妄想:「省エネ・適正消費では経済は回らぬ」って

省力化。それはエネルギー消費についても最先端のはず。そして「大量生産・大量消費」からの脱却である「適正消費」も然り。科学の進歩によって実現可能のはずです。

なのですが、どうも、この辺りはメディアが消極的な気がするのです。

「大量生産・大消費に適したエネルギーの大量供給」が科学の進歩で達成できること、それが、本筋という論調に読み取れてしまいます。果たしてそうなるのか。

気候変動に伴う環境変動。食料安全保障の危機から流民が越境し、故に、現状修正の政治が激しく動き出す。エネルギー供給元となる国は世界経済を自由に操りながら「世界の修正」を自国優位に導こうとする。そうさせないために、現状の先進(エネルギー大量消費)国は、自国でエネルギーを作り出す科学技術を進歩させる。その科学技術をもってして現在の優位な世界経済を護ろうとする。この鬩ぎあいが代理戦争を引き起こし、それが難民を生み出し、それが「世界の現状修正」を加速させる。これが、わたしの現代の世界観です。

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この世界の現状を一顧だにしない国が現れる。

海に囲まれ複数の島で構成された国。食料生産の自給率は乏しい。この国が生まれ変わる前は、気候変動によって生産調整が後手に回り市場への出荷が思うようにいかない状況が続いた。輸入によって食料安全保障を保とうとするが、「世界の修正」の動きの中で割高の食糧調達となる。それにともなって物価が様々な業種で上がっていき、国民の不満が高まっていったのだ。

「なにより食えること」が政治の一丁目一番地となった。「思い切った方向転換」を時の政府が決断し、産業界を巻き込んだ大変革が始まる。

気候変動に巻き込まれない食料安全保障。「細胞農業の推進」が解決策となった。特殊な培養液の発見により、各種生物の細胞を様々に培養できる環境が整った。iPS細胞技術の発展により、それまでの生育から食品に至るまでの時間と経費を半分に短縮する技術も開発された。見た目や触感も自然由来の食糧とそん色ないレベルまで研究開発が進んだのだ。

これにより、国内流通は飛躍的に安定した。同時に価格も適正に抑えられるようになり、ニンゲンが原料生産から食料に至るまでのすべてを制御できるシステムが構築され、市場に連動した適正な生産と適正な消費が確立していった。

「食料安全保障の適正生産と適正消費」"文化" は、その国の伝統に合致した受け入れやすい出来事であった。そのほかの産業もこの "適正文化" に迎合する動きを見せる。エネルギー消費を抑える生産。輸入エネルギーに頼らない経営。少ない原資で利益をはじき出す経営システム。利益率を維持しながら価格を適正に抑えた製品は市場で喜ばれ輸入に左右されない消費文化を形成していった。

あの先進国の「大金回し」のような富豪は現れない。貧富の格差に悩む政治を行わなくてもいい。エネルギー供給元の国のように権威や力に頼らない政治ができたのである。

「世界の修正」で各国が右往左往している中で、その国だけは安定していた。そこそこに幸福感を得ながら、次の「適正文化」を生み出そうと楽しみながら人生を送る国民が増えていた。その影響で少子だった人口構成も適正な人口構成に戻っていったのだ。

だが「世界の修正」はそれを放置しない。大量生産・大量消費を望むエネルギー供給元もあの先進国も「貿易をもっと増やせ!おれらの商品をもっと買え!」と連呼する。

輸入業者がびっくりするような「不適切価格」でその国に商品を押し込んでくる。"適正文化" になれた国民はその「魅力的な不適切価格」の輸入品に手を出し始める。輸入業者の利益率の跳ね上がりを見たほかの経営陣も「不適切価格」で輸入に舵を切るようになる。

やがて、酒に酔ったような経済が到来する。とにかく「がぶ飲み」「一気飲み」の世界だ。二日酔いを和らげるために酒を足す。「我を忘れる」ために酔う。そうして「世界の修正」のなかに身を置いてしまったその国は、"適正文化" を忘れ去って堕落していったのだ。政治も堕落し、「世界の修正」のなかで右往左往するだけの国となり、あの先進国からもエネルギー供給元の国からも軽蔑されていった。

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「一顧だにしない」勇気を振り絞れるか。「世界の修正」の中で「自身の思う大変革」をやり遂げられるか。政治と科学技術(とメディア)が、今、問われているのだと思うのです。

#日経COMEMO #NIKKEI

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