・・・。
発信する側は、ほぼ制限なし。それで深く傷つき ”死” が付きまとう場合も、それを発信してほしい。恨みも憎しみも醜さも。
それを宥めたり諫めたり主観的な導きも、発信してほしい。
全体が定めた ”倫理” に違和感があったり、”主観的な倫理” であったり、”一部の集団の倫理” であったとしても、それを発信してほしい。
喜怒哀楽、そのすべてを公開するのです。
そして、読む側は ”考える” のです。一つを読むだけでなく、自身の持つ疑問の答えを得るべく、あらゆる検索を掛けて、上下前後左右の情報をかき集め、比較し、足したり引いたり掛けたり割ったりしながら、自分なりの答えを導き出すのです。
それが、SNSの真の活用術だと信じています。
故に、発信の自由を奪ってはいけない。受信する人の考えるチャンスを奪ってはいけない。苦しいけれど、進化していこうとする人間の努力を無駄にしてはいけない。人類に残された唯一の場所だから。
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